思い出の宝物 「こっちのクローゼットの中身は全部ダンボールに詰めていいんだよね?」
「うん、細かいものとかもあると思うけどまとめて詰めてくれたら助かるよ」
「オッケー、任せて!」
見慣れたクローゼットの扉。シュウの部屋に来たことは何度もあるからこの扉は何度も見たことある。けれど、見るのは今日で最後になるんだ。
大学を卒業し、就職した会社でシュウとは出会った。とあるプロジェクトのメンバーに選ばれ、そこで初めて顔を合わせた日からもう4年。その後、同い年でゲームが好きっていう共通点もあり、仕事上だけではなくプライベートでも仲良くなっていった。そうして恋をして、恋人になってから2年。そして今日、俺たちは同棲を始める。
ハンガーにかかっているパーカー、畳まれているジーンズ、ちょっと無造作に引き出しに詰め込まれた部屋着。几帳面かつ潔癖そうな見た目と印象に反して、意外と粗雑だったり細かいところは気にしないシュウらしいクローゼットだなとニヤニヤしてしまう。
(ん…?なんだろう、この袋…)
手前にある服からどんどんダンボールに詰めていっていたら、クローゼットの隅っこにビニール袋が一つあるのが見えた。端に追いやられてクシャクシャになってしまっている様子を見るにシュウももしかしたら存在を忘れてしまっているかもしれない。
(うーん、中のもの全部詰めていいとは言われているけど、これは引っ越しを機に捨てるかも)
要るかどうか聞いてみようとそれに手を伸ばす。カサリ、と鳴ったビニール袋。クローゼットの中にあったことから想像してはいたけど、中身はどうやら服らしい。
「おわっ」
ツルリと手から滑って床へ落ちていく。
(割れ物じゃなくて良かった……)
安心したのも束の間、床に落ちた際に袋の口から中の服が飛び出てしまっていたのだが、ルカはそれにものすごく見覚えがあった。
「えっ、待って、これって」
袋の中に手を入れてそれを引っ張り出す。目の前に掲げてみて、やっぱりそれはルカが思っていた通りのものだった。シュウの私物を勝手に見るなんて、という考えなんて霧散してしまうくらいにルカは酷く困惑していた。
「神速高校のユニフォームだ…」
それはルカが野球部時代身につけていたユニフォームと同じものだった。黒地に赤のライン、胸元には縦書きで神速高校を表す言葉。デザインだけではなく触り心地まで全く同じで、ルカは一瞬あの頃に戻ったような感覚を覚えた。そして、なんとはなしに裏返す。そこには選手の登録名とポジションに応じた背番号が記されているはずなんだけど──
ルカ、6番。
(これって、俺の…)
思い出す。
ルカの世代は神速高校野球部の歴史に栄光をもたらしたと言われている。ルカが入学した年に監督が変わり、部の方針が大きく変わったそうだ。それに加えルカと同じ学年のチームメイトは新監督の方針との相性がすごく良かった。初年度は県予選決勝敗退という結果だったが、ニ年目には秋の全国大会優勝、三年目には春の甲子園と夏の甲子園共に優勝という成績を残し、三連覇を成し遂げた。ルカ自身も、二度日本代表に選ばれ世界大会に出場し、二度目の大会ではMVPをとった。
神速高校を含めた全国のいくつかの高校が話題になった3年間だったので、高校野球が盛り上がった3年間でもあった。その3年間の締めくくりとして確か引退した少しあとに各校のレプリカユニフォームが一度きりの期間限定で販売されたんだったか。登録名、背番号ともに入っていない無地のものと、各校の注目選手のものが作られていた…はず。多分これはその時のものだ。
でもそれももう10年近く前の話である。ルカはプロ球団のいくつかからスカウトされたものの、自分の野球に限界を感じたこと、同じ時期に野球とは別のやりたいことを見つけたことを理由にプロにはならなかった。チームメイトや担任、野球に詳しくないだろうクラスメイトからももったいないと散々言われたが、監督だけは俺の話をしっかりと聞いた上で「そうか。んじゃあルカでも入れる大学探しといてやるよ。貸し1な?」って言ってくれた。
そう決めてからルカは、野球にかまけてしてこなかった勉強を頑張って地元から離れた大学に進学した。大学時代は周りが同年代ということもあってルカの活躍を知っている人も多少いたが、就職してから他の人にその手の話をされたことはなかったし自分からも野球部だったという事以外を詳しく話したことはない。大学で学んだことも、今の仕事も野球とは無縁のものだった。
それはシュウに対しても同様で。野球部だったと言ったことはある…と思うけど、それだけ。お互い過去のことにはいい意味であまり興味がなくて話すこともしなければ聞かれることもなかった。ルカにいたってはシュウが学生時代なんの部活をしていたのか…部活に入っていたのかすら知らない。
だから余計驚いた。まさかシュウがこれを持ってるなんて。
いつから知ってたんだろう…っていうかどうやって知ったのかな。ネットに俺の記事とか残ってたりするのかな?
そんな考え事をしていたから、違う部屋からシュウが名前を読んでいることに気づけなかった。
「ルカ、どうしたの?大丈夫?寝ちゃったりしてない…よね……え?」
シュウの声で現実に戻されて、レプリカユニフォームをしっかりと握ったまま後ろを振り返る。そこには少し前の俺と同じように状況が理解できず困惑しているシュウがいた。顔がどんどん真っ赤になっていく様子が見て取れて可笑しくつい笑っちゃう。
「んは、ははは」
「待って、それ、うわ、隠すの忘れてた……」
シュウはとうとう真っ赤になった顔を両手で覆って隠してしまった。
「僕のバカ…」
「やっぱりこれシュウのなんだ?」
「そうだよ、恥ずかし…今まで言わないようにしてたのにバレるなんて…」
「なんで?」
「……ファンですって言われたら話しづらいかなと思って」
「ファンなの!?」
青天の霹靂とはこのことかもしれない。シュウからは一切そんな素振りはなかったし…なんなら、ファンとか推しとかそう言うくらい熱中しているものはあまりないと思っていたのだ。
「そうだよ!?じゃないと限定販売のユニフォームなんて持ってないよ!」
真っ赤な頬に潤んだ瞳で半ばやけくそのようにそう言うシュウも初めて見た。今日は今まで知らなかったシュウを沢山知れていい日だ、なんて頭の片隅で思う。
「うぅ…このことを言う日がくるなんて…」
「…何がきっかけでその…ファンになってくれたの?」
「…走攻守、全部できるなんて野球やってる人全員の憧れでしょ、そんなの」
『野球やってる人全員の』?それって…。
「…待って、もしかしてシュウも野球やってた?」
「うん、僕も高校まで野球やってたよ」
「待って、ほんとに!?初めて聞いた!」
「初めて言ったもん」
「ポジションは!?」
「ピッチャー」
「わぉ…」
ピッチャーは結構意外だったけどそもそも野球をやってるシュウが意外なのだ。もう何もかもに驚きすぎて逆にあんまり驚かなくなってきた気がする。
「なんか勝手に文化部なのかなって思ってた…」
「んは、よく言われる。僕たちの高校は甲子園一回戦敗退だったけど、神速高校が秋春夏三連覇したのは見てたよ。もちろん世界大会もね。MVPまでとっちゃうんだもん、飛び跳ねて喜んじゃった」
シュウの口から流暢にスラスラと紡がれる言葉は大げさな褒め言葉じゃないけれど、ひどくマイペースな部分のあるシュウが全く関わりのない俺のことをそこまで熱心に追いかけてくれていた、というのは結構キた。
「あ、ごめん、喋りすぎた…」
「わ、わぁ…恥ずかしいね、これ……でもシュウがそんなになるくらい好きなものって知らないから、結構嬉しい。応援しててくれたから俺のことも好きになってくれたの?」
「えっ、違うよ!」
「えっ、違うの?」
「うん。応援してるだけじゃルカの性格とかはわからないし、こういう…恋とは全然関係ない気持ちで好きだったんだ。高校卒業前にルカがもう野球を続けないって知って、もうルカの野球を見られないのを寂しく思ったけど、それだけ。だから顔合わせのときびっくりしたよ!」
「ふはは、そうなんだ!」
「そうそう」
「シュウ、これ着てみてよ!」
「わぉ、突然だね」
「シュウが着てみたらどんな感じなのか見てみたい」
「いいよ、いま上から羽織ってみようか」
「はやくはやくはやく!」
「そんな急かさないでよ」
着ていたTシャツの上からユニフォームを羽織るシュウをじーっと見つめる。シュウの指、ねぇ早く動いて。俺にその姿を見せて。無意識にその念を送ろうとしていたのか凝視してしまっていたらしい。
「…ルカ、穴開きそうだよ」
そう文句をこぼしながらシュウは手元を見ていた顔を上げた。
シュウはただ羽織ってるだけだ。中は、本人もどこで買ったか覚えてないと言っていたなんの変哲もない無地のTシャツが覗いている。それなのになんだかイケないものを見てしまった気分で、だけど目が離せなくて、頭はボーッとするし……。
「……ルカ?どうしたの?大丈夫?」
ひらひら、と顔の前で振られるシュウの手でハッとなってようやく俺はシュウの部屋にいるんだって実感できた。
「う、うん、大丈夫!シュウ、かっこいいよ…!似合ってる!」
「んはは、僕も一応高校球児だったからね〜」
「ね、シュウのユニフォームは無いの?シュウが着てたシュウ自身のユニフォーム姿も見たい」
「実家にはあるかも?ここには無いよ」
「なんで俺のはあるのに自分のはないの!」
「えぇ、自分のは必要ないでしょ。ルカだって今一人暮らししてる部屋にないでしょ?ユニフォーム」
「無いけど…シュウのユニフォーム姿見たかった…」
「んふ、残念だねぇ」
「UNPOG……」
「はい、次はルカの番」
「え?」
そう言ってシュウは着ていたユニフォームを脱いでしまった。そうして俺の胸に押し付ける。
「俺も着るの?」
「うん、次はルカが着てよ。ルカが俺の着てたユニフォーム姿を見たいと思ってくれたのと同じで僕もそれ着たルカが見たい。いいでしょ?…あのね、そして…」
シュウの頬がだんだん赤く色づいていく。
「写真、撮らせて?僕だけの宝物にするんだ」
そう告げて微笑んだシュウの笑顔が可愛くて、綺麗で、愛おしくて…俺は動くことも言葉を発することもできなくなってしまった。
「…えと、ルカ?……ふふ、顔真っ赤。かわい」
「もう!」