夢のような夜を超えて ぼんやりと灯る蝋燭の炎。埃っぽい床に、無駄に重苦しい扉。辺りは土や死体の匂いが充満していて普段なら絶対に行きたくない。行きたくなかった場所だ。
でもここは彼女との近況報告に最も適していて、ある意味でとても静かな場所だった。
……その彼女さえいなければ。
「おーじーさーん!」
獣の唸り声に混じって聞こえるその声は、とても楽しそうだった。
いや冗談じゃない。こんなところに楽しいなんて感情を抱く人間がいるとは思えなかったから。
「みてみて!きらきらしてるよ!」
「……さながら君はkittenだな」
「?」
ぼそりと呟いた言葉が聞こえたにしろ聞こえなかったにしろ、そのきらきらを手に持った彼女は首を傾げた。傾げすぎて落ちそうになる帽子をそっと押さえてやる。
わ、という声は彼女唯一の隙だ。落ち着けという言葉に、うん、と大人しく従ってくれた。
「あと僕はまだおじさんじゃない、そして1人で勝手に行くなって」
「でもでも」
「でもじゃない」
好奇心は猫をもとは東洋の国の言葉だったか。全く持ってその通りだ。あるいは激痛の末に意識を手放して、やり直せるのにすっかり慣れてしまったのかもしれない。
でも普通の人間的に考えればもう動かなくなるだろう傷を受けていることに変わりはない。それを忘れてしまっているのかもしれない。こんな非常識な場所に放り込まれて、正気である方が難しい。
「別にあたしは何も変わんないよっ」
むすくれて座り込んで、此方を見上げる目は澄んでいる。きっと誰も、この星のような輝きを奪うことはできないのだろう。
だからこそ心配だ。ヘンな獣の肉とか食べそうで。藪のヘビとかつつきそうで……。
「迷惑、かけなかったか」
「た、多分……あ、ううん!かけてないよ!」
急いで首を振って、安心させるように笑う様子に、思わずため息をついてしまう。とはいうものの、他の狩人様達に比べれば、自分の活躍だってそれほど胸を張れるものではないのだが。
「おじさんこそ、大丈夫だった?」
「大物一体は狩れたさ。そもそも僕はそんなに自信家じゃないし、大丈夫かどうかと言われれば、不安だらけだ。君とは違ってな」
「そういうの、開き直りって言うんだよー」
君は開き直ってすらいないと言うのに。だが、言うだけ無駄だろう。
諦めて懐からのポーチからチョコレートを取り出し、一つ差し出してみる。
「こんな埃っぽいところで食べるの?」
首を傾げながらも、彼女の手は伸びつつある。理性と本能で言えば、彼女はおそらく本能が強いタイプなのだろう。
その疑問顔のまましっかりと握って、自分の顔の近くまで持ってきて、訝しむ。
「これなに、ちょこ?」
「あぁ、子供も大人も大好きな、甘くて美味しい麻薬で間違いない」
「え、チョコっておくすりなの??」
言いながらしっかり口に入れるものだから、もうどうしようもない。これが本当にチョコであったのなら。少しは彼女も大人しくなるかも……いや、高揚の方がでかいな、きっと。
「何にせよ、何事もないようであれば良かった」
これは本当だ。甘さに蕩ける彼女の目を見ながら言っても、重大さはまるで感じ取ってはくれないが。
なんにせよ目的は果たせた。無事であったことも確認できたし、こうして他の同業者の情報交換もできた。潮時だろう。
ゆっくり立ち上がると蝋燭の炎が揺れた。果たして誰が灯したのか。守人達にそれほどの知能があるとはどうにも思えない。
「帰るよ。久しぶりに君と話せて楽しかった」
小さく埃を払えば、破けた外套の先が揺れる。続けて立ち上がる少女は、また帽子が外れてしまいそうだった。
まだ口に残っていただろうチョコレートをぱきりと噛み砕く音がする。埃を纏ったまま、やがて手をつかまれる。
「えっ!いかないの!?」
「いくって、」
「このさきー!せっかくつくったんだよ!?」
響き渡る声の後、すぐそこの扉から低い声が聞こえてきた。まぁ、怒りたくなる気持ちは大いにわかる。せっかく眠っていたところを起こされるようなものだろう。
しかし、このままこの先に進んだとて、全力は発揮できない。彼女に迷惑をかける可能性の方が、この先を進む意思よりもずっと大きい。
「僕も僕で用事がある。この前少し乱暴な扱いをしてしまってね」
「エヴェリンちゃんよりもクレマチスちゃんの方が現実味あるでしょー!」
「ミスクレマチス、全て悪い夢という言葉の意味、忘れてはいないか?」
えっ、という小さな声は静かに小部屋に木霊した。ぼうっと、夢の灯りが揺れる。
「……あ、あたし悪夢じゃないもん!おじさんだって夢じゃないもん!」
少し意地悪をしてしまったかもしれない。心なしか掴んでくる力が強くなって、いつのまにかこちらを見てくる目も、距離もずっと近くなっていた。
「みんなみんな、夢じゃないよ!あたしがここにいるのだって、おじさんがここにいるのだって。おじさんやあたしがであった、他の狩人さん達だって!
夢じゃないよ。痛くても、迷惑かけても、それは全部思い出だよ!夢にしちゃいけないんだよ!あたしは、ずっと覚えてるよ!」
それは偏に、彼女が純粋であるからだろう。この星の輝きは、どんな悪夢にも奪えず、どんな月の明るさにも負けることはない。宇宙が空にあるのであれば、星は昏い地上でも輝いている。
「すまなかったクレマチス、ただのジョークさ。彼等を否定するつもりはないよ。勿論、君のことも」
それでも、陽はいつか沈み、夜は必ず明けるものだ。此処がそうでないとしても、夢のような時間が永遠であってはいけないのだ。永遠でないからこそ、その出逢いに価値があるのだ。
「君は眩しいな。どうかいつまでもそのままで……輝ける君のままでいてくれよ」
これ以上の言葉は不要だろう。持ち慣れた銃のようなものを取り出し、そっと空に掲げる。
引き金を引く瞬間は少しだけ緊張がする。特にこれは、あまり良い意味で使ったことがないからだ。そして何よりも、あの音が嫌いだ。
「お、おじさん……」
まぁ、また話せる。鐘を鳴らせばまた会える。それこそが狩人の繋がりの一つであり、確かな証なのだから。
「良い夢を」
引き金を引けば、思いっきり棒を鐘に打ちつけたような音が鳴り響く。かかる霧に瞳を閉じれば、あっという間に見慣れた花畑が広がった。
甘く香る花の香りは、どこか懐かしい。それが何なのかは、わからない。この小洒落たハットを被った彼等が話すことができれば、その議論を暇の潰し方の一つにもできたかもしれないが。
工房の机に銃を置き、必要な工具を用意する。クレマチスは言っても信じてはくれないが、武器よりも銃というのはずっと繊細で精巧なものだ。その丈夫さと汎用性が、それを物語っている。
故に修理は必要ではないかもしれないが、メンテナンスは欠かせない。それに僕は、この銃が好きだから。
「……折角だ、終わったら行ってみようか」
彼女はきっといなくなっているだろう。でも、彼女の残したメモはある筈だ。また集まろうというメモが。
最早それは暗号じみた形にはなっているが、それだって狩人の証なのだから。残り続けるはずだ。そうして繋がりは作られていく。そうしてまた、狩人達は邂逅していくのだろう。
……この夢が、終わらない限りは。