桃源郷もう無理だ。殺して欲しい。
ベッドの上でそう喘いだことが何度あっただろうか。もう思い出したくないし思い出せもしない。
屋敷に帰ると部屋がピンク色に色付いていて驚いた。
春めいた、希望に満ちる明るい部屋。
死んだ魚みたいな私の目にも一応色は映るのだ。泣きたくなるくらいに穏やかな風景に、思わず蹲った。
綺麗な桜とチューリップ。無知な私はそれ以外の花はあまりよく分からなかった。でも、彼らが本当に手間暇をかけてわざわざ模様替えをしてくれたことが痛いくらいに伝わった。
「日々の癒しになれば」
と告げた彼らは知っているのだろうか。
彼らが遥かな時間を掛けて優しく慈しんでくれた私の心を、数秒で折ってしまえる人がいることを。
そもそも美しくて努力ばかりで疲弊した主様なんて存在しないことを。
社会に合わない人間は一定数いる。
それは当たり前のように私もそうだ。集団行動が出来ないくせに、1人では生きてはいけない。どうして私はこうなのだろう。どうして頑張っているのに社会に受け入れて貰えないんだろう。
社会も私も恨めしくて、でもそんなことを思ってしまうことすら苦しくて辛かった。
だからもう殺してもらおうと思った。社会に息が出来ないならいっそ死が欲しかった。
屋敷が桃源郷であったら良いのにと思う。
わがままで、乱暴で、大勢の人を殺した社会に、殺される予定だった人が集まるそんな静かな楽園。
みんなが暗いことなんて考える暇も無いくらいに花とその花の匂いで満たされて、それを美しいと讃えながら生きていける。
そうしたら私はきっと彼らの言う美しく勤勉な主様になれるかもしれない。私も彼らにありったけの優しさを、花と一緒に返すことが出来るだろうと。
でも桃の香は何処か残酷で、私の鼻腔から頭へと現実を伝えてくる。
本当の、わがままで乱暴で人を殺した者はお前だろうと。お前は桃源郷をバラして、彼らを危険に晒すだろうと。
そんな風に、濃いピンクの花が私を見ている。
きっと、あの屋敷が桃源郷であったなら私はそこへ行くことすら出来なかっただろう。
良かったのかもしれない、これで。今のままで。
蹲ったままもう一度ピンク色に色付いている部屋を見渡した。
やっぱり綺麗なその姿に、また私はベッドの上で殺して欲しいと喘ぐことを予感して春雷のようにぼろぼろと涙を零した。