その手はパンを捏ねるために
(にじGTAのおはなし)
(🥼視点2回目くらいまでの情報で書いてるので洋服とか旧情報sorry)
商品棚は大事なパンを並べるから。
レジの周りはたくさんの人が見る場所だから。
お店の中も外も全部キレイにするけれどその2箇所は特にキレイにしたいから、ンゴちゃんはせかせか動いてピカピカに磨いてく。指紋もホコリも何も残さないように拭き取る。
キッチン周りはもっとキレイにするけれどそこはお店の裏側だから、少しだけモチベーションが違う。あそこは頑張るところで、ここはみんなの笑顔があるところ。
ふんふんふーんと鼻歌を歌いながら商品棚を磨いていると、太陽の光を浴びたひまわりみたいに明るい黄色が通り過ぎるのが見えた。七次元生徒会パン屋さんの営業車。レオスさんだ。
少しして、離れたところにある駐車場から早くて軽い足音が近付いてくる。カランコロンとドアに付けたベルが小気味良い音を鳴らすのを合図に、レオスさんがお店の中に駆け込んできた。
「レオスさんおそーい!」
「重役出勤で〜す。営業時間には間に合ってるからいいでしょう?」
「もお〜」
レオスさんはいつもの軽い調子で笑うと、入り口の横に置いたままのパイプ椅子に白いトレンチコートを投げた。先ほど高いところを掃除するために椅子を置いて、片付けるのを忘れていた。
やがてズボンのお尻をポンポンと叩いた後、車にタバコ忘れた、と慌てて車に戻っていってしまった。レオスさんはンゴちゃんがお店にいるのを見て急いで降りてくる真面目さんっぽくもあるけど、ぽろぽろ忘れ物をしたり言葉を真逆に言っちゃったり抜けてる部分もある。本人曰く、愛嬌というらしい。
「ふふ。店長さんはおっちょこちょいなんだから。…あれ?」
パイプ椅子に投げられたトレンチコートの裾が地面に擦っていることに気付いた。レオスさんは背が高いから、コートもパイプ椅子にちゃんと畳んで置かないと、適当にかけたら今みたいに地面についてしまう。全くしょうがないなぁ。
手を伸ばしてコートの肩部分を持ち上げようとして――背中に大きな声がぶつかってきた。
「サンゴくん!!」
「ぴえっ?」
いきなりの大きな声に身体が強ばりつつも、パッと反射的に振り返る。レオスさんが少し慌てた顔をして駆け寄ってきていた。なんだ、レオスさんか。安心して体の強張りが抜ける。
「そんなバッチィもの触っちゃダメでしょお〜!」
「ええ〜!?これレオスさんが着てたトレンチコートですよ?」
「それ着てきったねぇところ歩き回ってるからダメです」
下ろしたてだと思う、真っ白でピカピカの手袋をはめた手がンゴちゃんの肩に置かれた。ジッと見つめてくる眼光の鋭さは、ちょっとだけ付き合いが長くなったからもう怖くなくて、笑顔の中ではキラキラしてて綺麗に見える。
「サンゴくんの手はみんなが幸せになれるパンを作るためにあるんです。煙くさい上着持って汚しちゃダーメ」
そうは言うけど、ただ上着をハンガーにかけるだけなのに。それにタバコくさいのはいつものこと。わざと頬を膨らませてむくれるとレオスさんは半笑いで目を宙に彷徨わせた。
「それに今回は他の煙も混ざってるから……」
「他の煙?」
「いえなんでも。それより今からパン屋の制服に着替えてくるので、サンゴくんはお掃除の続きお願いします〜」
レオスさんはトレンチコートの襟首を掴んで拾い上げると、外に向かおうとする。生徒会パン屋さんの制服に着替えに行くんだ。その背中が離れてしまう前に問いかけた。
「ねえ、レオスさん。バッグ持たないんですか?」
「んー?」
「上着のポケットに物入れすぎてガシャガシャ言ってた。何入ってるの?」
「えっとねぇ。お店とバイクと車の鍵と、財布と、小銭と、レシートと、スマホと、ライターと、携帯灰皿と、あとは…」
「あー!カウンターに出さないで!今拭いたばっかなの!ばっちい!!せめて小銭は財布にしまって!!」
「なによぉ、サンゴくんが何があるのって言ったのにぃ」
不満そうな顔をして、今度こそレオスさんは着替えスペースに向かっていった。多分タバコを一本吸ってから着替えて戻ってくるから少し時間がかかると思う。それまでに掃除道具を片付けようかな。
「……?」
ふと、レオスさんに触れられた肩を見下ろす。
「なんでンゴちゃんにはコート触らせないのに、コート触った手でンゴちゃんのこと触るんだろう」
キレイな手袋で触られたから、当たり前だけどなんの汚れも見えない。見えない汚れがあったとしてもキッチンに入る前にキチンと手を洗えば問題なさそうに見える。
生徒会パン屋さん以外にも忙しそうにしているレオスさんには秘密が多い。いつの間にか人脈が増えてたり、足とか顔とか怪我をしてたり、車のトランクには開けちゃダメって言われてる箱があったりする。よく分からないほんのちょっとの不安で胸がキュッとする…けど。
「んー。まいっか!」
レオスさんが大丈夫なら、ンゴちゃんも大丈夫。手が汚れて消毒したら痛むかもだけど、肩のところの洋服がちょっとくらい汚れて消毒しても服だからいいって思ったんだろう。
外でピーピーとサイレンが鳴ってるのもちょっとしたバックサウンド。深く深呼吸をすれば、パンとコーヒーの匂いが頭とお腹に満ちて幸せな気分になれた。
フリル耳の位置を直して、フン!と気合を入れる。今日はどんなパンを作ろうかな。
きったねえし重いから、自宅にいる時の感覚で無意識にトレンチコートを脱いでしまったのは反省点だ。穏やかな時間が流れるパン屋の中ではついつい気が緩んでしまう。
タバコの煙を肺に満たして、タールで黒く染める作業を繰り返す。身体に悪いと自覚はあるがストレス軽減には手っ取り早い。サンゴくんみたいにいい匂いのハーブでやってもいいとは知っているが、この苦味と重さと頭がくらりとする感覚はやめられない。
私はサンゴくんにとってカッコいい店長でいたいので、パン屋の制服はちゃんと着るし、コートもバチっとキメる。……髪の毛は寝坊してセットし忘れた時に寝癖で色んな方向に跳ねてるけど、そのあたりはまあ、愛嬌だ。
「サンゴくんはうちのパン屋のアイドルだからねぇ」
夢を語る時のキラキラした目も、一生懸命パン生地をこねる小さな手も、キレイでいましょうね。
煙と一緒に吐き出した独り言はまだ少し冷えたままの空気に溶けていく。立ち並ぶビルの隙間から何本も差している日の光は、治安の良くないこの街ですらキラキラと輝かせていた。