ほんとうの先輩は新入社員の自分は、営業部に仮配属になった。営業成績がトップだというその先輩は、他の先輩よりも圧倒的に外回りに時間を割いていて、あまり話す機会がない。爽やかな好青年といった風貌で、愛想の良さそうな笑みを浮かべているその先輩なら、快く仕事のコツを教えてくれそうだと思って、自分は先輩と話すタイミングをうかがっていた。
ある日、今日も長い残業で、煮立った脳みそに外の空気を送ろうと非常階段に出ると、あの先輩の姿があった。いつも見かける時の爽やかな笑顔は無くて、遠い目をしながら、煙草を吸っている。喫煙者だとは知らなくて少し驚いたのと、いつもと全く違う雰囲気に動揺していると、先輩は自分の方に視線を寄越した。まだ帰んねえの?と言う声音は淡々としている。仕事が終わらなくて、と返せば、そうかあんま根詰めんなよ、と先輩が言って、それきり会話は生まれない。
沈黙が気まずくて、でも、先輩に興味が湧いた自分は、聞きたかった仕事のコツについての質問を口にした。先輩は一瞬自嘲的な笑みを浮かべて、こう言った。本当の自分とは別の自分を持つこと。その別の自分には、客の望む言葉を口にさせ、気持ちに寄り添うふりをさせ、客の心の隙間につけ入らせること。そうすれば客はいつしか心を許し、ある程度の頼み事なら聞いてくれるようになる、と。
自分は思わず、今の先輩は、本当の先輩ですか?と聞いてしまったが、先輩は、さあな、としか答えてくれなかった。
その一週間後、先輩のデスクは綺麗に片付いていて、退職したことを知った。あの時、先輩は答えてくれなかったけれど、非常階段で出会った時の先輩は、きっと─────