所有者「じゃーんちょーん」
「んだよ」
後ろから袖をちっぱられて、苛立たし気に振り返る。
声も姿も違うのに、魂だけは正真正銘の義兄がそこにいた。
「お前、主が見つかってよかったなぁ」
「……」
にんまりと笑って、抱き着いてくる。昔はもっと力強くて、江晩吟が剥がそうしてもすぐにははがれないような奴だった。
しかし今の体は、江晩吟よりも小さくて弱い。それがひどく…悔しくて辛くて……どこか安堵した。
これだけ弱ければ、誰かに頼る事をしてくれる。これだけ頼りなければ、誰もこいつを頼らない。
「もう、俺の事を守ろうとしなくてもいいぞ、どっちつかず」
「はぁ?」
「俺には、ちゃんとあの人がいる」
ぺし!っと額を軽く叩く。
魏無羨は、第三の性が無いのだ。それは、藍忘機もそうらしい。
第三の性というのは、天性の才や努力した結果を左右するモノではない。
江晩吟が、従だから誰かよりも弱いという事は決してない。
性質が江晩吟の邪魔をしていたのは確かでも、誰かに劣る事など滅多になかった。
それでも義兄や藍忘機に敵わないのは、才能に差があるからだ。
努力をするにしても才能は必要で、どんなに必死に努力をして上にのし上がろうとした所で上には上がいるとしか認識できない。
自分よりも下にいるモノたちがいるのを自覚しているだけ、江晩吟は人間的な男と言えるだろう。
義兄と戯れていると、じゃりっと玉砂利を踏む音が聞こえてきた。
そこには藍双璧が揃っており、春の日差しのように穏やかな微笑みを浮かべているのが江晩吟の主だ。
「江宗主」
「藍宗主」
互いに拱手をして、挨拶をする。
お互いに表で一定の距離を置くのは、宗主としての面子を保つためだ。
それでも以前よりは近くなった距離であり、藍曦臣は新しい義弟を見つけたなどという陰口を叩かれている。
金光瑶ほど、藍曦臣に近づいていないと思うのだが……。
顔を上げれば、藍曦臣は自分の従が愛しくてたまらないという顔をする。
「な!!」
「どうしたんですか?」
驚いた江晩吟が声を上げると、藍曦臣は首を傾げた。無自覚か!
これでは、金光瑶の代わりを見つけたなどという陰口を叩かれても仕方ない。
いや、江晩吟が彼の代わりだなんて事を彼本人に言えば、春の日差しは陰りを見せて寒々しい程の霊気を含んだ威圧をするだろう。
江晩吟と金光瑶は、代わりになるような人材ではない。
むしろ人を代用品のように扱う事自体が誰に対しても失礼な事である。
「……藍宗主、そんな顔では私たちの間でなにかがあったとすぐにばれるのでは?」
「そうですか?すみません、貴方に会えた事が嬉しくて」
今にも抱きしめたいのだ……と、小さく囁く。
ん!と、咳払いをしながら、期待に体が強張る。主従を結んでから、紅潮しやすくなった顔を抑える。
「金家の家宴だ。気を付けていただきたい」
「解りましたよ、江宗主。でも、隣には居させてね」
「……いて欲しいと思うのは、私の方です」
小さな声で返すと、藍曦臣は嬉しそうに笑った。
藍忘機と魏無羨が、蘭陵の金鱗台に来ているのは藍曦臣の付き人としてだ。他にも内弟子を二名ほど連れてきている。
清談会ほどではないが、近隣の宗主を集めて家宴が開かれるのだ。
江晩吟は、新たな金氏の宗主である甥の後ろ盾として参加する。また首を突っ込みすぎると揶揄されるだろう。
しかし、甥の金凌からの願いでもあった。
金凌は、宗主になってから座学に参加した。他の仙家の公子達とつながりを持たせるためだ。
今の所、二心もなく交流があるのは藍氏の小双璧と呼ばれている藍思追と藍景儀。あとは、歐陽子真くらいではなかろうか?
金凌が宗主となった事で、二心ある者はすり寄っててきたが心から信じられるものはいまだにいない。
江晩吟は、人材を選別して金凌の側近をきめたけれど……金光瑶が死んでから見つかった人事の書類で選別した。
(金光瑶、もしかしたら阿凌に宗主の座は継がせようとしていたのではないか?)
そんな風に、思えてしまう程の資料があったのだ。江晩吟が、異議をいう程の事は記されてはいない。
金光瑶が揃えた資料を自分が配置したように見せたのは、彼が選別したとなれば異議を唱えられると踏んでいたからだ。
勿論、血がつながっていようとよそ者が決めた人事には反対される事があった。
しかし、なんだかんだと話し合いをして江晩吟(金光瑶)が提案した人事に治まった。
これは、初期の人事であり金凌が大人になるにつれて自分で判断するまでの事である。
江晩吟の甥である金凌が、甘い汁をすすらせるような宗主になる訳もない。
しかも宗主となってから、座学に向かった。
それを意味するのは、仙門を纏める者としての学や人事に対する観察眼、鑑定眼、判断力を身に着けるためである。
他の公子に比べて、藍啓仁への師事は多くなる。
宗主の仕事のたびに戻ってくる金凌は、次第に宗主としての知識や姿勢を側近たちを始めとした金鱗台の者達に見せつけた。
「江宗主?」
「あ、ああ…ぼうっとしていた」
呼びかけられて、思考の沼から引き上げられる。
それぞれ案内しされた席に座れば、藍と江は隣同士になるようになっていた。
江晩吟の後ろに、腕の立つ側近や上位の修士を座らせる。
この者たちは、金凌が生まれた時から知っており成長を共に見守ってきた者たちだ。
金凌の挨拶を眺めていると、後ろから啜るような音が聞こえてくる。
「坊ちゃん、立派になられて」
「ああ、江氏であればお仕えできたのに……」
「あの可愛い坊ちゃんが、えらいですよ」
もはや金凌にとっては、保護者会のような気分だろう。
そんな風に思っている江晩吟もまた、最愛である甥の成長を悦んでいた。
しかし、杯に口をつけた瞬間、ばっと隣を見た。
時にすでに遅しといった所で、藍氏の面子は杯に口をつけていた。江晩吟の行動に、魏無羨どうしてそうしたのか気づいてしまった。
「お、おい、藍湛!飲むな!!」
「うん?」
「これ、酒だ!!!」
魏無羨が、言った瞬間。ばん!ごん!!という音が聞こえた。
小双璧が、ひっくり返ったり膳にうつ伏せになっている。
家宴が始まる前に、金凌が『今日は珍しい酒とお茶が手に入ったから、それを用意したんだ!同じ花から作られてて』と言っていた。
いつもならば、藍氏には特別な器が用意されていた。
しかし、家僕が中身を取り間違えてしまったのだ。
「ああ、藍氏の方々は本当にお酒が弱いのですね」
江晩吟の背後から、声がした。側近だ。
「よい香りの酒でしたので、進めてしまった……申し訳ない事をしました」
「申し訳ございません。無理に杯に注いでしまって」
慌てた様に、小双璧の介抱をしようと近づいて抱き起す。
自分たちが飲もうとしていた杯のお茶を、二人に注ぐ。
失敗させるわけにはいかないのだと、思っていたのじゃ江晩吟だけではない。
もう一人、いた修士は既に人知れず下がっており藍氏の家僕か門下生を客坊へと呼びに行ったのだろう。
藍忘機の事は義兄に任せればいいとして、藍曦臣だ。
「藍宗主」
「大丈夫ですよ、江宗主」
そうだ、彼は金丹で酒精を消す事ができるのだ。江晩吟は、ほっと安堵した溜め息を吐いた。
しかし、安堵するには早かった。
江晩吟が知らないだけでこの男は、藍忘機のように飲んで眠ってから訳の分からない酔い方をするわけではないのだ。
酒宴に誘われて致し方なく飲むことはある為、沢蕪君や藍宗主の幻想を挫かないようにする事には長けていた。
藍曦臣は、にっこっと花を咲かせるような微笑みを浮かべると、江晩吟の手を握る。
「ら、藍宗主?」
「どうして、離れていこうとするのです。江宗主。
傍にいてくださらないなんて、身が引き裂かれるような思いです」
ちょーっとまてー???声がいつもより大きいし、琥珀の瞳がうるんでいつもより色香を放っていないか?
その仕草は上品で、どこの仙家の美しい仙子すらかすんで見える程に可愛らしい。
この場にあつまる誰よりも大男であるにもかかわらず、どこの仙女だ?天女か?と見間違えるほどに美しく可憐であった。
「いついかなる時も、貴方を想って生きてきているのに……」
「藍宗主」
「ねぇ、江宗主…」
「な、なんだよ……いや、何ですか」
いい寄られているのは江晩吟のはずなのに、藍曦臣が儚い美姫のように見える。
これで、彼を突き放したら非難を浴びるのは己になるのではないか?!という程に、注目されていた。
ひそひそと「もしや、藍宗主は従なのでは?」「いや、そんなまさか」「江宗主は、やはり主であったか」などと囁かれ始めている。
逆!逆だ!!!そう、そんなまさかだ!!!あんた偉いぞ!と、江晩吟はそちらに目を移してしまう。
「だめですよ、江宗主」
しかし、顔を掴まれ強制的に藍曦臣に顔を向けられてしまうのだ。
「私を見てください」
「っ!」
主としての霊力は込められていないが、面食いである江晩吟はうるんだ瞳の目の前の美丈夫から目が離せない。
「ねぇ……私の江宗主」
「な、なんだ」
「この場に、以前貴方を虐めた人達がいらっしゃるでしょう?」
今まで感じた事のない空気が、藍曦臣からあふれてくる。
「私はね、その方々を許したつもりは毛頭ございませんよ」
先ほどまで、天女だ仙女だと見とれていた者たちも、ずん!!!とのしかかるような威圧に圧倒された。
それが、藍曦臣からの威圧だと気づいた者は、すでに逃げ出そうとしている。
逃げ出さない者は、平然としている為に選んで威圧をかけているのだ。
そんな事も出来るのか、凄いな…どんな仙術?と、頭を混乱させている。
これでは、金凌が催した宴がダメになる!と、周りを探った。
しかし、金凌は小双璧を心配しているだけで、この状況は気にしていない。
むしろ、逃げ出そうとしている者を家僕たちが出入口を塞いで逃がさない。
「おい、何をしているんだ!藍宗主!!」
「お仕置きしております。しつけとも言いますね」
「それ、俺にではじゃないな!?」
「なぜ、私が江宗主に仕置きをしなければならないのでしょう?あなたは、こんなにもいい子であるのに」
「藍宗主……」
にこっと微笑みを浮かべるが、同時にぐえ!だとかうう!!だとか、花の笑顔には似つかわしくないうめき声が辺りから上がる。
しかし『いい子』と言われた江晩吟は、そのうめき声が耳に届かない。
酒を一滴も飲んでいないのに、頬が紅くなる。
「赤くなってる場合かぁああ!!!
何!?これどうなってんの???!!
なんで、苦しんでる奴らがいるんだよ?!」
「……兄上は、修位も高く主としても上位……。ご自身の威圧と仙術を使い、主に対して仕置きをしているんだ」
「そんなん、できんの!?」
「普通はできない」
「だよね!??」
「威圧は、第三の性がある者にしか利かないらしい」
「あ、だから俺たち大丈夫なんだな?」
つまり第三の性がある者に関しては、影響が多少なりともあるようだ。
ばっと振り返ると、小双璧を介抱していた江晩吟の側近と修士が親指を立てる。
「二人は大丈夫です、師兄!」
「藍氏って本当に酒に弱いんですね!大師兄!」
お前らもグルかい!!!と、魏無羨はツッコミを入れた。
身内で知らなかったのは、どうやら江晩吟と魏無羨らしい。
「前々から奴ら、うちの宗主に威圧とかかけててムカついてたんですよねー」
「藍宗主に相談したら、たまたま坊ちゃんがいらっしゃってー」
「「ねー」」
「男が向き合って、ねーって言い合っていいのはそこで伸びてる奴らくらいだそ」
もはや嬉しそうに言っている師弟二人に、魏無羨は口元を引くつかせた。
「まぁまぁ。平然としてらっしゃる宗主の方々は、我らの味方なので」
「そうそう。苦しんでる奴らだけですよ、敵は」
敵って言い切ったぞ、この側近!!!
「藍宗主」
「何かな、江宗主」
「俺は、金凌が用意した宴を楽しみたいから、もうやめてくれないか」
「うん、解った」
十分に自分の主の顔を堪能してから、江晩吟は威圧するのをやめて欲しいと頼んだ。
するとその宴会場を支配していた重苦しい威圧感はなくなり、何名かの屍累々が出来上がっていた。
それを平然と見ながら、酒を飲んでいる宗主たちも宗主たちだ。
「なんだ、今宵用意した酒はそんなに酒精が高いものだったのか?」
金凌が、白々しく側近に話しかける。
「ああ、もしかしたら酒精を薄める調合を間違えてしまったのやもしれませんね」
「そっか、それは大変だな。酔いつぶれた客人を、客坊つお連れしろ。きっちり名簿を作っておけよ」
阿凌、その客坊は独房じゃなかろうな???と心配知るように、上座にいる甥を二人の叔父は見上げていた。
ふん……と、満足気にして座りなおす。
「余興は終わりにして、今夜は無礼講といたしましょう」
うちの子が、あの阿鼻地獄を余興って言い切った!!
口元を押さえて、くらっと眩暈を起こした。それを江晩吟は己の主に、魏無羨は己の夫に支えられた。
藍氏の門下生がやってきて、酔いつぶれている小双璧を客坊へと連れて帰る。
「お二人は、確か金宗主のお部屋に運べばよろしいんですよね?」
「うん」
運ばれてく二人を見送っていると、歐陽子真もついて行くのが見える。
どうやら、宴の後に四人で集まるという話が付いていたようだ。
しかし酔いつぶれていて大丈夫なのか?
――それ以降、普通の酒宴のように酔いつぶれたりする者は多々出たが問題もなく宴は終わりを迎えた。
金凌は、小双璧が運ばれてからすぐに席を立っている。
江晩吟と藍曦臣は、勝手知ったる敷地で自分たちに与えられた客坊へと向かっていた。
金凌の世代となってから、藍曦臣は普段使っていた客坊ではない所に通されるかと思ったが当たり前のようにそこに通されている。
藍曦臣の客坊は、会場から遠く離れており静かな離れの様な庵だ。
江晩吟は、金光善が生きていた時に姉と使わせてもらっていた場所を提供されていた。
「あいつ、俺から逃げたな」
「まぁまぁ、江宗主。彼の協力があってこそですから」
「あなたもあなただ!!なにも、こんな事をしなくたって俺は大丈夫だ!」
「守りたいと言ったでしょう。江宗主」
「……」
藍曦臣は江晩吟の手を取り、ちゅっと指に口づけをする。
「誰かに見られたらどうするんだ」
「どうせここにいる方々には、私たちの関係なんてばれてますよ」
「だったら、ここで首飾りでもつけて過ごすか?俺はそれで、構わないぞ」
とんとんと、喉元を空いている手の親指で指し示す。
「足だけでは……足りませんか?」
「足りないな」
「……あの姿は、私にだけ見せてくださればいいのに」
「ここしばらく貴方に抱きしめられたくても抱きしめてもらえず、
口づけを欲しても出来ずに、
貴方に撫でて欲しいのに強請る事ができない。
ずっと我慢している俺に、貴方は褒美をくれないのか?」
眉尻を下げて肩も落としている藍曦臣を見て、握られていた手をそっと引き寄せて同じように口づける。
ぐぬぬ…と、藍曦臣が唸り声をあげた。
「……それ、ずるいと思いませんか?
私だって、貴方を抱きしめて貴方に口づけて貴方を撫でたいのを我慢して、仕事をこなしているんですよ」
「なら、今してくれよ。俺をあなたの部屋に入れてくれ」
「帰してあげれませんよ」
「帰さないでいい」
いつにもまして積極的に、江晩吟は藍曦臣に抱き着いた。
あんなに強い威圧をすれば、従は上位の主を求めて近づいてくる。
現に、二人の後をつけてきている者もいて藍曦臣が一人になるのを狙っているのだ。
鈍いこの男は解らないだろう。
「常にあなたのモノだという印を、誰にでも見えるようにしたい」
「江宗主」
「そうしたら、藍宗主。あなたが誰のモノなのか、解るだろう?」
そう、従は主の耳元でささやくのであった。