とある石碑の話 我はこの地を見守る石碑。
元は魔族だったが、石碑の仮面に魂を宿してこの地をずっと見守っている。
この地は数百年前に忌まわしき悲劇があり、その時に一度滅びている。我もその時に命を落とし、生き残ったのは幼い王子殿下ただ一人。
さて、話好きでここに留まる我の話を聞いてもらおう。
昔々の、滅びてから今までのネクロデアの話を。
悲劇は突然に起こった。
バルディスタの卑劣な将軍、ゾブリスが攻め入ってきたのだ。
ヤツは幻術を使い、味方同士を殺し合わせ、我らを皆殺しにした。
幼い王子殿下を人質に取られた魔王陛下はその手で王妃陛下を迷わず殺し、解放されたと見せかけた幻術の王子殿下に胸を刺し殺された。
美しく鉱夫たちの歌声が響く国が、一瞬にして血の海になったのだ。
王子殿下はお可哀想にもその右眼を抉られ、殺されかけた。そこを友人であった赤毛の少年が助けに入り生き延びたのだ。
それが、後のファラザードの魔王、ユシュカ殿だ。
我らの悲しみはこの地に悲憤の灰を降らせ、この地を隠してしまいたいという心と、ゾブリス将軍への怨念へと濡れた。
我らの魂は呪術師により、この地を守る為に暗鉄神ネクロジームを祀る石碑の仮面へと宿され、我はこの姿となった。
この地は封印されたが、訪れるものがいないとも限らない。我らはそやつらにひきかえせと声をかけ、ゾブリス将軍を貫く、魔剣アストロンの封印を守る役目を担うこととなった。
生き延びた王子殿下は、どれ程お辛い時を過ごされたのだろう。
王子殿下は時々折に触れてネクロデアを訪れ、我らの魂を弔い、慰め、墓をたててくれた。
しかし、それでも我らの悲しみは癒えず、緑豊かな地だったはずのネクロデアは、至る所にしかばねの横たわる不毛の地へと変貌した。
ハハハ、今の姿からは想像もつかぬだろう。
美しく整備され、かつてとは違う植物たちだが、緑が豊かになった現在からは。
そんな場所に、我らの警告も無視して旅の者が現れた。
旅の者は王子殿下に力を貸し、魔剣を封印していた霊たちと話をつけて封印を解いた。
こうして物質に魂を宿した我らとは違う、この地に留まり続けた魂たちと言葉を交わせたのだ、並外れた霊感の持ち主と言えよう。
そうして王子殿下は封印の解かれた魔剣を引き抜き、鉄塊化していたゾブリス将軍を仕留めようとした。
しかし、それを邪魔したのがユシュカ殿に切り落とされたゾブリス将軍の左腕だった。
ヤツめ、いたいけな少女のフリをして王子殿下を油断させ、封印が解かれる瞬間を虎視眈々と狙っていたのだ。
幻術を食らった王子殿下に代わって、ヤツを討ってくれたのは、この地になんの因果も持たない旅の者だった。
幻術にも惑わさない強靭な精神を持ち、この国を破滅に追いやった将軍相手に勝利したのだから、かなりの人物だ。
後で知ったのだが、この地で魔物となりさまよっていた歴戦の元ネクロデア兵たちを次々と切り伏せて成仏させる程の手練らしい。我ながら凄くヤバい奴が現れたと思ったぞ。
旅の者がゾブリス将軍を討ってくれたお陰で、我らの魂はようやく安らぎを得て、仮面仲間たちも成仏し、悲憤の灰も降り止んだ。
魔王陛下は最後まで民たちを見送ってから逝かれると仰っていたが……まぁ、我が残っている理由は後に話そう。
それから、王子殿下は魔界の戦乱の中に身を投じられ、折に触れて旅の者が度々訪れて話し足りない我の話を聞きに来てくれた。
代わりに旅の者は魔界で起こっていることを我に教えてくれた。
魔界で大戦が勃発したこと。新たなる大魔王が即位したこと。大魔瘴期が訪れたこと。勇者が襲来したこと。異界滅神の封印が解かれてしまったこと。
旅の者も忙しかろうに、時々この地を訪れては、我らに昔の話を聞きたがった。
やがて、時が過ぎて、旅の者は王子殿下と再びこの地を訪れた。
決意に満ちた目をして、彼らはこの地を再興するのだと言ってくれた。
魔王陛下が仰った、王子殿下が生きておられる限り、ネクロデアは滅びていないというお言葉の通り、王子殿下はこの地を再び美しい国へと再興してくださった。
その隣には、旅の者……いや、王子妃殿下がいらっしゃって、魔王として即位なされた王子殿下……ナジーン陛下を支えてくださった。
王妃陛下となられた旅の者が、ナジーン陛下の頭上に冠を戴いた即位式はそれはそれは素晴らしいものだったが、どうして王妃陛下がと我は疑問を口にした。
すると、王妃陛下が当代の大魔王陛下その人で、異界滅神ジャゴヌバを討伐せしめた英雄だという。
神々の寵愛を受け、未知の力を持ち、二度も命を落とした稀有な存在。
そんな傑物が運良くこの地に訪れたことを、我は非常に感謝したものだ。
そして、そんな彼女が、ナジーン陛下を支えてくださる存在になられたことが、嬉しくて仕方がなくて危うく逝きかけた。
この地に人が戻りだし、再興を見届けた魂たちが安らかに逝くのを、我は見送った。
先代の魔王モルゼヌ陛下は頑なに逝くのを拒絶されたのだが、ナジーン陛下がその役目を引き継ぐと言ってくださったのだ。
こうして、我はこの地に残ってこうして話をしている。
やがて年月が過ぎても、王妃陛下もナジーン陛下も我の元へ度々足を運んでくださった。
「おはよう、いい朝ね」
朝靄のかかった広場で、ショールを羽織った王妃陛下が楽しそうに我に微笑み、いつものように言葉を交わしてくださった。
優しく瞳を眇め、朝の冷たく澄んだ空気を美味しいと笑い、この地の再興をお喜びになられる。
「ここにいたのか」
「ナジーンさん」
しばらくして、少し慌てた様子のナジーン陛下が現れ、王妃陛下の肩にご自分の上着をおかけになられた。
「べつに寒くは……」
「着ていなさい。きみはもうひとりの身ではないのだ」
王妃陛下を抱き締めて、ナジーン陛下は心配そうな顔をしていらした。
「目が覚めて隣にきみがいなかった時の私の絶望が分かるか?」
仲睦まじい陛下たちは、ナジーン陛下が存外に過保護で、元旅人で破天荒な王妃陛下のストッパーとなられていた。
魔王ユシュカの副官としても働いていらしたナジーン陛下は、振り回される星の宿命にあるのだろう。
ご本人はそれを嫌だとは思っていらっしゃらないようだったし、王妃陛下をそれはそれは愛しておられた。
王妃陛下はこうして城を抜け出したり、あちらこちらに顔を出して回って、時々ナジーン陛下を困らせていらしたが。
王妃陛下はナジーン陛下にとても愛され、何人かのお子をこの世に残された。
王妃陛下は魔族ではなく、アストルティアの人間で、五千年前にお生まれになられた方らしい。
けれど、生きられる時間は百年に満たず、ナジーン陛下たちに見送られながら、我々から見たら短すぎるその生涯を閉じられた。
二人の大魔王を勇者の盟友としてくだし、異界滅神さえも討伐せしめた稀代の英雄。始まりの大魔王ゴダに対して、終わりの大魔王と呼ばれるお方。
かのお方が生きていらした期間は、魔族にとってはとても短いもので、かのお方を知るものは多いがその全容を知っているものは少ない。
容姿を隠すフルフェイスのヘルメットに、漆黒の大魔王の衣装を纏ったお姿を知るものは多くとも、魔族ではない彼女の過去を知るものはいないに等しいし、お姿も大魔王岩壁や、数少ない絵画に残されたものにしかない。
そのひとつが、ご成婚を祝して描かれた絵画であったり、王妃陛下が遺されたアストルティアの技術、写真なるものであったりだ。
王妃陛下は、この地に沢山のものをくださった。奪われて、悲しみ、憤り、恨み、苦しみしかなかったこの地に、柔らかな風を吹かせ、光をもたらしてくださった。
両親と国と右眼を奪われたナジーン陛下に、新たに家族と帰る場所を与えてくださった。
我はまだまだ話し足りぬ。
まだまだ、話を聞いてくれ。
魔界に救いをもたらしてくださった、終わりの大魔王の話を。