秋涼乾燥しきった冷たい風が、杯に入った酒を揺らした。
水面に映る月と眼も揺れ、輪郭を失い溶けていく。
俺はその様を只々眺めながら、酒に口を付けることなく物思いに耽っていた。
*
「縁側で独り月見酒とは乙なものですね、師匠」
「来たか、不肖の弟子よ。お前は何時も俺がひとりを嗜もうとすると横槍を入れに来る」
「それは師匠が独りで美味い酒を呑もうとするからですよ。天狗という怪は酒好きな事、ご存知でしょう?」
「戯言を。お前ならもう少しまともな法螺を吹けるだろうに」
「相変わらずつれませんね、師匠。──おや、涼やかで良い風だ。もうすっかり秋ですね」
「秋といえば豊穣神達があくせく働く頃……。彼らと同じ狐神として、何か想うところは」
「無い。」
「そう食い気味に答えなくても良いじゃありませんか、せっかくの酒の席なのに」
「お前と呑んだ覚えは無いぞ、不肖の弟子。」
「やれやれ、中々話が続きませんね。」
「……仮にも、神の名を冠する者達が人間等という脆弱で愚かな者達に施しを与えようなぞ……無駄な事だ」
「そんな擦れた事を告げておきながら、実際の所は働きたくないだけだったり」
「応えた所で巫山戯るのなら会話を続ける意味は無い」
「嫌だなあ、少し遊んだだけじゃないですか。その眼差し、此の風のように冷たいですね」
「……。」
「……ねえ師匠、私は春風も好きですが秋風も好きなんですよ」
「春風が全てを芽吹かせる祝福の風ならば、秋風は全てを眠りに導く安息の風……というよりは」
「命を次なる代に託す為の、結びの風だと想うのです」
「人々は散りゆく木の葉などから寂しさを感じる節があるようですが、私はそうは思わない。」
「だって、役目を終えて眠りにつく事こそ一番の救いじゃありませんか。」
「……貴方はどう思いますか、師匠?」
「知ったことか。詩を認めたいのなら人に化けてやれ」
「ふふっ……こんなこと、私の事情を知らぬ者に告げたところできょとんとした顔をされるだけにございます。しかし、ああ──今宵は良い月だこと。師匠も面を上げて眺め観たら如何です?」
「必要ない。酒に照り返される月ですらこうも輝いているというのに……直で観たが最期、眼を焼かれかねん」
「師匠……意外に貴方も言葉遊びがお好きなようで何よりです」
「……。」
*
口を噤んだまま、杯に僅かに注がれた酒をぐいと呑み干した。
生きる事を放棄した等とほざきながら、他者を気にかけずには居られなかった優しく愚かな不肖の弟子。それが手塩に掛け育て上げた童もこの社を出、ようやっと望み続けた真なる孤独を手に入れた、今になって。
何故過去の事を想い起こしたりしたのだろうか。
静寂轟く社には何の気配も無い。
聞こえてくるのは秋風の残響だけだ。
心臓に纏わりついてくる空虚の感は、弟子の創った出来の悪い酒を呑み干してしまった故の……いや。
秋風に吹かれようが次なる代に何も託せない愚かしさから来るものだろう。
そう想い綴る事にした。