嫌いが好きになった日 後編稽古が終わり、立花と約束していた19時半まで組長として書類を片付けようと思っていた。だが、フミさんに「今日は誕生日なんだからそれくらい明日でもいいだろ」と止められ、今は組長部屋で2人でお茶を飲んでいた。
「それにしても今年もすごいのたくさんいたな。特にジャックエースやってたやつなんか新人公演からの伸び、すごくないか」
「そうですね。あいつ、去年の織巻みたいに分からなければ躊躇わずに聞きに来るので他のやつより伸びがいいんですよ」
「へえ。あとは歌の上手いやつもいたな」
「ああ、あいつはもう少し肺活量が上がればもっと良くなりますよ」
「ふーん。ミツ、しっかり組長してんだな。きちんと一人一人を見てやれてる」
「僕なんかまだまだですよ。根地さんみたいにその子の可能性を見つけてあげれていないし得意不得意もまだ全然判断できていません」
「そこはソーシとしっかり相談して決めていけばいいだろ。あとは希佐も交えたりしてさ。あいつ、しっかり先輩してんだろ?今日見た感じだと1番相談相手になってるみたいだしそれぞれの個性とかも分かってるんじゃないか?」
「そうですね、立花にも声をかけてみようと思います」
確かにそうだ。希佐は僕たちの中で1番後輩に頼りにされておりよく質問をされている気がする。そのため、5月の前半頃には話したくても話すことが出来なくて、心がすれ違っていた時期もあったが今ではそれもいい思い出だ。
「ん、そーしな。……あ、そろそろ時間だな、食堂行くか」
「ああ、そうですね。フミさんはどうします?」
「カイは織巻といるだろーし、クロはソーシと話してるだろうから一緒に寮行くかな。多分2人ともそっちにいるだろうしさ」
「わかりました、じゃあ行きましょうか」
2人で組長部屋を出て、クォーツ寮に向かう。フミさんはペースを僕に合わせてくれているらしく身長が全然違うのに幅が開くことは無い。
「あ、そういえばミツ。希佐とは仲良くやれているか?」
「え、はい、まあなんとか。でもどうして急に?」
フミさんの問いかけの意図が分からなくて聞き返せばフミさんはすました顔で答える。
「お前、希佐とすごい仲良いじゃないか。でもあいつ、後輩の面倒ばかり見て自分のことあまりやれてないんじゃないかって今日の練習見てて思ってさ。だから稽古後、取り返すためにみんながいなくなった後に必死に稽古してんじゃねーかなって」
「ああ、そうですね」
なんとなく現段階でフミさんの言いたい事は分かったが彼の口から直接正解を聞きたかったので先を促すように返事をした。
「無理してる希佐のこと、お前放っておけないだろ?去年までは俺が何となく外に連れ出してストッパーしてやってたけど今年はそれできねーし。希佐、大丈夫じゃねーくせにずっと大丈夫ですって言い張って喧嘩してんじゃねーかなとかとか思ってさ」
「ああ、そういうことですか。まあ夏公演練習始まってからはしょっちゅうでしたね。喧嘩してたのは僕だけじゃないですけど。……あいつ、フミさんから受け継いだ華だからって一生懸命やってたんですけど明らかにオーバーワークしてて世長、織巻、鳳、僕で止めてた時期もあったんですよ。それでも止まらなくて言い合いになってたところに菅知と御法川が来てやっと止まりましたね」
苦い過去を思い出し渋い顔をすればそれを見たふみさんが苦笑する。その顔にははっきりと「おつかれさん」という言葉が浮かび上がっていた。
「へー、そんなことがあったんだな。大変だな、ミツも」
「大変なんてものじゃないですよ、なんであいつ、あんなに頑固なんですかね。こっちが心配してんのわかってるんだか」
「おお、ミツが怒ってるよ。怒るくらいならそもそも関わらないようにしてたのに、成長したなー」
「立花に関わらないなんて無理だと思います。それに今クォーツの中であいつが1番言うことを聞くのが組長である僕ですから、関わらないなんてしたらエースの不調でクォーツが崩れますよ」
「まあ、そりゃあそうだな」
たとえ僕が組長ではなくても希佐に関わらないなんて無理だろう。あいつはいつの間にか人の心に入り込みその人の心を動かす才能を持っている。そして僕はその才能に感化された1人だ。
人と関わるのを嫌い、必要最低限しか関わりを持たず一人でいた僕がこうやって組長を引き受けるくらいにはあいつの才能に感化されていた。そしてあいつを好きになったんだ。組長ではないとしても恋人として無理をする希佐をほうっておけるわけがなかった。
「お、もう着くな。この道も久しぶりだわ」
フミさんの声に視界をあげればたしかにすぐ目の前にクォーツ寮があった。そしてそこにはカイさんの姿がある。
「フミ、コクトは一緒じゃないのか?ならやはり、世長の部屋か?」
「ああ。なに、クロいねーの?」
「ああ、学校とか寮の中はだいたい探したんだが見つからなくてな。世長にも会っていないから部屋なのだろう」
「あいつ、後輩の部屋に入り浸ってんのかよ」
クロならやりかねんな、とフミさんは呆れたように笑いカイさんも微笑んでいる。
「あ、そういえばミツキ。立花なら既に食堂にいたぞ」
「あ、そうだったな。引き止めちゃってすまんな」
「いえ、フミさん達とお話するの楽しかったので気にしないでください。じゃあ、僕はここで失礼します。また、顔出しに来てください」
「言われなくたって来てやるよ。夏公演あ楽しみにしてんな」
「ああ、また3人で来よう。組長、大変だと思うがミツキなら大丈夫だ。これからも頑張れ」
「はい、ありがとうございます」
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フミさんたちと別れ、食堂に向かうと希佐がこちらに気づき「白田先輩」と駆け寄ってくる。
「ごめん、フミさんたちと話してたら遅くなった」
「大丈夫ですよ、久しぶりに会えて話したいことたくさんあったでしょうし」
「フミさん、お前の心配してたよ。無理してないかって。夏公園の練習開始直後の話したら怒ってたぞ」
「あはは、昨年からフミさんや白田先輩には心配ばかりかけてますね」
「自覚あったんだ?ならこれからは自分のこと蔑ろにはしないでよ」
「なるべく気をつけます……」
料理を受け取ってから2人並んで席に座りご飯を食べる。今日はスープセットだったので白田先輩も止まることなく食べていた。クォーツ生の半分近くが既に食事を終えていたので食堂にいる人数は普段と比べて少なかった。
「立花、このあと時間ある?相談したいことがあるんだけど」
「はい、大丈夫ですよ。あ、でも私の部屋でも大丈夫ですか?ちょうど白田先輩に渡したいものもあったんです」
「分かった。じゃあ一旦部屋戻ってからそっち行くから」
まだ生徒も多いので2人で過ごしたいとは言えなかった。だが希佐は僕の言葉からその意図を理解してくれていた。
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食事が終わり、分かれ道の前で別れ自室へと向かう。稽古後、一度も戻ってなかったので持っていた稽古に使った練習着や道具を片付け紅茶の茶葉とティーポットを持って部屋を出る。
希佐の部屋の前に着き、ノックをすればすぐに扉が開き主が顔を覗かせた。
「白田先輩、早かったですね」
「部屋ですること、片付けくらいだったし」
希佐に促され中に入りながら先程気になったことを注意する。
「希佐、いくら僕が来るって分かってても鍵はかけとけ。何かあってからじゃ遅いんだから」
「ごめんなさい……」
「別に責めてるわけじゃない。ただお前が心配なんだよ。ここは男子校、だからな」
「はい、これからはしっかりと鍵をかけます。ただでさえ忙しい美ツ騎さんに余計な心配かけたくないですし」
希佐が扉が開く時、鍵の音が聞こえなかったのだ。いくら美ツ騎が来ると分かっていてもここは男子校で希佐はすごく可愛い顔立ちをしていることを忘れて欲しくなかった。実際に僕も、1年の頃3年の先輩に無理やり押し入られそうになったことがある。その時は、偶然通りかかったフミさんに助けてもらったのだった。それ以降、どんな時でも部屋に鍵をかけるようにしている。
「これ、持ってきたけどキッチン使っていい?」
「あ、はい。ありがとうございます。じゃあ私はその間にこれ、切っちゃいますね」
「タルト?どうしたの、それ」
「フミさんたちにお願いしていたんですよ」
その言葉で今日、なぜ希佐が稽古に遅刻してきたのかが分かった。きっとフミさんに自室の鍵を渡していたのだろう。
僕にとってフミさんは良い先輩だが、それでも彼女の自室に彼女がいない時間に入ったのはあまり良い気はしなかった。だが、それはフミさんではなく周りに対して全く警戒心のない希佐にいうことだ。
注意しようとして希佐の方を向けば楽しそうにタルトを切り分けている希佐が視界に入る。今、それを言ってしまったらまた彼女が落ち込んでしまいせっかく用意してくれたタルトも彼女が楽しめなくなる未来が見えた。それは美ツ騎も本望ではなかったためその注意を今は飲み込み全てが終わってからにしようと心に決める。
「これ、二人じゃ食べきれないだろ」
「そうですね、後でスズくんたちに私に行きましょうか」
「そうだな、2人で食べるにしても半分だな」
希佐が買ってきたタルトは1ホールのレモンタルト。甘いものがあまり得意ではない美ツ騎のために選んだのだろう。だとしてもやはり食べ切れるのは半分までだ。残りの物は後で世長と織巻に持っていこうと決めラップに包んだ。
「このタルト、すごく美味しいですね。それに今日の紅茶にもすごく合いますね!」
「そうだな、レモンの酸っぱさが紅茶の良さを引きたてている」
美ツ騎が今日持ってきた紅茶は最近新しくお店に並び始めたものだ。なので美ツ騎も飲むのは初めてだったがレモンタルトと相性がすごく良くて思わず頬が緩む。向かい側で食べている希佐も嬉しそうにタルトをつついておりその様子が微笑ましかった。
「あの、美ツ騎さん。もう一つプレゼントがあるんです」
そう言って彼女が差し出してきたのは小さな四角い箱。中を開いてみれば綺麗な青い色をした指輪が入っていた。
「これみた時に、去年の夏合宿で行った洞窟を思い出して。あとこれ、2つ売ってたからお揃いなんです」
そう言って希佐は首元にぶら下がっていたネックレスを服の内側から出して見せてくる。確かにその先端には同じ指輪があった。
「綺麗だな。これに通せばいいの?」
ボールチェーンをもって聞けば頷き付けますよと言って僕の手からそれを奪う。そして首元に冷やりとした感覚がして直ぐに出来ました!という彼女の声が聞こえた。
「うん、綺麗だな」
「ふふ、ですよね。見た瞬間、これお揃いでつけたいなって思って」
「何それ、可愛すぎだろ」
「え……」
可愛いという言葉に照れてそっぽを向いてしまった彼女の隣に移動し耳元に口を寄せた。
「ん、ありがとう。僕も希佐とのお揃い嬉しいから。これで少しは牽制になるかな」
「え?」
「ううん、なんでもない。それより、希佐……」
すぐに意味を正しく理解できなかった無防備な彼女にタルトの際の事や先程も話した鍵の事などをじっくりと時間をかけ教えこもうと、少し空いていた距離を全て詰める。それに反応して身を引こうとしたが腰に腕を回し阻止をする。
……まだまだ夜は始まったばかり。
希佐にはとても甘いお仕置がまっていましたとさ!