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    yooko0022

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    yooko0022

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    マクファーレン家IF④/オリ♀シェラ前提のアンオリ♀/2学年時後半くらい/旧家令息のアンドリューズから見たシェラの『飼い猫』について/シェラ-アンドリューズのあまり噛み合っていない幼馴染関係も好きだけど、この二人は取り巻く環境の倫理観が狂っている/かなりの特殊設定につきなんでも大丈夫な方向け

    【そして訪れない春を知る】 それを響かせたのがシェラであったのならば、まだ耐えられたのだ。


    * * *


     『猫』を飼い始めたという噂は知っていた。
     この場合の『猫』は四足の獣ではなく、二本の脚で立っている。言葉を解す。知能がある。知性がある。浮いた腕で杖すら握る――つまるところは人間で、けれど家名に歴史がない。その一点を理由に彼ら彼女らは旧家の社会において数段劣る存在として見なされる。
     さもありなん。血に培ってきた神秘を宿さぬことが明白なのだ。自らの血を次の世代へと、それも出来る限り強化したかたちで繋ぐ――旧家の魔法使いに課せられた至上命題に能う『価値』を有していない。
     だから『飼い犬』で『飼い猫』だった。ソレには愛玩する以外の用途がない。まともな・・・・魔法使いの侮蔑と嘲弄。それだけで十分だ、愛させてくれる以上の価値などない。狂った・・・魔法使いの執着と愛着。……十と少しを数えた程度の少年であるアンドリューズでさえ時折伝え聞く程度の愁嘆場。
     だからこそ。
     信じたくなかったのかもしれない。
     自らに強烈な劣等感を植え付けた比類ない天才が、そんな、目に見えた破滅の道を選ぶなど。


    「オリバー!」
     軽やかな声だった。春の訪れに吹く風のような。凍てつく冬の寒さを拭う報せに似た響き。
     爛漫と咲き誇る花々で彩られた街道に相応しい少女の声は、ゆえに、アンドリューズの鼓膜を猛烈な違和感と共に揺さぶった。
    「――――」
     驚愕を、外に漏らす愚は犯せない。アンドリューズの周囲には少なくない数の取り巻きがいて、その輪の外からも『名門・アンドリューズ家』の令息を見定めようとする視線が向けられている。己の一挙一動が生家の評判に直結する重圧は十五歳の少年の心身を雁字搦めに縛り上げていた。
     動かすことが出来たのは、視線だけ。
     新入生でごった返す中であっても豪奢な金の縦巻き髪ロールヘアはよく目立った。……そもそも、彼女という存在が群衆に紛れることなどあり得ないが。気品に満ちた立ち居振る舞いも、金髪と碧眼に褐色の肌を備えた容貌も、滲み出る魔法使いとしてですら規格外の資質も。彼女を構成する要素のすべてが彼女を有象無象に混ざることを赦さない。
     勿論。彼女――シェラとて自覚しているのだろう。だからこそ常に周囲への気配りを忘れない少女だった。それを知っているからこその、猛烈な違和感。
     旧家の子女が集まる場においても穏やかな態度を崩さない彼女が――余りにも完璧すぎるせいで畏敬というかたちで遠巻きにされる少女が――感情を、露わにしている?
    「ここにいましたか。……良かった。この人混みの中ではぐれてしまっては入学式前に合流できないところでした」
     社交の場で見るような豪奢で重たいドレスではなく、活動性を重視したキンバリーの制服姿。けれど足取りの軽やかさは衣装に由来するものだけではないだろう。
     行進パレードを前になにやら言い争っている長身の少年と巻き毛の少女へと歩み寄っていくシェラは微笑みすら浮かべていて――そこでようやく。アンドリューズは口論を続ける少年と少女を仲裁するような位置に、もうひとり、人影があることに気が付く。
    「……」
     特徴らしい特徴のない人物だった。
     高くも低くもない背丈。ありふれた髪と瞳の色。顔立ち自体は整っているが、それとて印象の残らなさに拍車を掛けている。
     例えば曲がり角でぶつかりそうになったとて、その数分後には容貌の詳細を忘れているだろう。人混みの中ではぐれてしまったのならば探し出すのに苦労するのも頷ける。シェラとは真逆の、ひどく地味な少女だった。
     その少女を一目見た瞬間のアンドリューズの心境は形容しがたい。
     困惑であったし、――怒りですらあった。

     欠け一つない広く大きな器。アンドリューズにとって完璧に最も近しい人間とはミシェーラ=マクファーレンのことを指す。自らは彼女の大幅な下位互換。この自己評価が覆ることは生涯ないだろう、と。十代の半ばにしてアンドリューズは諦念と共に悟っていた。
     だからこその、怒り。

     アレ・・がそうなのか、と。
     あんな、いかにもな凡俗がミシェーラ=マクファーレンの傍に立つことが許されていいのか、と。

     ……シェラの友として在ることを自ら拒んだくせに、シェラに友愛で以って微笑みかけられている少女を見て身勝手な憤りを覚えたのだから始末に負えない。
     後から顧みればあまりに稚拙な感情の乱れで。けれども幼馴染への劣等感と負い目から歪な処世術を育んでいた少年にとって、その『飼い猫』は許容出来ない存在として映った。

     直後に発生したトロールの暴走に対し、彼女が風を用いて対抗策を編み出したこともアンドリューズの神経を逆撫でする。
     ――『風の扱いといえばアンドリューズ家』、だ。にもかかわらず、入学式前からああも器用な応用を見せられてはアンドリューズの面目を潰したのも同然――同級生と、そして彼女自身の命が掛かった状況で考案された最適解を見て思ったことがそれなのだから、当時のアンドリューズの世界はつくづく捩くれていた。
     発端からして言い掛かり。けれども、オリバー=ホーンという少女がアンドリューズの中で自身の一切を否定する存在へと成り果てるまでにそう時間は掛からなかった。
     挙句の果てに観衆の目前で無様を晒す事態となったのは、自業自得でしかないだろう。


    * * *


     一度大きな失敗を犯してしまうと、後は思いのほか気楽なものだった。

     オリバーとナナオを貶めるために持ち得る伝手を使ってアンドリューズ家と関係のある家々の生徒たちを集めたことが裏目に出て、闘技場の一件以降のアンドリューズは周囲から遠巻きにされる結果となっていた。
     当然だ。脅威に対して一度は背を向けて情けなくも逃げ出した姿は、アンドリューズの取り巻きだった彼ら彼女らの網膜にしっかりとこびり付いたことだろう。
     けれども心はひどく凪いでいる。死よりも恐ろしかったはずの失望と憐憫の眼差しを受け止めることが出来ていた。

     言葉ひとつで世界は変わる。

     自在に変化する風の扱いに長けると自負していたくせに、鼓膜を震わせる声が心をも震わせることがあると、知らなかった。


     最後の頁に指を添えて、アンドリューズは本から顔を上げた。
     図書室内に設けられた読書スペース。長机の端で読書に耽っていたアンドリューズは目元を軽く揉む。
     のめり込み過ぎだと自省をひとつ。過度な詰め込みは身体に毒だ。一旦切り上げて、休憩を挟みつつ呪文の鍛錬に移ろう――単独で行動しているがゆえの身軽さでアンドリューズは予定を立てて椅子から腰を上げた。もっともルーティンに大きな変化はないが。ただひたすらに鍛錬の繰り返し。授業時間以外の殆どを、アンドリューズは自己の研鑽に注ぎ込んでいた。
     余裕遊びのない在り方だと揶揄されるかもしれないが、苦はない。
    「……」
     こうなってから初めて知った。
     自分は友人という名の取り巻きを多数率いているよりも、ひとりで鍛錬を積み上げて己自身と向き合う方が性に合っていたらしい。
     そういう意味ではキンバリーという環境は極上だった。

     キンバリーは治外法権だ。
     文字通り。

     誰であっても等しく命の危険に晒される魔境がゆえに、家同士の結びつきよりもその場その瞬間の繋がりこそが強くなる。
     『外』で渦巻く家同士のパワーゲームを一旦脇に置いて、学生の本分に思う存分励むことが出来る環境など連合ユニオン全土を見渡してもキンバリーぐらいであろう。
     勿論、我を貫き通すためには相応の力は必要だが。
     そして今のアンドリューズは囀る程度の挑発ならば受け流すことが出来ていたし、度を過ぎるようならば杖剣で以って黙らせてやれば良いだけだ。弱肉強食。シンプルすぎる理屈で回る環境は、成程。在学中に結果を出そうと躍起になる生徒が出るのも道理と言えた。

     キンバリー ここ は、自由だ。

    「……運が良かったな」
     アンドリューズは呟いた。自嘲じみた響きは己の口内のみを震わせる。早い時期にキンバリーという環境の特異性に気づけたことは、アンドリューズにとっては幸運と称して差し支えない。
     入学間もない時期の『やらかし』は恥ずべきことでしかないけれど、結果としてアンドリューズの世界をひっくり返した。もはや革命にも等しい。掛けられた言葉をしるべにアンドリューズは歩んでいけるのだ。歪な処世術の維持に腐心していたときよりも、多分きっと、遠くまで。
     棚に本を戻したアンドリューズは図書室の出入り口へと足を向けて、
    「――――、」

     オリバーがいた。

    「っ」
     咄嗟に別の棚へと身を翻す。
     制服の上から胸を押さえた。――決闘に興味を示さない腰抜け、と。揶揄されようとも平静を保ち続けるようになったはずの心臓が激しく脈打っている。
     トトトトト、と。打ち鳴る早鐘を宥めるように呼吸を整える。併せて血液の流れを操って、紅潮しそうになる頬から熱を引かせていく。
     ……冷静。冷静になれ。彼女や彼の前で醜態を晒すつもりか。それだけは許されない。出自によって背負わされた重圧に由来するのではなく、アンドリューズが個人として抱いたばかりの矜持が、許さない。
    「……」
     自己制御セルフコントロールは継続。胸の高鳴りを抑えつつ、アンドリューズは棚から本を探すふりをして。斜め向かいの書架に佇むオリバーへと視線を向ける。
     腰まで伸ばされた黒い髪。光を弾く射干玉は丁寧な手入れの証だ。アンドリューズ自身、髪を長く伸ばしているからよく分かる。手間暇を掛けなければああも美しい艶は生まれない。
     所作にせよ服装にせよ、丁寧に形作られた少女だった。一瞥した程度ではなんら琴線に触れ得ない、他者を不愉快にさせないための立ち居振る舞い。……以前のアンドリューズには真逆の効果を発揮していたが、それは受け取る側の問題であったと、今では認めている。
     オリバーは魔道工学関連の書籍を探しているらしい。複数の書籍を抱えた少女は更に関連書籍を求めてか、棚の上部へと視線を向けた。さらりと揺れた黒髪の隙間から白い横顔が覗く。
     白い肌に幼い頃、家の用事で赴いた北部の雪を連想した。儚く溶ける白い雪。小さな掌を真っ赤に染め上げた銀の花。じんと痛んだ掌の、冷たく熱い感覚までありありと思い出す。――勿論、雪のように儚いだけの人物ではないけれど。降り積もるかのような静寂の奥に、泥と血にまみれた修練と執念を秘めている。
     それでもどこか。儚なげな少女だった。ふと気付いたときには消えていなくなっていそうな予感すら抱かせる。だから目を離しておきたくないのかもしれない。――幼馴染が彼女へと向けている愛着を、今のアンドリューズは共感できる気すらしていた。
     オリバーの横顔を見つめながらアンドリューズは瞼を細める。目を惹く輝きがあるわけではない。けれどあまりにも眩しかった。胸が締め付けられたかのように痛む。声を聴きたいと思う一方で、会話を試みようものなら自己制御セルフコントロールで辛うじて保っている冷静さが全て吹き飛んでいく確信があった。

     ああでも。あの瞳を真っ直ぐに見つめることが出来たら、それは、どれだけ――、

    「いやもう声掛けはったら?」
    「……なんだ。君か」
    「なんだ、ってなんやねん」
     アンドリューズの隣で極端な靴国ユタリ訛りの同級生――トゥリオ=ロッシが口を開いた。
     誰かがこちらに意識を向けていること自体は察知していたし、それはアンドリューズにとっては日常なので気にもしなかった。だが、流石に声を掛けられたならば応対しないわけにもいかない。
     アンドリューズが身体を向ければ、長身の少年は瞬く。
    「キミ、真面目やなー。無視したってええのに」
    「そうして欲しいならそうするが」
    「冗談やって。……いやまぁ。さっきまでのキミに声掛けはったら怒鳴り返されるかもなとはちょっと期待・・して身構えとったんやけどな?」
    「……図書室内で声を荒げるわけがないだろう」
    「うわホンマに真面目」
     うげ、と言わんばかりにロッシが顔を歪める。流石に場所を弁えているのか声量こそ大きくはないが、身振りや表情がやたらと騒がしい人物だった。
    「生憎と君の期待・・に応えるつもりはない」
    「ありゃ。まーたフラれてもうた」
     学年指折りの決闘好きバトルジャンキーは肩を竦める。
     しかし。にまにまとした笑みは崩れない。どころか距離を詰めてきたロッシは耳打ちでもするように声を潜めた。
    「ほらほらぁ。珍しくあちらさんがひとりなんやから自然な感じで声掛けられるやろ? どの本が参考になるかとか尋ねてみたり、高い位置の本を取ろうかとか、言うてみたら?」
    「……魔道工学関連を専門的に学ぶつもりは僕にはないし、杖を振れば棚の上部の本ぐらい取れるだろう……?」
    「せやから口実やって。……うーん。言い寄られる側におるのがデフォルトやとそういう思考になるん……? ――って、」
     ロッシが言葉を区切る。彼の視線を追えば、書籍を持ち得るぎりぎりまで抱えた小柄な生徒――山のように積み重ねた本の厚みに阻まれて顔が良く見えないが銀灰色の髪からしてピート=レストンだろう――がオリバーへと近付いて来るところだった。魔道工学の分野のみならず博識さでは学年有数の人物だ。ピートならばオリバーの求めている知識にもきっと心当たりがあるだろう。
     良かった、と。口元を綻ばせたアンドリューズをロッシはまじまじと見つめてくる。
    「そういうトコはのんびりしとるって言うか……お坊ちゃんやなぁ」
    「育ちについては否定しないが」
     ともかく。
     当初の予定通りに図書室を後にしたアンドリューズは最寄りの談話室へと足を向ける。友誼の間のように飲食物が常備されているわけではないが、紅茶を淹れるくらいなら出来るのだ。
     短時間の休息のため。アンドリューズは空いていた窓際の席を選んで、
    「珈琲でええ? いやもう二人分持って来てもうたんやけどな」
     どうして彼はアンドリューズと同じテーブルに座ったのだろうか。
    「ほれ」
     アンドリューズの真正面に腰を下ろしたロッシが珈琲を注いだカップを手渡してきた。
     ソーサーも伴わないそれに戸惑う。しかし対面のロッシはアンドリューズへと伸ばしている方の腕とは逆の手で掴んだカップを平然と啜っている。
     ……同じポットに入っていた珈琲。談話室に備え付けられていたカップ。極めつけにあちらが先に口に入れた。ここまでされてなお固辞するのは礼を失するだろう。
    「……いただこう」
    「珈琲一杯飲むのにそこまで覚悟キメた顔せんとあかんの?」
     ロッシが呆れたような視線を向けてきたが、意図的に無視してアンドリューズは受け取ったカップに唇を寄せる。――苦みと酸味。美味い不味い以前に『分からない』という括りに入れざるをえない黒い液体に無表情を貫けば、ロッシの浮かべる呆れが更に色濃くなった。
    「きついならミルクか砂糖でも入れはったら?」
    「……飲み慣れていないだけだ」
    「こっちの人らは紅茶の方が好きやもんなぁ。茶葉の銘柄は仰山揃えてミルクの種類まで選ぶくせに珈琲は選ぶ余地がないんやもん。余所から来る人間のことも考えて欲しいわぁ」
     ゆらゆらと身体を揺らしながらロッシが言う。……その視点はなかったな、と。思うアンドリューズをよそに、ロッシの指先がシュガーポットをつつく。
    「そんなしかめっ面で飲むくらいやったら入れとき?」
    「……」
     表情に出したつもりはないが。……だからこそか。
     アンドリューズはロッシの勧めを受け入れて砂糖を加えてみる。すると舌を刺すようだった刺激が幾らか和らいで、特有の風味が芳香として鼻に抜けた。
     僅かに見開かれた瞳が、黒い水面の中に映り込む。
    「なはは」
     くつくつと喉を揺らす音。
     はっとして視線を上げると、ロッシがビスケットを珈琲に浸しているところだった。
    「あ、コレはやらんでええよ。やってみたけど合わんわ」
    「……やらないが……」
     地元の焼き菓子やったらこうやって食べるとええんやけどなぁ、と。呟きつつ、ロッシは濡れたビスケットを口の中へと放り込む。
     どうにもこちらの常識に当て嵌めることが出来ない相手だった。
    「……」
     いや。
     アンドリューズが信じていた常識など、ごく狭い範囲でしか通用しないのだろう。流石に実感として学びつつある。
     キンバリーの裾野は広い。大英魔法国イエルグランド外の連合ユニオン出身者どころか異大陸に東方エイジア、……果てはエルフまで。
     場所が変われば常識ルールは変わる。『我』が強い魔法使いであればなおのこと。それぞれが自分の狂気ルールで動いている。
     自らに流れる血にまつわる歴史を蔑ろにするつもりは毛頭ない。だが紡がれた歴史の長さのみを指標にすることはもはや出来ない。
     現学生統括は歴史の浅い家柄の出身であるし、目の前にいる曲者の同級生とて家名に反して学年のトップ層に数えられるひとりだ。
    「キミ、ごちゃごちゃ考えるのがそもそも好きなタイプ? たまには身体も動かしてみぃひん?」
    「これから呪文の鍛錬に移る予定だ。君の手を借りるつもりはない」
     誘いを両断すればロッシはがくりと肩を落とした。狙いが露骨すぎていっそ清々しい。
     ……取り巻きが離れた直後のアンドリューズに擦り寄ろうとした生徒もいるにはいた。だが彼らともまた違う。というか家や自身の将来を考えた上での行動と比べては彼らに失礼だろう。このトゥリオ=ロッシという同級生は、おそらくかなり享楽的で刹那的な思考回路の持ち主だ。
     言動の裏を探るだけ無駄だと感じさせられる。
     おそらく、この男は何も考えていない。
     ゆえに気負いなく接することが出来るが。これも彼の才能なのかもしれない、と。益体のないことを考えつつ、アンドリューズはテーブルの中心に置かれたビスケットへと指を伸ばす。……成程。口内に残った菓子の油分を拭う効果は紅茶も珈琲も変わらないようだ。
     一方で椅子の背もたれに寄り掛かるロッシはぶぅぶぅと唇を尖らせている。
    「つれへんなぁ……あー、ホンマに惜しいわぁ。ボクはキミとも闘いたいねんけどなー……」
    「構わないが」
    「えっ」
     がばり、と。
     振り子のようにロッシは背もたれから上体を離す。背に垂らされた黒髪が靡いた。――不潔と感じない程度に整えられているが、くるくるとした癖毛は長いコートを持つ犬の尾に似ていた。
    「アンドリューズくんもボクとり合うてくれるん?」
     血の匂いを嗅ぎつけたか。前髪の隙間から覗く瞳が爛々と輝いている。本当に分かりやすい。アンドリューズは苦笑に似た感情を覚えた。
    「不必要な私闘は行わないが、授業中の手合わせならば構わない」
     クーツ流の使い手は絶対数が少ない。ゆえに難剣使いとの交戦はアンドリューズにとっても悪い経験とはならないだろう。
    「よっしゃ! 言質とったで! 次の授業が楽しみやわぁ……!」
     頷くアンドリューズにロッシは喜々とした様子で拳を握った。
    「言うてみるもんやな! ……まぁでも、」
     テーブルに上半身を乗せかねない勢いで顔を近付けながら、ロッシは内緒話を打ち明ける子供のような表情を浮かべる。
    「ボクも最近気付いたんやけどな。ココの人ら、真っ直ぐにお願いしたら案外みんなってくれるんよ」
     それは武力であしらわれているだけではないだろうか。
     アンドリューズは思ったが、ロッシはどこまでも楽しげだ。
    「この前なんてな、生徒会に所属しとる先輩に相手してもろて……良い蹴りやったわぁ……」
     命知らずにもほどがある。
     呆れるアンドリューズをよそにロッシは自身の両手で頬を包み込み、
    「……ヨかったんよ……」
    「……そうか」
     世の中には色々な人間がいる。本当に。
     熱っぽい溜息を漏らすロッシにそろそろ他人のふり――もとより学年が同じであるだけの他人である――をしたくなってきたアンドリューズだが、ふいに、くねくねと奇妙な動きを続けるロッシの背後に人影が立つ。

    「実力者を見かけたら手当たり次第に絡むのはどうなんだ、ロッシ。少しは相手の迷惑も考えろ」

     オリバーだった。

    「――――」
     ぶっつんっ、と。
     アンドリューズの頭の中で千切れてはいけない血管が千切れた音がした。流石に錯覚――いや錯覚だろうか? 分からない。そもそも千切れて良い血管など存在しない。
     片腕に書籍を抱えて、もう一方の手を腰に当てたオリバーは座るロッシを見下ろしている。――淡紅色の唇が薄く開かれた。零れる吐息。濃く長い睫毛が震えて、白い頬の上に陰が落ちる――嘆息。呆れ。そういう感情を示したに過ぎないのだろうけれど、アンドリューズはオリバーの挙動ひとつひとつに魅入ってしまう。
     挨拶どころか言葉も発せずに。ぼぅ、と見つめるアンドリューズは流石に不審であったのだろう。オリバーが小さく眉根を寄せた。
    「……Mr.アンドリューズ? 大丈夫か?」
     はわわ。
    「乙女がおる」
    「乙女なんてどこにいるんだ?」
    「微妙にツッコミづらいコト言うのやめてぇな、Ms.ホーン」
     眉を顰めるロッシにオリバーが小首を傾げる。
     その所作にまた見惚れてしまうアンドリューズに、オリバーが困惑を深めていく。
    「君ともあろう人物が一体どうしたんだ……?」
     オリバーの視線がロッシとアンドリューズの前に置かれたカップを行き来して、
    「……ロッシ。まさかとは思うが何か妙なものを、」
    「ボクの信用なさすぎるんと違う? ってかコレに関してはキミのせいやで?」
    「私の……?」
     柳眉が垂れ下がる。
     アンドリューズははっとして、慌てて否定を紡いだ。
    「い、いや。君のせいではない」
    「ではやはりロッシか」
    「せやからなんでボクのせいなん!?」
    「そもそもどうして君が図書室最寄りの談話室にいるんだ」
    「ボクかてたまには本読んで勉強せんとなと思うときぐらいあるわ! 数か月に一度くらいやけど!」
    「君はもう少し座学に励んだ方がいい」
    「ヤマが当たったときは点数稼げとるがな!」
    「それで今までやってこれているのが問題なんだぞ」
     にわかに言い合いを始めたオリバーとロッシ。主にロッシに由来する騒がしさに何事かと周囲の視線がアンドリューズらのテーブルへと向けられて、

    「いたぞロッシだ!!」「おいこらクズ男! 覚悟しろコラァ!!」
     談話室の扉を蹴破らん勢いでふたりの女生徒が怒鳴り込んで来て、
    「あっ。折角隠れられとったのにバレてもうた!」
     ロッシが舌を出しつつ立ち上がり、
    「――ほなまたな、アンドリューズくんもMs.ホーンも! 魔法剣の授業のときはよろしゅう頼むわ!」
     そのまま窓枠へと足を掛けて、身を投げた。

    「……ここは二階なんだが」
     アンドリューズは呆然と呟く。
     嵐のようだった。
    「まぁ、二階程度なら問題ないだろう」
     ロッシを追う女生徒たちに「あの男は最近足技に凝っている」と助言を送っていたオリバーが振り返る。
    「しかし、本当に大丈夫か? 君にロッシは少し刺激が強いだろう」
    「いや……少なからず知見を得させてもらった」
    「そうか。錯乱の可能性があるから検査した方が良い」
     冗談とも本気ともつかない口振り。
     オリバーは額に手を当てて、しかし口の端を微かに吊り上げた。アンドリューズの心臓がまた締め付けられる――というか、ふたりきりだ。どうしたらいい。何を言えば――混乱の坩堝へと突き落とされながらも必死で平静さを繕うアンドリューズを知ってか知らずか。オリバーは悪戯っぽい笑みを浮かべて、
    「いっそシェラに診てもらうか?」
    「……。なぜシェラに……?」
     思いがけない名前が出た。
     予想外の言葉に理由を考察し、その過程で多少の冷静さを取り戻したアンドリューズにオリバーは続ける。
    「シェラの診察は適格だからな。治癒呪文も手当てヒーリングも上手だ」
    「……君の治癒呪文も丁寧だと聞いているが」
    「おや、恥ずかしいな。それだけ傷を負う機会が多かった事実が露呈している」
     私の治癒はあくまで実践技術だよ、と。シェラの護衛役も務めていただろう少女は冗談めかして口にする。……その謙遜を、否定するのはオリバーを否定することにも繋がってしまう気がして。
     口籠るアンドリューズに、オリバーは視線を一瞬泳がせてから胸の前で本を抱え直す。
    「……少し、馴れ馴れしく振る舞いすぎたかな。気を悪くさせたのなら謝罪したい。……受け入れてくれると嬉しいが……」
     重心が背後へと下がったのは自責によるものか。
    「い、いや。不愉快などではない」
     アンドリューズは慌てて首を振る。むしろ好ましい。話したいことも沢山ある。けれども、いざオリバーを前にすると上手く言葉が出てこない。社交のための会話術はもちろん習得していたけれど、そういう類いを用いずに自分のありのままの言葉で以って語り合いたいと――欲を、抱いてしまっている。
    「そう言ってもらえるならありがたいが……」
     アンドリューズの胸中など知るよしもなく。オリバーは曖昧な笑みを浮かべる。
    「むしろ私が自意識過剰になっていたのかもしれないな。……正直なところ、君には負い目を感じている」
     オリバーは僅かに瞼を伏せた。
     白い顔が憂いを帯びる。
    「……折角の助言を無碍にしてしまったから」
     オリバーの助言とは、錬金術の教師であるダリウス=グレンヴィルにまつわる噂を伝えた件についてだろう。

     現在・・オリバーはダリウス門下のひとりだ・・・・・・・・・・・・・・・・

    「君自身が決めたことならば、他人がとやかく言うことではない」
     魔法使いの鉄則だ。
     ゆえにアンドリューズはきっぱりと口に出来た。これだけは。
    「……むしろ。僕の言葉で気に病ませてしまったのなら、こちらこそ謝罪したい」
    「待ってくれ。君が謝罪する必要なんてないだろう」
     オリバーの顔が更に白くなる。更に謝罪を重ねたい衝動をぐっと堪えて、アンドリューズは言葉を呑み込んだ。
     ……実際。噂は噂でしかなかった。傲慢な言動が目立ち他者との軋轢が絶えない相手だが、錬金術師としても魔法剣の使い手としても優秀極まりないことは事実だ。
     家名が浅い、もしくは実家の後ろ盾が得られない立場の生徒を門下に加える行いは、ある意味で庇護を与えている側面もある。……『御しやすい』生徒を優先的に囲うがゆえの結果論だろうが。
     まったく。
     噂話を鵜呑みにすべきではないことぐらい、気付いていたはずなのに。
    「……杞憂、だったのだろうな」
     アンドリューズは慎重に言葉を探っていく。オリバーの負荷になるようなことは言いたくなかった。気に病ませるなどもってのほかだ。
    「気難しい方だが、君は上手く付き合えているんだろう?」
    「……ああ。どうにか、ね」
     オリバーは小さく頷く。
     浮かぶ笑みはどこまでも淡く、儚い。
    「目を掛けて頂いたからこそ得られた経験もある。……ありがたいことだ。機会を与えられたのならば、それを活用しなくては」
     書籍を抱く腕に力が籠る。白い手に、いっそう白い筋が浮く。
     雪とて儚いだけの存在ではない。例え朝日と共に溶けてしまっても、雪解け水となって大地を潤す。そこに芽吹く草木もあるだろう。
     耐え忍ぶことを知っている。
     それは強さだ。
    「君が、」
     だからアンドリューズは瞼を細める。彼女が今も育み、そして、この先も育んでいくのだろう可能性について想う。
     万能型は大成しないなんて俗説を、アンドリューズは信じてやらない。
     少なくとも、今の彼女の前には数多の可能性があるはずだ。
    「……君自身が選んだ選択ならば、僕はそれを祝福したい」
     アンドリューズにとっての『自由』とはキンバリーにおける七年間のみだ。自覚しているし受け入れている。けれどオリバーは違うのだ。
    「……それはまた。君は随分と未来さきを見据えた話をしているな?」
     オリバーは困惑するように眉尻を下げた。
     話題としては唐突だろう。まずもってキンバリーとは今日を、明日を、生き抜かねばならない魔境だ。それでも。アンドリューズはオリバーの将来について思いを馳せてしまう。……生きていて欲しいと。そういう願いを前提にした言葉を紡いでしまう。
    未来さきというほどでもないさ。キンバリーに居られる時間は長いようで、短い」
     そう。短いのだ。少なくともアンドリューズにとっては――オリバーを見つめることが出来る期間など。ごくごく短いものでしかない。それで良いと思う。
     アンドリューズは意を決して、オリバーの瞳を見つめた。
    「――――」
     ごくありふれた彩度の低い虹彩。けれど根差した闇の深さは底が伺えず――ゆえに。アンドリューズやシェラのような旧家に生まれた魔法使いにとっては馴染み過ぎた暗闇だった。
     血と家と因果の澱みの最中に生を受けた自分たちにとっては、産湯と同義の奈落。
     そして。そんなものを瞳に宿してなおオリバーは穏やかに微笑み他者に優しく在るから。もしかしたら自分たちもそう在れるのかもしれないと夢想してしまう。……彼女のように優しく在ってみたいと、欲を抱いてしまう。
    「……君まで旧家の慣例に縛られ続ける道理はない」
     おそらくきっと。元々は選択の余地なく幼くして『飼われた』少女だった。……実態はどうあれ旧家の社会においてはそのような存在として扱われる。マクファーレン家の嫡子の飼い猫愛妾。貼られたレッテルは剥がしようがなく、旧家の社会の枠組みの中で彼女が正当な評価を受けることは困難だ。
     ならば遠い場所で彼女に相応しい幸せを得て欲しい、なんて。
     そのためならば出来得る限り力になりたい、だなんて。
     優しさと呼ぶには傲慢さを帯びた思考回路であることは、重々承知していたけれど。
    「Mr.アンドリューズ」
     淡紅色の唇が苦笑を零す。
     雪原に滴る、淡く静かな月明り。
    「君の優しさは、どうか私以外のために使って欲しい」
     微笑みは柔らかな、拒絶だった。
    「……そう、か」
     指先が冷たい。
     同じだけの感情を向け合えるというのは稀有なことで、アンドリューズとオリバーの関係には当て嵌まらない。そういう事実を突き付けられる。
    「……差し出口、だったな」
     アンドリューズは瞼を伏せた。
     流石に、彼女の事情に踏み込み過ぎた発言だ。
    「まさか。君の気遣いは嬉しいよ、心から。――ただ、私は大丈夫だ。君の手を煩わせるようなことにはならない」
     煩わせて欲しいくらいだったのに、と。思ったところで、ようやく、アンドリューズは踏み込み過ぎた理由を自覚し、自省を覚えた。
     距離感を計り間違え続けている。遠くから見つめ続けてしまったり。かと思えばいきなり込み入った事情に踏み込もうとしてしまったり。オリバーの前にいると適切な距離感というものが見えなくなってしまう。
    「……その。相手の境遇を憂う君の気持ちは立派なものだ。私には必要がないというだけで、君の助けを必要とする人間も沢山いるはずだ」
     アンドリューズの言葉をオリバーは随分と好意的に捉えたらしい。……相手が自分だから口にしたのだ、とは発想すらしないのだろう。オリバー自身が誰に対しても平等に優しい人物であるがゆえに。
     こちらの失言をフォローするかのような言葉を並べていくオリバーに、今度はアンドリューズが苦笑を浮かべる番だった。
     ああ。
     本当に、
    「君は優しいな……」
    「――そう見えるのか」
     オリバーは困ったように首を傾ける。
    「……ああ」
     アンドリューズは頷いた。オリバーは困惑を纏ったまま、曖昧に相槌を打つ。――過度な謙遜は逆に失礼だと、おそらくは彼女なりの気遣いだった。
    「……そろそろ私は行くが……君はまた鍛錬か?」
    「ああ。そのつもりだ」
    「そうか。……では、お互い気を付けて」
     オリバーは踵を返す。
     真っ直ぐに伸びた背筋と足取りに迷いはなく――けれども霞んで消えてしまいそうな背中だった。

    「……優しいよ。君は」
     誰にも聞こえぬような声で、アンドリューズは小さく呟く。
     オリバーの自己評価の低さはいかんともしがたい。だが、こればかりは認識の問題だ。一度叩き潰された自己肯定感はそうやすやすと回復しない。アンドリューズは身を以って知っている。
     アンドリューズが己を肯定するに至れたのはオリバーとナナオの言葉があってこそ。そして心を震わせる言葉とは、誰に掛けられたかが重要なのだ。……今のアンドリューズの言葉では、オリバーに大きく響かない。
     
     だから。
     君の友達になりたかった。
     君が自身を肯定する一助に、なりたかった。

    「……」
     カップに残った珈琲を飲み干す。
     冷めてしまった甘苦い液体は、舌の上でやけに長い余韻を残した。
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    Replies from the creator

    yooko0022

    DONEマクファーレン家IF④/オリ♀シェラ前提のアンオリ♀/2学年時後半くらい/旧家令息のアンドリューズから見たシェラの『飼い猫』について/シェラ-アンドリューズのあまり噛み合っていない幼馴染関係も好きだけど、この二人は取り巻く環境の倫理観が狂っている/かなりの特殊設定につきなんでも大丈夫な方向け
    【そして訪れない春を知る】 それを響かせたのがシェラであったのならば、まだ耐えられたのだ。


    * * *


     『猫』を飼い始めたという噂は知っていた。
     この場合の『猫』は四足の獣ではなく、二本の脚で立っている。言葉を解す。知能がある。知性がある。浮いた腕で杖すら握る――つまるところは人間で、けれど家名に歴史がない。その一点を理由に彼ら彼女らは旧家の社会において数段劣る存在として見なされる。
     さもありなん。血に培ってきた神秘を宿さぬことが明白なのだ。自らの血を次の世代へと、それも出来る限り強化したかたちで繋ぐ――旧家の魔法使いに課せられた至上命題に能う『価値』を有していない。
     だから『飼い犬』で『飼い猫』だった。ソレには愛玩する以外の用途がない。まともな・・・・魔法使いの侮蔑と嘲弄。それだけで十分だ、愛させてくれる以上の価値などない。狂った・・・魔法使いの執着と愛着。……十と少しを数えた程度の少年であるアンドリューズでさえ時折伝え聞く程度の愁嘆場。
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