蛍(エマエミ) 彼女のデビュー作であり出世作でもある『蛍』をはじめ、発表した数多の曲は皆人々に愛され、ひとたびレコードが発売されれば、それから毎週ヒットチャートの上位に君臨する稀代の歌手こと“エミリー・ダイアー”が幼いころに抱えていた夢は、彼女のトレードマークでもある星の光の色をそのまま映し取ったかのようなティアラと、澄み切った夜空色をしたマーメイドラインのドレスの織り成す魅力的な雰囲気とは似ても似つかず、「医師になること」というものだった。全ての患者の健康を守り、助け、その幸福に寄与する、誠実な医者になること。それが、幼いころのエミリー、もとい、リディア(彼女の本名だ)が胸に抱いていた夢だった。
女学校では模範生として知られた彼女が、幼少期から温め続けていたその夢を具体的に追い始めた頃、医師という過酷な職業選択に対して非協力的な態度を取り、度々衝突することとなった両親の元から逃げるように飛び出した彼女は、学費と生活費とを捻出する必要から、求人を出していた下宿近くのバーで働き始めた。そこで彼女はときに歌い手としてステージにも立ったが、それはもっぱら演者が時間通りに現れず、いきり立つ客を諌めるためのその場しのぎであって、彼女が歌うことを自ら志願したわけではなかった。彼女はどちらかと言えば臆病な性質であったが、何らかの(この場合は、金銭上の)必要があればそれなりに豪胆に振舞うことができる性質であり、ステージを出しているバーの側からすれば、それなりに見映えのする若い娘、それも歌がある程度務まるようなものを立たせておけば問題ない。双方の利害の一致として、彼女は時折バーのステージで歌い、余分のチップを貰いながら、昼間は学生としての生活を続けていた。
しかし、ある時、研修医の同期が患者を持っているのを脇に見ながら、病棟付きの看護婦たちとともに汚れもののシーツを洗っているとき、レポート提出のために指導医の部屋を訪れた際、指導医からある言葉――「君は大変優秀だが、惜しいな。女でさえなければ、長く続けられるだろうに」――を掛けられたとき、担当した患者の死に直面し、遺族から「担当医が女でさえなければ」となじられているようなとき、ある男性の同期が起こしたミスを被せられ、謂れのないペナルティを受けているとき、そう言った時に、彼女はふと、ステージの上から見る、観客の和んだ面々を思い出すようになっていった。もしかすると、歌こそが、人の心を癒し、かつ、女の身体を持つ自分であっても手を伸ばし、扱うことができる「良薬」なのかもしれない――その頃には、スケジュールに穴が開かずとも件のバーで週に一度、水曜日のステージに立つようになっていた彼女に、ある日スカウトマンが声をかけた。
そして彼女は、それまでの本業である研修医に影響が及ぶことのないよう、バーで便宜的に名乗っていた「エミリー・ダイアー」という偽名を使い、歌手としてデビューした。彼女が歌手として歌い上げた初の曲が『蛍』であり、それは彼女の代表作でもある――一つ一つのささやかな輝きが星な光のように降り注ぐ、儚くも美しい世界を歌う彼女の歌声は多くの人々の心を癒やし、エミリーの名前はたちまち人々に知られるところとなった。
彼女のデビュー作であり一大出世作でもある『蛍』のフレーズは、人々の営みのいたるところで繰り返された。コーヒーショップのレコード、バーのジュークボックス、道行く移動店舗がぶら下げているラジオの音楽番組、人々のハミング、路頭に座り込んだ乞食の奏でるアコーディオンに至るまで。
さらにより一層遠く、社会から全く隔絶されたように見える場にこそ、彼女の歌声はよく響いていた。歌手として成功したエミリーは結果的に医師の夢を諦めることになったものの、その夢を抱き始めた当時から変わらない奉仕と利他の心情から、前線や刑務所、時に精神病院といった場所に自ら赴き、無償でコンサートを行う事で、傷つき疲れ、時に歪んだ人々の心を歌でよく癒やした。ホワイトサンドストリートにあるその精神病院も、かつて彼女の来訪を受けた施設の一つであり、応接室の隅には、申し分程度に彼女のサインが飾られている。
ホワイトサンド精神病院に長らく入院しているその少女は、収容されている個室の番号を取って、「4-1-1」と呼ばれていた。この病院の前身となった児童精神病院で数年前に起こった火災によって彼女のカルテは焼失しており、また、施設柄職員の入れ替わりが激しいこの院内では、誰もその少女の名前というものを知らないし、彼女本人も日がな一日ぼんやりとするばかりで、最早自分の名前等を覚えているような様子もなかった。
ここの入院患者らしく散切りに切られた茶髪は、長らく労わられなかったことによりかさついて痛み、毛先があちらこちらに跳ねている。その顔立ちは一見して少女らしいつぶらな瞳に、稚い雰囲気を醸すそばかすの頬が可愛らしくはあるが、閉鎖病棟に長らく閉じ込められていることからその輪郭は不健康に痩せこけているし、暗い部屋の中で光を少しでも取り込んで見やすくするように見開かれた猫のような目は、黒黒として陰気なものだ。
彼女の正確な病状や名前、来歴を示したカルテは過去の事故によって全く失われているものの、不思議なことに、彼女の入院に掛かる諸経費については支払いが続けられていた。料金を適性に支払われているものを無理に追い出すのも後が気がかりということで、少女は長らく、ホワイトサンド精神病院の4-1-1号個室に収容され続けている。それは、流石にそこまで有り触れたケースではないものの、目を覆うような悲惨がありふれた世紀転換期の都市において、まるで想像もできないような、驚くべき経緯、と言う訳でもなかった。多少風変わりな、とはいえ、そこまで突飛な色彩を帯びたわけでもない、ある悲惨な人生の有り様ということである。
古株の患者であることには違いない4-1-1は、しばしばふさぎこみ、外界との交流の一切を断ってしまう患者に覚醒を促すための電気刺激にもすっかり慣れたもので、被せられたヘルメットが通電したところで特段の反応を示さないどころか、病院の外装が変わろうとも常に変わりない電気椅子の座り心地に対して安心感でも覚えているのか、椅子に座らされている時には、個室ベッドに縛り付けられている時よりも幾分柔らかい表情を浮かべながら、歌を口遊みさえした。
電気椅子に縛り付けられている4-1-1が、肉体的にはひどい拘束を受け、取り立てて気に掛けられるでもなく、ぞんざいな手当てと薄いスープ、ガラスのように固いパンだけを糧にする中で痛々しい程やせ細り、いかにも衰弱した身体とは裏腹に、存外に澄んだ、まるで籠の中で満足な暮らしをしているカナリヤのような声で口遊む歌はきまって『蛍』で、それ以外にはありえなかった。故に、彼女を担当することのある看護婦は時折、その哀れな患者に親しみを覚えている訳でもないものの、4-1-1のことを「蛍ちゃん」と言ってあだ名する。