(6) 丸い形のヘッドライトが特徴的な社用の軽自動車(店主は「お前さんの顔に似ている」と言い、その車をトレイシーに宛がった)で出先から戻るなり早速シルクハットを取り、その内側で冷や汗を掻き通していたボブヘアに風を通しながら、行きがけに店主が入れ知恵をした「青髭」の屋敷でのことがどんな具合に薄気味悪かったかを、さながら飲まされた毒を吐き出すような勢いで喋り続けていたトレイシーは、「そうやって可哀そうだって言い出したのが、いちばん不気味だった。」と、苦いものを噛み潰したように顔を顰めてそう零す。作業台の上で酒瓶を傾けていた老店主は、それを興味もなさそうに聞き流していた。
老人相手に話をしているとも、一人で必死に言葉を吐き出しているとも取れない調子で、トレイシーはぶつぶつと零す愚痴の内容を次々変えていった。「青髭の妻」が、トレイシーの目から見るとあからさまに人間であったこと。それにも関わらず、彼女はまるで鳥籠のような大きな釣り鐘型の檻の中に、一瞬人形と見まがうようなやり方で閉じ込められていること。トレイシーの見立てでは、彼女は高機能の義手義足を着用した生身の人間であるが、そもそも何故、彼女がそのような傷を負うに至ったのか? その大きな怪我が、彼女に正気のありかも見失わせてしまったのでは?
「あれって、やっぱりその、警察に、通報、とか、しておいた方が、いいのかな。」
トレイシーが不安げにそう独り言ちるところまで聞き流していた老人は、そこでようやく「やめとけ」と、ぶっきらぼうに言いながら、機械油の沁みた革製の前掛け(エプロン)に真新しくついた酒の雫を、年寄らしい皺と骨の目立つ手の甲で雑に拭った。
「物狂いの金持ちからは、目の敵にされても、気に入られても始末が悪い。」
老店主は文字通り“背中を突き破って”飛び出たタンクを背負い、そのために曲がった腰を庇って手の平で擦りながら、歩行補助杖にしては物々しいそれ――傍目には「木造でこじんまりとした旧式の工房」にはいくつかの隠されたエリアがあり、老人は必要に応じその「杖」を機械の指で操作することで、その「拡張機能」を起動するのだが――を片手で握りしめると、掛け声とともにのっそりと立ち上がりつつ、「ま、ああいう手合いと仲良くしたいと言う程、お前さんがうすらバカなら、話は別だがな。」と、皺の寄った口元を引き上げながら言って寄越しながら、空になったスキットルを床に転がした。
「流しに出せって言ってるじゃん!」
工房の従業員でありつつ、老人の介護を兼ねるような立場のトレイシーが声を尖らせるのを、老人は「手が震えてな、落ちてしまうんだから仕方がない。」と、悪びれるでもなく、「老化っていうのは悲しいもんだ。」と続けて、しわがれた声で笑い飛ばしている。この老店主は常にどこかしらにアルコールが回っているような人物なのだが、今は特に、酔いが多めに回っているようだった。
「あ~もう、だから! ちょっとは酒を控えればいいんじゃないの!?」
キッと目を尖らせたトレイシーが続ける言葉がそこに至ると、老店主は暗褐色のレンズがはめ込まれたゴーグルのような老眼鏡の奥に、存在していることにはしているのだろう小さな目を、いかにも芝居っぽくこれでもかと見開き、暴君に怯え慄く演技をして見せた。
「お前さんこの老い耄れから、薬を奪おうってのか!?」
まるで嘆き悲しむ具合に首を振りながらそう続ける老店主は、一方で震える手をちゃっかりと伸ばし、棚の上に置かれていたウイスキーの瓶の首を掴み取ると、よぼよぼとした足取りで自分の作業台へ戻っていく。
「で、何の話をしていたんだっけか?」
職人気質から考えるとご機嫌に見える程ふざけた老人の物言い、そして彼女自身、青髭の屋敷で目にしたものを口から吐き切ったこともあってか、戻ってきた時は蝋人形のようだった顔色も随分と生気を取り戻したトレイシーは、どうしたものかと唇を平行に引き結び、眉尻をすっかり下げた呆れ顔で席に戻った老人を見遣りながら、「……爺さん、まだ老い耄れないでよ。金持ちの話でしょ。」と促してみる。
「ああ、そうだったそうだった。ま、頼まれたことだけさっさとこなしてしまうことだな。ウム。」
トレイシーから話のヒントを得た老人は、そうやって自分で自分に相槌を打ち、それらしい面持ちで大袈裟に頷きつつ、機械化された義手であることが一目でわかるそれながらに熟練の手つきでウイスキーのコルクを抓み、ポンと音を立てて引き抜いた。
この老人のどうしようもない酒浸りは兎も角、引き受けてしまった以上、仕事をこなすのがプロらしい姿勢だろう、というのは、トレイシーも同感だった……しかし、彼女はそこでふとあることに気付くと、訝しむ具合に眉頭をぐっと寄せる。そして、砂漠でたった今水を口にしているかの如く、美味そうに喉を鳴らしながらウイスキーの瓶をラッパ飲みをしている老人に向かって、「爺さんが、最初から断ればよかったんじゃない……」と低い声で言った。
老人は、それに後ろめたいところもなさそうに、「金持ちの始末が悪いところっていうのは、まあ、何につけても、金があるってことだ。」と言いながら、何本か抜けている歯並びを見せて笑った。
「開発にも修復にも、何かと入用だろう。金なんか、あってもあっても困るもんじゃない。求人はしてないというのに、雇うまで動かんと工房の前に座り込む小娘にだって、雇っちまったんだから給料を払ってやらなきゃ、儂がお縄になっちまう。お前さんが興味津々のこの体だって、油を注してやらなきゃ、ただの錆塗れの鉄くずよ……。」
まあ、経緯はどうあれ、引き受けてしまったものは仕方がない。そうやって節をつけて謡うように口遊む老人をよそに、トレイシーは若干腑に落ちないながらも、何であれ、とにかく降りかかってきたその「仕事」に対し、腕利きの技師として恥の無いよう取り掛かることにした。
かくしてトレイシーは最小限の面会(初回と、取り付け時の計二回)で、最大限の仕事をこなすことに成功した。
脚の部品がそっくり残っているところならまだしも、(恐らくは青髭の狼藉によって)へし折れたり曲がったり、どこかへ飛んで行ってしまった部品は交換をする必要があったのだが、預かってきた足を構成する部品には驚くことに、型番やメーカー名らしいものがそのどこにも刻まれておらず、一時作業はかなり難航した(そうして分厚いカタログを開いては呻き、その上に突っ伏すトレイシーを眺めていた老店主は、「これもまた、オーダーメイドを気軽に使う連中(金持ち)からの依頼の、厄介なところだな」と、自身の考えに得心の言った具合でしきりに頷くばかりで、「爺さんが引き受けたんだから、探すのぐらい手伝ってよ!」と、トレイシーは憤りめいた悲鳴を上げたりもした。)。
結論として、全く同じものを見つけ出すことはできなかったし、素材を一から鋳造注文するのは手間がかかりすぎるため、トレイシーは机上では互換性があると思われるサイズの適当な部品に少し細工を加え、さらに金メッキの加工を施すことで、破壊された装飾用の金具の代用とした。この代用について、ともすれば文句が出るかもしれないというのは、トレイシーも危惧するところだったのだが、青髭は思いのほか見る目がなかったのか、或いは、そこには拘りがない――本当に、「ちゃんと動けば何でもいい」という趣旨の依頼だったのか、取り付け作業について事前説明を行った段階で、トレイシーがそれらしく取り繕った金細工モドキに、彼のは何の文句も付けなかった。強いて言ったことと言えば、「さっさとしてくれ」だけだ。
このように、使える状態で残っていた部品は全て使い、そうでないものは、そこかしこでサイズ感の近いものを代用しつつ取りつけた球体関節は、(トレイシーは往時を知らないため、それがどの程度過去の動きを取り戻しているのかを比較検証することはできないものの、)トレイシーがその仕上がりに満足する程度の出来栄えにはなっていた。
取り付け作業を始めた頃には、トレイシーにいちいち「これはどういうものなの?」と話しかけ、「集中してるから、今話しかけないで」とトレイシーからきっぱり言われても、大して気を悪くした風もなく、興味津々にトレイシーの作業を覗き込んでいた怪鳥は、その内飽きたようで、作業が終わる頃にはすっかりとソファに沈み込んで微睡んでいた。一通りの作業が終わり、微調整の段取りに移りたいトレイシーが彼女の肩を触って軽く揺り起こしてみると、彼女はまるで元通りのように自分の膝下についている足を、驚いたように目を丸くして見つめ、続いて、椅子に座ったままぶらぶらと互い違いに足を揺らして存在確認をしていたかと思うと、彼女の足元に座り込んでいたトレイシーが「わっ!」と小さく悲鳴を上げてしまう程素早く、それこそ飛び上がるように立ち上がり、トレイシーが鳥籠に持ち込んでいた(その中に入って作業するように青髭に言われた時、トレイシーはその男がそのまま鍵を閉めるのではないかと気が気ではなかった)工具箱を器用に飛び越すと、その場で踊り出すように弾む足取りで、鳥籠の外に出る。
「ね、ねぇっ! 変なとこない?!」
そのまま部屋から走り出て行きそうな怪鳥の勢いを危惧してひとまず立ち上がったトレイシーが、慌てた分だけポケットにいれていたスパナが滑り落ちそうになったのを咄嗟に手の平で押さえつつ、大声でそう呼びかけると、裸足の怪鳥はぴたりと立ち止まり、その場で器用にくるりと回る。彼女は続けて、称賛を示すように胸の前で両手を叩きながら、開かれた鳥籠から顔を出しているトレイシーに向かって「あなたってすごいのね!」と言い、花の綻ぶように微笑んで見せた。
報酬を受け取ると、契約当初には不遜な程の態度で「腕の良い機械人形師」と名乗ってきたわりには学生めいた身軽さで、足早に屋敷を後にしようとする(何でも用事が立て込んでいるらしい)トレイシーの後を、怪鳥はぱたぱたと追って玄関まで駆けて行って見送ると、相変わらず裸足のままであることには拘りなく、そのまま敷居を踏み越えようとした。
技師の後を追って怪鳥が走っていったのを見たピアソンは、片手間に金庫の鍵を締めつつ少し遅れながらも慌ててその後を追って走り、息を切らしながら玄関ホールに差し掛かったところで、丁度開け放したままのドアの向こう、明るいぐらいの陽光が、まだ傾き切らない良い天気の外に出ようとしている怪鳥の場面に居合わせると、ほとんど反射的に「おい!!」と、大声で怒鳴りつけていた。彼の怒声は、教会めいて高く弓なりの形をしたホールに響き、楽し気に弾んでいた彼女の足取りを止める。その間にピアソンは駆け足で距離を詰めると、外に出ようとしていた彼女の、球体関節の手首を寸でのところで握り、安堵めいた息を吐きながら顔を上げる。
すると、金色の目と目があった。彼女は、足を切られてしばらくむくれていた時のように、目に見えて不服そうという訳でもなく、大声にとても驚いた、という表情でもなく、ただ、ピアソンの顔を見ていた。笑うでもなく、怒るでもない、特段意図のなさそうなくすんだ金色の目に見つめられていると、ピアソンの方が気分が滅入った。
どうせ自分がこの女から嫌われているのだろうということは、自分が好かれている(もとい、かつては好かれていた)に違いないという思い込みと同じだけ、ピアソンの中で強固に巣食いつつあった。そら、だって、流石にわかる。俺の前ではつまらなさそうにしている癖に、俺以外の誰か、他人が他にいるのなら、こいつは前に見たように、呆気なく笑うから。最初からこんなもんなら、「自分のご主人様相手に緊張しているんだろうな」とか、思うぐらいのことはできたが、こうなる前までは、俺にだって平気で笑っていたのだから性質が悪い。
だが、だからどうした? こいつは俺の持ち物なんだから、好きも嫌いも、関係ないだろう。嫌われたんだと思うと、前はそこまで嫌われていなかったように思う分だけ、少し、面白くないだけだ。だいたいこいつに感情なんて、人間様にだけ許されているような高尚なものの持ち合わせがあるのか? 目の前にある面白そうなものに飛びついて弄繰り回している、顔が可愛いだけの人形じゃないんだろうか。そうやって自分を慰めるための筈の考えが、しかしピアソンの気分を晴らすことはなかった。
ついさっき安堵めいた息を吐いておきながら、今は居心地悪く息の詰まったように黙り込んでいたピアソンは、いつからか再開した深酒の癖からか小刻みに震える手で、彼女の細い手首を取り落そうとするかどうか、少し迷うように指の力を緩めかけた。しかしすぐに、気を取り直した具合に彼女の手首を握り直すと顔を背け、彼女の様子に構わず、掴んだ怪鳥の手をそのまま引きずるように、彼女を薄暗い屋敷の奥へと引っ張り込んだ。