(7) ここのところ青髭の調子が良くないらしい、という噂が町に流れ、事実として彼はふさぎ込んだように部屋に閉じこもり、そこから滅多に出てこようとしなかった。彼の身の回りの世話をする使用人はやたらと安酒を買い込まされ、どうせ買いに出るなら、もっと高い酒をお使いさせてくれればいいんだが、というぐらいの軽口を店主相手に叩いた。
部屋と籠の鍵を持つ彼の来訪が無い限り、怪鳥は鎖に繋がれた上、幾重にも鍵のかかった鳥籠の中、しかも外側から鍵のかかる部屋の中に閉じ込められている筈なのだが、有能な技師の手腕により満足な両脚を取り戻した彼女は、どういう仕組みかそれを容易く開くと、絨毯の上を滑るように裸足で歩き回り、何か興味を惹くところがあったのか、手際よく適当に仕事をこなしていく掃除婦の後をついて回って、その手元の仕事ぶりをじっと見つめては気味悪がらせ、掃除婦から「あれを何とかして下さい」という訴えを受けた青髭に肘を掴まれながら、無理やり鳥籠に引き戻されたりもした。
その時、服から妙に甘い煙の臭いを漂わせていた青髭は、怯えるというよりは億劫そうに顔を顰めている掃除婦に何か言うでもなければ、鳥籠どころか部屋から勝手に外へ出ている怪鳥に苦言を呈するわけでもなく、彼女ら二人の間の、何もない空間を顎を引いて鋭く睨みつけながら、喉の奥で縮こまったような声で「うるさい」と呟き、続いて二、三言意味の通らない言葉をぼやく。そこから数秒間を置いて、その異様な様子を訝しむように表情を硬くした掃除婦に構わずに、彼は勢いよく手を伸ばすと、きょとんとしている怪鳥の腕を急に掴んで、しかし彼女の顔を見るでもなく、今度は床の大理石の模様が「目を離した隙に動かないように」睨みつけながら猛然と歩を進めた。
そして、嗅いだことのない臭いに興味を持ったらしい怪鳥が、彼の肩先に顔を近づけながらすんすんと鼻を鳴らしているのにもまるで構わないで、ずんずんと歩き通して鳥籠をしまい込んでいる部屋の前まで来ると、さながらドアノブに当たり散らして殴りつけるように掴むと勢いよく扉を開き、彼女の背中を乱暴に押して部屋に入らせるや否や、そのまま叩きつけるように(ともすれば、足で蹴りつける具合に)扉を閉じた。
まるで加減のない力で思い切り背中を押された怪鳥は、かしゃんと機械然とした音を立て床の上に転んで膝を付きながら、痛い! とも今日はどうしたのとも声を上げるでもなく、閉じた扉をしばらくきょとんと見上げる。その間青髭は、ドア越しに彼女を口汚く罵ったり、捨て台詞の代わりにドアを蹴ったりするようなこともせず、片足を少し引き摺るような足音が、部屋から遠ざかっていくのだけが聞こえた。
この頃のピアソンの様子には確かに妙なところがあったものの、怪鳥がそれを慮って(あるいは懲りて)外出を控える、ということはなかった(し、第一彼が怪鳥相手に乱暴な振る舞いをすることは、今に始まったことでもなかった。)。脚を取り戻した彼女は、屋敷の中を歩き回ることを楽しんでいるようで、中でも、ピアソンが屋敷を建てた頃に適当に雇った庭師に好きなようにさせている庭に頻繁に訪れた。
靴も履かないで庭を歩き回る怪鳥を、庭師は(青髭の身内だろう)と思い込んでいた。きっと頭が弱いから、彼が外聞を気にして屋敷の中に閉じ込めていたものが、最近はあの不調で、あまり面倒を見てやれていないらしい。そう考えれば、彼らの顔はどことなく似通っているような気もした。目は二つあるし、顔についている口の数だって同じだ。そのように怪鳥の身柄について勝手な自己解釈をしていた分、多くの使用人(怪鳥の奇妙な装いから彼女を気味悪がるものから、それが「青髭のお手付き」であることを知っており、トラブルを避けるために遠巻きにするものまで様々だったが)と比較すると、大分寛容に振舞う庭師の後を怪鳥はよくついて回った。
奇妙な格好をしてはいるものの、十分可愛らしい娘に後をついて回られることに悪い気はしない庭師は、はははと鷹揚に肩を広げて笑いながらそこかしこの花を一本ずつ切っては、「これはユーフォルビア」「クレマチス」「マリーゴールドだよ」と、その名前を口遊みつつ怪鳥に寄越してくるので、庭に出た後の怪鳥はきまって、片手にちょっとした花束を握っていた。彼女もそれもよく気に入っているようで、鳥籠の置かれている部屋の四隅を埋め尽くすように雑然と置いてある、彼女が一時気に入ったもの(だがしばらくは取り出されることもなく、掛け布の上には埃を被っている)の群れの中から、花を挿して置けそうなささやかな小物や瓶を探しては花束を解して一本一本を器に入れて、乾ききるまで眺めたり、どこで覚えたのか押し花を作ってみたりと、日々楽しんでいるようだった。
ピアソンが今居室としている四六時中薄暗い部屋の窓からはその庭を見下ろすことができ、彼は時折、日中も開け切らないカーテンに潜み、どうもわざとらしく身体を隠しながら、眼下に広がる、彼の目からするとどうでもいいスペースを適当に埋めるためのものでしかない、よく手入れされた庭を見下ろすことがあった。これまでそこを意識してみたことがなかったばっかりに、始終花が咲いているように例の庭師が手を掛けていることを、彼はその頃になって初めて知った。
緑と花のあふれるその区画で作業する庭師の後をついて歩いたり、花壇の脇に座って植え付けられた苗を眺めて見たり、時に鉢植えを持ち上げ、庭師から遠慮がちにそれを取り上げられたりしながら、何かと楽し気にしている怪鳥を、ピアソンは、自分が振り子時計にでもなったような気分で眺めていた。
高揚した気分で物事を睨みつけることが出来る時は、斧でも何でも使って、あれを打ち壊すべきだと考える。脚を直してやったのは大間違いだった。人形の癖にああやって歩き回るのは身の程知らずだ。主人の言うことを聞けないのなら、勝手に動き回る足を切ってやればいいし、それで反抗的な態度を取って、あくまで俺とは口を利かないつもりなら、簡単なことだ、首を切ってやればいい。そうすれば、あれはああやって誰彼構わずつきまとったり笑いかけたりしないだろうし、俺が手元に置いたって、露骨につまらなさそうな顔をして黙り込むことだってない。
ただ、首を切っても、首だけ転がっていったあいつが、また平気な顔で喋らないとも限らないという懸念が、そう決めたらすぐにそうしようとピアソンにいつぞやの斧を握らせる手を止めていたものの、そうやって、あくまでクリーチャーを拒むつもりなら、あれを壊すしかないだろうという考えに振れることもあれば、もう少し穏健な、もっと上手いやり方はないか、という方向に振れることもあった。
何せ、興味があるものを見せてやれば、簡単に気を引ける相手だとはわかっているんだから、何かいいものをまた見繕ってやれば、単純に笑って寄り付いてくるんじゃないだろうか。ピアソンはいたって努力をすることが出来る性質だが、とはいえ、宛てのないことがはっきりわかっている努力――献身めいたそれ――を続けられる程愚かではなく、それが実を結ばないかもしれないと知った上で積み重ねられる程、純な性質でもなかった。
彼は賢く、野心があり、そして何よりひねくれていた。それには、早いうちから現実の物事に直面する必要があった生まれ育ちが関係しているのだろう。とはいえそれは、今となってはもうどうしようもないことだ。「自分の女」が家で帰りを待っているという状況は、そもそもそれまでの人生で自分の帰りを待つ相手などいたこともなかった、いつかの彼に活力を与え、その彼女に愛されていないだろうということをはっきり理解しているという状況は、今の彼をひどく痛めつけていた。
外では強風が吹いたようで、窓ガラスがかたかたと音を立てて震え、庭師が被っている麦藁帽子が宙を舞う。庭に出ている怪鳥は片手で冠を押さえながら空を仰ぐ。ピアソンは弾かれたように素早くカーテンを締め直し、窓に背を向けて、床に空き瓶の転がる暗い部屋に逃げ込んだ。