チョコレートボックス(転生現パロ泥庭) 手の込んだ形のリボン(フラワーリボン)を掛けられ、冷暗所に保管されていた箱入りのチョコレートを偶然見つけたピアソンは、それをしげしげと見下ろしたあと、大した躊躇いもなくその包みを破った。
バレンタインデーというイベントはピアソンにとってあまり身近なものではなかったが、季節の商戦を繰り広げる各社の広告は目に入る。一見して(本命だろうな)とわかるようなそれを、あの女が誰かに渡しているさまを考えると、むかっ腹が立ったからだ。
「あーーーっ!!」
膝を広げた柄の悪い屈み方をしながらこそこそと台所の隅に向かい、そこで包装紙を破り捨てると毟り取るように蓋を開け、大口を開けた上に箱をひっくり返して、箱の中で紙に包まれ、粒のように並んだ宝石の形をしたチョコレートを、その紙ごとざらざら口に放り込んでいる居候の背中を見つけたエマは非難の声を上げた。
さらに、それにコーヒー豆でも噛み締めているような形相で振り向いた居候の見るからに不機嫌な顔つきなど目にも入っていないような態度で、彼女は台所の冷たい床に両膝を付きながら、こうなってはもう他にどうしようもないので、床に散らばる箱の蓋と包装紙とを拾い集めながら「何で食べちゃうの!?」と、身に染み付いた社交として愛想のいい態度をとりがちな可愛らしい彼女にしては、珍しく刺々しい声色で続ける。
「ちゃんと隠しておいたでしょう!?」
「う、うるせえ! どっ、どど、どうせ、ック、クリーチャーの、だろ!?」
腹立たしいままに噛み締めた奥歯で皺くちゃにされた紙ごとチョコレートを飲み込んだピアソンの方も、エマの刺々しい態度に負けじと喚くようにそう言い張ったが、「違うわ!」と、すぐさまはっきりと否定されると、まるで手酷く頬を張られたかのように怒りに顔を赤くして、とはいえ他に返してやる言葉も思いつかず、黙り込んだ。
そこには、「本命」がよそにいるんだったら、それと別の男を家に居候をさせているのはどういうことなんだ。酷い浮気なんじゃないかという困惑めいた憤りとともに、自分が本命ではないということが妙に腑に落ちるという実感も伴っていた。
ピアソンは自分が思うように重んじられないことに猛烈な憤りを覚える性質だったが、その一方、生まれてこの方親も家もなく、底を這うように施設と職を転々としている経歴の自分が、およそ物の数にも入れられないというのはいたってありふれたことで、経験的には、納得の行く感覚だったのだ。
「!………!!」
それでも、それにしてもだ。バレンタインデーに託けてチョコレート菓子を渡すのは愛の告白に近しいということがあまりにはっきりしているイベントで、こうも蔑ろにされるとは、クリーチャーは思っていなかった。
こんなもん、どこの誰に、どんな面して渡すつもりだったんだクソ女と思うにつけ頭に血が上ると、目頭に熱が溜まって、勝手に涙がこぼれそうになる。
しかし、そうやって怒りに震えているピアソンの顔を一瞥もしないで包装紙を集め終わったエマが、たまたま彼が拳を振り上げるよりも先に、「エマが食べたくて買っておいたのに……」と零したことで、声もあげられないほど怒り狂っていたピアソンは、かえってぎょっと目を丸くしたかと思うと、肩透かしを食ったように首を傾ぐ。
「へ?」
ピアソンが零した気の抜けたような声に、エマはきっと目を尖らせて、彼女が自分用に隠しておいたとっておきのチョコを、しかも有り難みもなく食い散らかした居候を睨んだ。
「だから! エマが食べたいから買って、隠しておいたの!」
結構高かったのに、エマ、楽しみにしてたのに……と、恨みがましげというには悲しそうに言い募りながら、次第にしおしおと目線を落としたエマは、無惨な姿になった箱を調理台の上にとりあえず置いてから、いかにも腹立たしげな手付きで冷蔵庫をばたんと開けると、床に座り込んだまま一周回ってきょとんとしているピアソンに、よく冷えた細長い箱を投げつける。
その申し分程度のリボンがかかった箱の中身はウイスキーボンボンが何粒かというもので、先日彼女が友人と連れ立って冷やかした催事場の、レジの横で売られていたものだ。
投げつけられたものを反射で受け取ったピアソンは、投げ寄越されたそれが、先程破った包装より数段簡素で、きっと安価なものなんだということを確認するでもなく、リボンのかかったその箱を呆然と見下ろしていたかと思うと、たいした大きさもない、筆箱ほどのサイズの箱を薄い胸板に抱えてみたりなんかして、「ク、クリーチャーの、っぶ、分かぁ……」と、先刻威勢よく自分の分だろうと怒鳴っていたわりに、しおらしく呟いている。その内に口角はひくひくと上がって、それなりに喜んでいるらしい。
「適当に安いのを買ってきただろ足元見やがって」、等と文句を言われるのを想像していたエマは、思いの外あっさりと喜ぶピアソンの様子を少し意外に思い、しかしそれにしたって、エマのチョコを台無しにしたんだから、少しは申し訳ない顔をしたっていいのに、この人、全然気にしてないみたい(ピアソンさんのことだから、しおらしく謝られたりなんかしても、正直気味が悪いけど)、と、面白くなさそうにそれを眺めてから、床に座り込んでいるピアソンの前に、子供と視線を合わせるようなやり方で屈んだ。
「……でもピアソンさん、エマの分食べちゃったでしょ。だから、それは返してほしいの」
頬をむっと膨らせたエマから差し出すように空の手のひらを向けられたピアソンは、しかしチョコレートの箱を抱え込んだまま、「嫌だね」「貰ったんだから、これはもう俺のもんだ」などと言い張ると、年甲斐もなくそっぽを向いた。