(アラチャ ハスクとエンジェル) 彼の魂の支配者によって「ハスクの持ち場」と定められたホテルのフロント兼バーカウンターに四対の内の上から二番目の肘を掛けながら、「ハスクのあの赤いご主人サマってさぁ、ロリコンなの?」と言うエンジェルの訝るようにもからかうようにも響く声の調子に、ハスクは思わずそれまで手に持っていた酒瓶を、危うくカウンターの裏の床に落としてぶち撒けるところだった。
「なっ、急に、な、なな……」
なんでそんな事を急に、と、彼がバリトンの声をらしからぬ調子に震わせながら返すさまを、エンジェルは首を可愛らしく見えるような角度に小さく傾ぎ、艷やかな桃色の鬣を揺らしながら、さも愉快そうなものに目をつけたとき猫のようににんまりと笑うと、「だぁってさぁ~」とこれみよがしに続けながら、彼の持つ四対の腕の中で一番上のそれを、やれやれというように広げつつ肩を竦めて見せる。
曰く、例の「苺うさぎさん」(ハスクはその呼び方を聞くにつけ、彼の知る悪魔の姿と相容れない可愛らしいそれにぞっとするほど居心地悪くなり、耳のやり場というべきだろうが、結果的には目のやり場に困って、爪先で自分の頬をぽりぽりと掻きつつ、例の悪魔を悪びれずに苺呼ばわりする友人から目を逸らしていたが)は、チャーリーにだけやたらと馴れ馴れしい。あいつが顔を近づけて物を言うのも、距離を詰めて手を取り合ったままそつなくターンするのも、ここではチャーリー相手にだけだ。下ネタは嫌いみたいだけど、ま、どうだかね。極めつけにだ、あいつ、ヴァギーが側にいない時を見計らうみたいにチャーリーに話しかけるだろ。ひょっとしてさ、彼にとっての理想的な獲物の趣味っていうのが、あの、ふわふわの雲の上でレインボーの先を追い求める、金髪巻き毛ちゃんってことなんじゃない? それに、そうだ、ニフティ! あの子を連れてきたのもそう。あいつ、小さい女の子が好きなんじゃないか。俺のリップサービスにちっとも乗らないしさ、近寄っても来ないんだぜ。
「……ああいう手合いに気に入られて、ろくなことはないだろ。」
そう言うハスクから、ゲテモノ喰らいを見るように細められた――要は、「ドン引き」といった調子に細められた目を向けられたエンジェルは、それが不当だと言いたげに、しかし、節度を持ってテーブルを叩く。
「俺だってさ、他人の趣味にケチつけるつもりで、こんなこと言ってるんじゃないぜ?」
そうやって続く彼の意気込みには、ハイになっているときの破滅的にから回る調子はないとはいえ、それはきちんと真っ当に酔っ払って、気も声も大きくなっている者のそれだ。
「俺はあいつらが好きなんだよ。チャーリーとヴァギー、可愛いだろ? 女の子二人で仲良くしてる。俺は死ぬ前だって、あんな可愛いの見たことなかったよ。ハハ、地獄って、ホントに何でもありなんだな? そらチャーリーも、それからヴァギーも、俺たちと違って特別製さ。でも、いや、兎に角さ、俺はあいつらが好きなんだ。それがさ、『ああいう手合いに気に入られて、ろくなことはない』、だろ?」
エンジェルは時に女性的な艶っぽさを浮かべるテノールの声を、そこだけはまるで、ハスクの酒焼けした声を真似るようにわざとらしく低くしながら、器用に細長い人差し指と中指を両方使って、これ見よがしにダブルクォーテーションの仕草をすると、身体ごと傾けるように首を傾げる。
「勘違いするなよ? 俺はあの苺変人だって、今は、まあ、仲間だと思ってる……あいつとは、〝戦場での絆〟はねえけどな。でもま、大事なんだよ。大事な仲間がさ、内輪でギスギスするのって、よくないだろ?」
そう言う彼のすらりとしたピンクの長細い、いかにも器用な指先が、口の広いカクテルグラスの縁を、煽情的に辿っていく――のを、ハスクはぞっとするような心地で見ていた。彼はエンジェルのすぐ後ろに、例のどす黒い影を広がっていく様を、まさに目にしていたから――
『そうですね、君の懸念については、私から説明をするべきかな?』
出し抜けにノイズ混じりの声を耳に吹き込まれて驚いたエンジェルが目を丸くし、ハスクが強張っている間に、その唐辛子のように赤くすらりと痩せた、それでいて、いかにも周囲を刺激する悪魔の姿は、軽やかにカウンターチェアに着席すると、ハスクに注文するまでもなく次の瞬間、指先一つで、氷塊の入った上等なグラスに注がれた琥珀色のウイスキーを持って見せる。しかしそれを取り出した当の本人は、真紅よりも禍々しく見える爪先でグラスを傾けてみせるばかりで、グラスに口を付けようとしない。
『そうですねェ、可愛らしいチャーリー。彼女は確かに魅力的だ。彼女の夢や不安なこと、恥ずかしい癖、どんな消臭剤が好きかなんてことに、私は、あまり、そそられないんだ! アハハ! 確かにそれらの情報は便利かもしれない。秘密を共有するということは、とォっても魅力的な響きだ。まあ今の私には、無用のものだけれど。』
普段のマイクを片手に突如影から生えるように現れたアラスターの演説に一旦耳を傾けていたエンジェルは、口の広いグラスから薄青色の液体を一口はしたなく音を立てて啜ってから、アラスターのいかにも胡散臭い笑顔で弓なりになった眉が、その無礼に微かに歪むのを楽しむように頬を緩めつつ、カクテルグラスの縁に載せられていた(彼たっての強い希望から、ハスクが載せてやったものだった)缶詰のチェリーを一粒、舌先でころころと踊らせると「じゃああんたさ、何で、チャーリーにやたら絡むんだ?」などと、口角に粘るような微笑みの気配を浮かべて問いかけた。
「前に来た小さい王様にだって、やたら張り合ってたじゃんか? そう言う趣味? 俺がパパって呼んであげよーか?」
大袈裟に甘ったるい声で「パパ♡」と十八番を続けようとするエンジェルのそれに被せるように『結構』と、ノイズ音の混じる機械的な声が投げられる。(だろうな)というのがハスクの感想である。彼はこの場に――彼の友人が、彼の恐ろしい主人を楽し気におちょくる場面に――強制的に立ち合わされることに、いささか以上の苦痛を感じていたし、アラスターの趣味にだって、ハスクは興味を持ってなんかいなかった。彼らは生前からの知り合いであるのだが、ハスクはアラスターの「趣味」を知らない。強いて言えばこの怪物は、慇懃に、それも魅力的に振舞い、それに宛てられて近づいたものから次々食べ尽くしていく。強いて言えば、彼の趣味は、そのおぞましい「それ」だろう。この地獄で再びこの男に繋がれることになってしまった時、ハスクはまず、彼と「同族の姿」を自分が取っていないことに安堵したものだった。
『私、彼女のプライベェトに興味はないもので! とはいえ共同の事業者ですからね、ビジネスの話をする必要はあるでしょう。私はチャーリーと話をする必要があるというのに、目を尖らせて彼女を守ろうとするあの健気な彼女は、ンー、少々、ジャマだね。あの親父もジャマだ。』
常にブロードキャストを意識しているのかエンターテイメントを煽っているのか、やたらと通りながら過剰に乱高下するその声で言い切るように続きがちなノイズ混じりの声が、言葉尻に至るといつになく打ち明け話風にあっけらかんとそう溢すのを、エンジェルは面白がってけたけたと高い声で笑い、アラスターはそれに応えるというには普段通りの、怪しげな笑顔をいっそう明らかなものにしながら、それまで爪先でかたかた揺らす程度だったグラスを唐突に手で鷲掴みにすると、グラスをそれこそ口の上でひっくり返すように逆さにして、痩せた身体を不気味にぐらぐら揺らがせながら、氷ごと例の恐ろし気な牙で噛み砕く。砕氷機の立てるような不穏な音がして、エンジェルの笑い声がそれに掻き消される。骨を砕くような音の後、笑っていたエンジェルが流石に目の前で氷を喰らった男にやや引いたか、それとも彼に何か言い分があると悟って誘うような目をしながらそれを促したのか、最早その恐ろしい場面を見ていられずに目を伏せてグラスを絶えず磨き続けているハスクには何とも言えなかったが、兎に角、グラスを空にしたアラスターは立ち去ろうとせず、ノイズ混じりの声で続けた。
『私はチャーリーの話を聞きたいというのに、横からピーチクパーチクと口を突っ込んでくる連中は邪魔だろう? 彼女は可能性に満ちているんだから! 無闇に翼の後ろに隠しておきたがる連中よりも、私は遥かに適任だ。彼女の導き手としてね。』
「……何か面倒臭い話してる?」
矢張り先程氷をばりぼりとやったのを見て引いたのか、それともその頃には、話が彼の期待するような方向に転がっていないことがあからさまになってきたからか、生前であれば耳のあるような位置に小指を立てて耳をほじる真似をしつつ、退屈を隠しもしない態度でそう言って小さく尖った金色の牙を見せるエンジェルに、ハスクはいっそのこと高い声で叫びかけたが、アラスターは大して気に掛けてもいない様子で音も無く笑っている。この男の琴線は全く以てよくわからない。