愛なき政略結婚をしたが、そのうち愛するようになる話(未完)【フェルヒュー♀】 星辰の節の昼下がり。眩しい日差しが凍てついた空気の間を差した中庭にて、アドラステア帝国宰相ことフェルディナント=フォン=エーギルが空から降ってきた。
ヒューベルトは目の前に落ちてきた人間を確認する。どうやら本人のようだ。周囲から上がる悲鳴を無視しつつ、彼が落下したであろう上階を見上げた。抜ける青空を悠々と飛ぶ鳥が太陽に煌めき白銀に光っている。
白いレースカーテンが窓から風に靡いているのが見えた。あそこから飛び跳ねたか、もしくはその上にあたる屋根上を滑り落ちたかのどちらかだろう。
フェルディナントは帝国の宰相であり、自らの命を悪戯に散らす愚行をもって楽しむ人間ではない。殊更高所を好む傾向にあるが、そこから命綱もなしに空中に躍り出たりしないはずだ。もしそうであるのなら宰相には他者を斡旋しなくては。
そこまで考えてヒューベルトは口端を僅かと上げ、愉快に己の考えを打ち消した。ありえない。
帝国の先を舗装するのは己が天命と、ふざけたことを抜かす男なのだ。彼が自分の命の価値を測れぬはずもない。となると彼をつき落とした犯人がいるはず。
今一度フェルディナントに視線を戻す。口から血を吐いていた。体を持ち上げようとし力むたびに咳き込み、荒い息を吐いている。周囲の者が医師はまだかと叫んでいる。
血の色を染みこませた芝部を踏みつけると、フェルディナントが何事かを告げたいのだと理解したヒューベルトは、彼の傍にしゃがみ込んで口元に耳を寄せた。血の匂いに交じって麻薬の独特な薬香がしている。
不意にフェルディナントが力づくでヒューベルトの腕を引き寄せた。傍目に見れば口づけをするほどに近かっただろう。血に濡れた厚い唇が耳朶に擦りつけられる。
「私は明日、死ぬらしい」
不遜に笑って吐き出される言葉にヒューベルトの眉頭が寄った。いま生きているのに明日死ぬとはどういうことなのか。
密着することで秘密裏に手のひらへと押し付けられた何かについて、説明する気はあるのだろうか。
温度が離れた。唇が穏やかに力を解き、掴まれていた腕の力が抜けていく。命のきらめきを主張する豪華な赤髪が生気を失ってしぼんだ気さえした。
もう少し情報をよこしてから気絶しろと言ってやりたいが、正体を失った相手に投げかける言葉など無意味である。殴って起こせば反射で起きるだろうか。いや、やめておこう。衆目の中すべき行為ではない。
ヒューベルトが伸ばしかけた手を引くと、フェルディナントの部下が彼との間に滑り込んできた。
「フェルディナント様はこちらでお預かりしますゆえ」
焦る部下の瞳には見下ろされる恐怖、ベストラを前に隠し事の一砂さえ晒される不安、そして上官を渡してなるものかとの熱い闘志を宿されていた。まったくもって、部下に愛される男である。
「左脚は折れていると思われます。服毒の怖れがあるため投薬の種類に注意してください」
「はっ。誰か、牛の乳を!」
「ベストラには毒物を解毒できる妙薬がありますが」
「閣下のご厚意はありがたく思います。ですが、我らで解決できますので」
どのような妙薬を思い描いたのか、部下は顔を青ざめさせ、フェルディナントを手放すものかと盾のように立ちふさがった。ヒューベルトは頷きを返す。どうにかできるのなら、そちらですればいい。いちいち口出しすることもない。
死んだのなら死因特定のため腑分けをしてみたいが。
フェルディナントの部下は頭を下げると、血を吐く上司を隠すように背を向ける。
「閣下、如何しましょう」
清掃を装った従僕の魔道工兵が小声で問いかける声に、ヒューベルトは周囲に聞こえるよう言った。
「夕刻までに、我が伴侶を私の元へお返しください」
逃げるように医務室へと向かうフェルディナントの部下の背が固まった。
そちらに任せるのは一時だと、正しく伝わったようだ。
医務室で冷たくなられては困るのだ。せめて犯人が定まるまでは生きていてもらわなくては。そうでなければ偽りの結婚が無駄になってしまうのだから。