Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    low_O2

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 12

    low_O2

    ☆quiet follow

    ぶどう畑さん宅の夢主をお借りしたものまとめです。

    妃殿下と参謀閣下 合理主義者のその後の話 バグと貴女は言うけれど相互不理解の彼女婚約前夜 アキレアのブーケ 王子殿下は変わられまして 城ひとつ、サプライズひとつ  兵器は愛を騙るか? 平行線のふたり 合理主義者のその後の話

    「どうかな。二人ともアタシで満足するつもりはないかい?」

     行儀悪く机に腰掛け脚を組んで、フェムはそう提案した。長い前髪の奥でウインクでもしながら言うその様に、イチジもニジも言葉を飲み込めないでいた。唐突すぎる。意図も何もかもが読み取れない。

    「何の話だ」

    「女だよ。毎度連れてきてへし折られちゃ処理も大変でね」

    「……はァ⁉︎ お前を抱けってか?」

     一秒の読み込み時間の後でニジが声を張り上げる。あり得ない。本気であり得ない。この女を抱けと? 顔が特別良いわけでもない、ヒビ割れだらけのこの女を? そもそも彼女とは(彼らにとって不本意ながら)半ばきょうだいのようにして育てられてきた。そんな相手に性欲を向けるなど、彼等からしても異常だ。

    「ああ。丈夫だしどんなプレイもロールも応じるぜ。なかなか良いんじゃないかな」

    「気持ち悪ィこと言うんじゃねェよ! 誰がお前みたいなゲテモノ」

    「おや。ヒビは隠すしヨンジ殿下にもご満足いただけたよ?」

     嫌悪感を隠しきれないニジに、フェムは首を傾げながら言う。イチジ、ニジ、ヨンジは別個の人間とはいえ一卵性多生児。それに共に育ったんだしある程度の趣味や価値観は共有していると思っていたのだけれど。彼女からすれば不可解だ。そもそも毎度女を選んでくる手間を考えれば自分で済ませた方が合理的だろうに。顔が気に食わないなら隠せばいいし、フェムという己自身を出さないように振る舞うことだってできる。

    「アイツマジかよ……つかなんで身内のそんなこと聞かなきゃならねェんだ」

    「イチジはどう?さっきから黙ってるけ、」

     バチリ。

     火花が爆ぜる。タンパク質の焦げる音が部屋に充満した。イチジがフェムの前髪を焦がしたのだ。彼女が彼の気に食わない行動をするたびに、彼はフェムの前髪を焦がす。彼女が瞳を隠すことを重要視しているのを知っていて、彼は折檻としてやるのだった。また前髪を焦がされてしまった、何がいけなかったのかなと本気で考え込むフェムに、イチジは口を開く。

    「嘘を吐くな。あれが貴様のようなアバズレを? いい加減にしろ」

    「本当なんだけどなァ」

     首を傾げ、フェムはどうしたものかと言葉を探す。彼女の言葉に嘘はない。が、イチジもニジも信じていない。

     ギイ、と部屋の扉が開く。

    「お、噂をすれば」

     漂う髪の焦げた匂いに顔を顰めながら、ヨンジが部屋に入って来る。渡りに船だとフェムは少々機嫌良く声を上げた。

    「ヨンジ。お前マジでコイツ抱いたのか?」

     ニジが言う。胸ぐらを掴む勢いのその問いにクエスチョンマークを浮かべながら、彼は頷いた。

    「ああ。丈夫だし役割は果たすだろ。最中に殴っても死なねェのがイイ」

    「げェ」

     舌を出して言うニジに、ヨンジは首を傾げる。またフェムがどうしようもない会話をしていたらしいことは予想がついていたが。

    「前髪焦がされ損じゃないか全く……いやね、そこらの女の代わりにアタシを抱けば良いだろって売り込みをしてたんだよ」

    「は? やるなって言っただろ……あア、それで前髪焦がされたのか貴様」

     状況の飲めたらしい彼はフェムの顔を指さし笑いながら言う。そんな会話をすればイチジを怒らせるなんて自明だろうに、と言いたげなその表情にフェムはやはり納得がいかない。

    「そうはいってもさァ。人間の処理って面倒で」

    「知らん。それがお前の役割だろ」

    「アタシの役割は指揮官だけど?」

    「指揮官が売女みてェなことすんじゃねェよ」

     イチジとニジに畳み掛けられ、さしものフェムも口を噤む。

    「はァ。じゃあこれは指揮官からのお願い。イチジ殿下、ニジ殿下におかれましては女の無駄遣いをなさいませぬよう」

     諦念のため息と、わざとらしい礼。彼女の言葉に、けれど三人はけらけらと笑っているだけだった。

     

     ***

     

    「——ということが昔ありましてね。ああ、ウィスタリア殿下との縁談が持ち上がる遥か昔の話ですけれど」

    「そ、そう……」

     どう反応すればいいかわからない。いやこの国に来てそんなこと多数あったのだけれど、今回は特に。まずどこから指摘すべきかしら、そもそも何故彼女はこのような話を? ベッドに腰掛けて、言葉を探す時間稼ぎに白湯を一口啜った。

     フェムは私の調子が悪いときはこうやって私の部屋に来てくれる。別に暇でもないだろうに、軽食と飲み物を携えて。王子妃になった今となっては侍女に持って来させるようになったけれど、相変わらず彼女はベッド脇の椅子に座って会話をしてくれている。

    「だからね、そんなイチジ殿下が貴女を壊さずに抱いているのがなんというか……丸くなられたな、というか。アタシにとっては信じられないくらいで」

    「……私が夜伽で死ぬと思っていたの?」

    「ああいえそういうわけでは……いやそうだな。一応医者を城に待機させておりました」

     フェムの言葉に眩暈がする。確かに今体調が悪いのも彼との行為のせいなのだけれど……そこまでの人だったの、私の夫は。改造人間だし力も強いけれど、で加減しているというの……? 簡単に人間をへし折れる人に抱かれている事実は、あまり受け入れたくはない。

    「その……フェム? あのときヨンジ殿下は『やるなって言っただろ』とおっしゃったのでしょう?」

    「ええ。けれどその理由がわからなかったもので、一度無視をしました」

     ため息を一つ。普通の人間なら簡単にわかることが、彼女にはわからない。ヨンジ殿下のことだから、フェムにそんな忠告をしたのは「イチジとニジが怒るから」だったかもしれない。それでも、私が想像するに。

    「ヨンジ殿下は——貴女を独り占めしたかったんじゃないかしら。独り占めというよりも、誰にも渡したくなかった、というか……」

     冷静に考えて、好きな相手は誰にも渡したくないはずだ。男の人の考えはよくわからないけれど、彼と彼女ほどの強い結びつきがある二人の関係において、フェムが誰かに抱かれるのを嫌がるのは普通のことだと思う。それが彼女にはわからない。合理性を追求した結果、己の身体すら軽々と差し出そうとするのは——きっと彼にとってもあまり好ましくなかったはずだ。

    「そういうものですか」

    「……正しいことはわからないけれど。普通の人間であればそう思うわ」

     彼女にこの言葉が響くかわからないから、一般論の体で言った。

    「……あ。もうそんなことはしませんよ? 此方これでも男は一人しか知りませんので」

    「そういうことじゃないのよ」

     そう言えば彼女ははて、といつものように首を傾げていた。

    「はは、失礼しました。けれど……そうですね。彼に直接聞いてみようと思います。気分を害していたのならそれは拙い」

    「ヨンジ殿下が簡単に本心を言ってくださるかしら」

    「ハハ、それもそうだ」

     彼女は笑う。彼女たちのことだ、きっと結論は殴り合いの末に導き出すに違いない。

     バグと貴女は言うけれど


    「失礼します、ウィスタリア殿下。お身体の加減はいかがでしょうか」

    「……ええ、悪くないわ」

     規則正しいノックの後入ってきた彼女にそう返す。ビッグマム海賊団との一件があって以降ずっと働き詰めだったのがたたったのか、私は体調を崩していた。といってもベッドの上で書類仕事をしたり本を読んだりはできる。侍女たちには止められていたが。

     フェムは綺麗な角度で礼をしてこちらを見据えている。いつものように私に薬やお茶を運んできたのだろうかと思ったが、彼女は何も持っていない。その代わり、侍女を二人ほど連れていた。珍しい。彼女が誰かを連れ立ってここへ来るなんて。フェムは大抵一人でここへ来る。薬を運ぶだけなら一人で事足りるからだ。はて、と首を傾げながら彼女の後ろに立っている侍女を見る。ティーポットと軽食が見えた。

    「珍しいわね、貴女が誰かとここへ来るなんて」

    「ええ、まあ。少し変化があったもので」

     国の復興の最中、フェムと我が夫であるイチジ殿下、義姉であるレイジュ様は万国へ逆戻りしていた。ビッグマムのナワバリからこの国が脱する際に囚われたニジとヨンジを奪還するために。特にフェムは先行隊としてかなりの仕事をしたらしい。そうして見事ニジ殿下とヨンジ殿下を連れ帰り(国王様と旧知の仲であるシーザー・クラウンも一緒だった)、先日ようやく彼らのメンテナンスが終わったのだ。完璧に思える私の夫も幾分堪える戦いだったらしく、あそこまで長時間の調整は私の知る中では初めてだったように思う。閑話休題。

    「本日はウィスタリア殿下にご報告がございまして」

    「何かしら」

     侍女の注いでくれたハーブティーを一口含む。

    「此方、ベータ・フェムはヴィンスモーク・ヨンジ殿下と婚約いたしました」

    「っけほ、⁉︎」

     咽せながら彼女の方を見る。フェムはといえば少し心配そうな表情をして、私の背中を摩ってくれていた。

     フェムが、ヨンジ殿下と?

     いやまあ、確かに。彼女と彼はたいそう仲が良かった。暇を見つければ試合と称した殴り合いをしていたし、ここが普通の国で彼らが普通の人間だったらいわゆる「そういう関係」だったのだと思う。実際この国であっても、一般人である私からすればただの軍人と一王子の関係ではなかったように思う。

     けれどそんな二人が結婚するなどと言うのは、私にとって青天の霹靂だった。合理主義の彼らだ、結婚という契約は二人に必要なかったはずだ。結婚に意味がない。寧ろ逆だ。フェムは既にこの国の中枢にいるのだから、そんな彼女と王子が結ばれるのなら政略結婚の駒が一つ減ることになる。そもそも結婚という方法が有効であるのなら、とっくの昔に実行していたはずだ。

    「ああ、フランセットにエレーヌ。このことは内密にね。午後の放送で公表するから」

     口元に人差し指を当てて侍女に言うフェム。ああそうか、だから今日の彼女は私を「妃殿下」と呼ばないし——奉仕をしないように侍女を連れているらしい。

    「大丈夫ですか、ウィスタリア殿下」

    「え、ええ。その……少し驚いてしまって。急な話だったから」

    「ニジとヨンジを連れ帰ったこと、あと今までの褒美にね、認めていただきました」

     長い前髪の向こう側でウインクをしながらフェムは椅子に腰掛ける。

    「死でも分てぬ繋がりを得るには最も良い方法かと思いまして。あとはまあ……少々バグってしまったようで、此方。ヨンジあれを失うくらいならば。ハハ、戦闘兵器が聞いて呆れる」

     こちらの問いを予測してか一通り説明した彼女は、けれどそれっきり黙ってしまった。

     バグった、と彼女は言った。

     入り込んだ羽虫のせいで精密機械の挙動が狂ってしまった——そういう表現を己に使ったフェムに、何と返せば良いかわからない。彼女は機械ではない、正しい。人間そのものではない、これも正しい。人間が恋心に狂うなんてありふれている。けれどこと彼女とヨンジ殿下においては、あり得ない。戦争に不要な感情を切除されてるのだから、恋愛感情なんかあるわけがない。そう、彼らは言っていた。私の夫も、同様のことを言っていたように思う。

    「……すみませんね、世迷言です。夕食はお部屋で召し上がりますか?」

    「いえ……広間に行くわ」

    「わかりました。それでは失礼します」

     この部屋に入ってきた時と全く同じ角度で礼をして去っていくフェムに口を開く。

    「私、それで悪くないと思うわ。貴女たち、欲は切除されていないのでしょう? 大切なものを失いたくないという感情まで切除しては……何も成せないのではなくて?」

     ぱちり。前髪の向こうでフェムが瞬きをしたのがわかった。彼女にしては珍しく、面食らっている。

    「あともう一つ……結婚おめでとう、フェム。義妹いもうとが増えるのね……嬉しいわ」

     ふ、と微笑んで言う。フェムの後ろの侍女がくらりとへたりこんだ。当のフェムはといえば……少しふらついた後に困ったように笑った。

    「……ウィスタリア殿下は、強かなお方だ」

     なんて言いながら。
    相互不理解の彼女
    「先日の仕事を、ご覧になられましたか」

    「え」

     唐突な問いに、思わず反応が遅れてしまう。

     温室、バラの剪定をしていたところ。入ってきたフェムは隣に立ち、こちらをしばらく眺めてから問うた。

    「ああいえ、まずはこの場に入ってきたことに対する謝罪を。作戦会議が長引きまして……それに伴い夕食の時間を三十分ほど遅らせますので、急ぎその連絡に参りました」

    「そ、そう。ありがとう」

     にこやかに言っているであろうフェムの顔を、直視できないでいる。それどころか声色まで震えていて、まるで怯えているようだなと我ながら他人事に思っていた。

     フェムが、怖い。

     私は彼女が怖いのだ。いや、怖くなってしまった、という表現の方が正しい。

     彼女は私の世話を焼いてくれている。そういう役目だから、ではなく本業の指揮官をやりながら、私に不自由がないかをよく窺ってくれていた。本人は「効率を求めているだけですよ」などと笑っていたが、仮にそうであったとしても彼女に救われたことは事実だ。体調が優れないときには手ずから薬や香油の類を持ってきてくれたし、話し相手になってくれることもあった。この国の説明をしてくれるのも彼女が多かったように思う。

     だから私は、そんなフェムを信用していた。心を開いていた……とまではいかないけれど、この国において少しだけ、ほんの少しだけ安心できる人だった。でもそれが、今は怖い。用事が終わったのなら早く去ってほしいと思うくらいには。閉じた瞼の裏には、彼女の満面の笑みが張り付いていた。

    「殿下の仕業でしょう。先日の殲滅作戦の中継でも見せられたのでは? 全く、アイツも人が悪い」

    「どうして、それを」

    「映像電伝虫の貸し出し記録がありました。それも、軍部の中継用。あんなもの普段は使いませんし……何より。妃殿下が此方を怖がっておられる。それが何よりの証拠でしょう。大方、妃殿下が此方に懐いているのが許せなかったらしい」

     アイツ、などとこの国の第一王子に対してはかなり不適合な三人称で語るフェム。口の中はからからに乾いていて、言葉どころか音の一つ一つが喉に張り付いて出てこないでいる。

     そうだ、私は、彼女の「仕事姿」を見た。

     数多の銃火器を操り、兵士の返り血を浴び、目にも止まらぬ動きで次々と人間を肉塊に変えていく。そんな彼女は、笑っていたのだ。普段の微笑みでなく、満面の笑顔で、頬さえ赤らめながら。

     わかっていた。この国は戦争で金を得ていることも、我が夫であるイチジだけでなく、彼女も戦場に出ていることも。それでもやはり、何かと話ができる彼女は仕事に対して思うことがあるのではないかとか、仕事だから仕方なくやっているのではないかとか、そういう幻想を抱いてしまっていたのだ。絶対にあり得ないのに。

    「…………イチジ殿下は何かおっしゃっておりましたか?」

    「いいえ、何も」

    「そうですか……ふむ。いえ……少しばかり仕返しをしても良いか」

     考える素振りを見せて、フェムは口を開く。

    「一度だけ。過去に一度だけ、此方はイチジ殿下に褒められたことがあります——『美しい』と」

    「美しい、?」

    「ええ。妃殿下がこの国に嫁がれる前、その話すら無かった頃。同じような殲滅作戦に共に臨んだことがありました。その時にね、言っていただいたんですよ。『戦場でのお前は血腥く、醜く——美しい。間違いなく世界一だっただろう』とね」

     呼吸を忘れていた。彼女は何が言いたい。初めてフェムの方を見た。いつものように人畜無害に首を傾げ、緩く微笑みを浮かべている彼女の心情は読み解けない。

    「何が、言いたいのかしら」

    「……我らは総じてそういった価値観なのです。王子も、此方も。あまり期待なさらぬよう」

     夫の言葉を思い出している。王としての条理があるのならば、きっと兵器としてのそれもあるのだろう。それは彼女にも適応されていて——つまり、フェムの言葉は明らかな断絶を意味していた。私たちは相互理解できない。だから心を許すべきでないし、期待をしてはならない。彼女はそう言いたいのだ。

    「アタシは戦争が大好きです。兵士を使って国を落とすのが、己の力で勝利を齎すのが。絶頂するほどの快楽と、世界の何よりも素晴らしい娯楽。それを戦争に見出している。少なくとも此方はそうデザインされているのです」

     にっこりと笑って彼女は言う。温室なのに寒ささえ感じる笑顔は——けれど、あの顔よりは幾分マシだと思う。

    「申し訳ありません。長話をしてしまいました。夕食は自室で召し上がりますか」

    「……いえ。広間で構わないわ」

    「畏まりました、そう伝えておきます。それでは」

     フェムは小さく礼をして、乱れのない歩みで温室を後にする。

    「……言う優しさは、あるのよね」

     彼女の後ろ姿を見送った後で、そう一人呟いた。相互不理解であることなど言わずとも良い。こちらが勝手に期待して勝手に絶望しているだけ。それをわざわざ忠告するあたり、フェムはまだ優しい。きっとそうなのだと、再び身勝手な期待をして、目を閉じた。
    婚約前夜
    「おや。マリッジブルーですか殿下」

    「……戻ったのか、フェム」

     一人食事をするイチジに、フェムはそう声をかけた。彼女は簡単な食事をトレーに乗せ、彼の向かいに腰掛けた。

    「ええ。しっかりと見定めてきましたとも」

     長い前髪の奥で見えないウインクなどしながら、フェムは湯気の立ち上るココアを一啜りする。

    「そうか」

     上機嫌なフェムに、イチジは無味乾燥に言う。フェムの今回の任務は潜入調査であった。目的は国の資金回りの調査でも暗殺でもなく——イチジの妃となる女性の吟味。ジェルマという国の第一王子妃、即ち将来の王妃としての素質は十分か、そもそもこの異常な国で問題なく生きていけるか——そういったことを、フェムが潜入して調べ上げてくるのである。まあ大抵「素質なし」の烙印を押されるので、イチジの元に写真が届く前に縁談は無かったことになるのだが。

    「今回は良いのではないかと。アタシのお墨付きですよ。絵にも描けない美しさとはまさにあのこと!賢く冷静で動じない従順な姫君。花が好きだというのも可憐で良いではありませんか!」

     歌うように語るフェムに、けれどイチジは表情を変えない。寧ろ僅かに翳っているような気がして……フェムは言葉を止め、ふむ、と考えるふりをした。チョコレートソースのかかったパンケーキにナイフを入れ、一口。飲み込むまでの間を思考時間にして。

    「結婚に気乗りがしないと?」

    「……父上の決定には従うまでだ」

    「君本人の意思はどうなんだい」

     沈黙。

     それを回答と処理したフェムは再び口を開く。

    「じゃあアタシと結婚します?」

    「は?」

     流石のイチジも脊髄反射で疑問を呈した。こいつは何を言っている。フォークに刺さった苺を口に入れる寸前で止めてまで、フェムの方を怪訝に見つめた。

    「政略結婚が嫌ならアタシと結婚すればいいじゃないですか。アタシに適当な役職……参謀あたりを与えれば軍事国家の妃としては十分でしょうし、適当な国を乗っ取ってアタシが国家元首になってきたって良い。候補の姫君にすり替わるのもアリだ。やり方はいくらでもある。どうです? 命令されればその通りにやりますよ」

     にっこりと笑ってフェムは言う。イチジを見つめたまま、能力を使いグラスに水を注ぎながら言うその様がどうも、イチジにとっては気色悪かった。自分の我儘をここまで本気で取る奴がいるのか——そう考えたところで、イチジは今自分が抱えている感情がただの我儘であることに漸く気が付いた。

    「お前のような醜女を抱けと?」

    「おや。此方これでも丈夫ですしハードなプレイにも応じられますよ? まあどうしても嫌だと言うのならそこは科学の力でどうとでも。此方としては一戦拳を交えていただければ初夜としてカウントいたしますし」

    「……冗談でもよせ。気分が悪い」

    「あっははは、よかった。そう思っておられるのであれば話は早い。二週間ほど間近で拝見しましたが……あれは素晴らしいお方です。お写真を見れば気持ちも晴れますよ。何せあれは同性でも魅了するほどの——」

     フェムの言葉が止まらないので適当に聞き流しながら、イチジは苺を咀嚼する。我ながらつまらない理由で塞ぎ込んでいたらしい——そんな苦笑を、果実とともにぷちりと噛み潰していた。

      アキレアのブーケ


    「……フランセット。この花は何か知っているかい?」

     侍女に声を掛ける。自室のテーブルの上、大きな花瓶に生けられた花が目についたのだ。

     ソファにどかりと腰掛ける。任務も終わり、レイドスーツと火薬の香りは脱いでシャワーを浴びてきたところ。髪から滴る水をタオルで拭き取りながらぼんやりとそれを眺めた。

     この部屋には似合わない。

     ベッドと、ソファと、テーブル、鏡台、クローゼット。それ以外にあるのは本棚と壁にかけられた銃火器や刀剣、武器の類。反対側の壁には隠し扉があり一通りの電伝虫を収納している。そんな、面白みのない部屋だ。花なんか対極にあるべき存在が、どうしてここにある。別に気に食わないわけではないが、わざわざ誰かが持ってこないと無い場所にあるのが気になっただけだ。

    「ヨンジ様がフェム様のお部屋に飾るようにと出港寸前に持ってこられましたので……フェム様が不在の間に飾った次第です」

     フランセット本人も不思議そうに言う。

    「ヨンジが?」

     ふむ。そんな横暴は確かに王子殿下しかしない。可能性としては妃殿下だろうかと思っていたがしかし、あの方は無理に押しつけることをしない。ひとまず此方に聞いて、此方に直接花を渡すはずだ。

    「どういう意図だろうねェ」

    「特に何も……飾っておけ、としか……」

    「ふむ」

     しかしアイツが花なんか持ってくるかなァ。此方には生憎花を愛でる感受性なんか未実装だし、侍女が素手で触って大丈夫だったのなら毒性はない。そもそも毒を届けられるほど恨まれているわけもない。

    「あ」

    「どうかしたか」

    「いえ……最近、ウィスタリア様の温室でヨンジ様を見かけたと侍女仲間から聞きまして」

     ああ、なるほど。

     アタシの想像はあながち間違っていなかったようだ。妃殿下が一枚噛んでいる。「拳や蹴りだけでなく、たまにはこういったもので語り合って見ても良いのではないかしら。王族の教養としては良い塩梅でなくて?」なんて仰ったに違いない。で、気の向いたヨンジが花のいろはを教わり適当に見繕った花を寄越した……ってところだろう。

    「妃殿下の差金かァ。此方らが恋人ごっこするのを楽しんでいらっしゃる。全く、兵器に何を望んでいるのやら」

     はは、と笑いながら小さな花弁に触れる。柔らかく意外に湿気たそれから何かを得られる感情はない。ただ事実を並べるしかない脳内は、この場において役立たずだ。図鑑の一つもなければこの花の同定も、特徴から属を推測することすらできない。

    「……本艦に戻ったら図書館から植物図鑑を借りておいてくれるかい、フランセット」

    「は、はい。承知いたしました」

    「君はこの花が何か知っているのかい」

    「え、は、はい。お答えしても良いですか」

    「もちろん。回答は早いに越したことはない」

     首を傾げながら言う。視線を向けると一瞬びくりと肩を振るわせたフランセットに……ああ、今は前髪を上げていたなと思い当たる。やはりこの目は、あまり人に見せるものではない。

    「セイヨウノコギリソウです。葉は傷の手当てに使えまして……この国で用いることはありませんが、非常用に病院艦にも植えられています。看護師たちはハーブティーにして飲んでいました」

    「そうか、君は元々あそこの掃除婦だったな」

     随分と趣味が良い。

     傷を負わない外骨格の此方に、手当て用の花を。ああいや、これはひび割れを案ずる/揶揄うものかな。喧嘩なら買うが、と思いかけて多分そういうことではなかろうと推測する。それを妃殿下が良しとするワケもない。

    「花言葉は知っているか」

    「……すみません、そこまでは」

     ふむ。どこまでも妃殿下の掌の上らしい。これは温室まで赴いて問うて差し上げるほかあるまい。それとも二人連れ立って行った方が良いかな? あの方は戦果よりも何故だか此方らが二人でいることをお喜びになるし。

     


     王子殿下は変わられまして


    「……ああ、追加の依頼か」

    「何だ、今の間は」

     ジェルマ王国、深夜。

     任務から戻ったイチジを迎えたのは、そんな不遜な独り言だった。

    「いえね。女の担ぎ方が攫ってきたそれなもんで」

     イチジの肩には気を失った女性が担がれている。ところどころ破け汚れているが着ているドレスは一級品、指先には傷一つなく——その女性が高貴な階級の出であることを証明していた。

     今回のジェルマ66への依頼は単独潜入による破壊工作だった。だからイチジが出たのだが……追加で監禁されている姫の奪還も依頼されたのである。まあ多少気を使う必要が出てくるとはいえ、ついでに済ませることのできるものだし依頼金も倍で良いと言われれば頷くのがこの国である。

    「騒がれると困るから気絶させてある。引き渡しはお前の仕事だろう」

     イチジは至極面倒だと声色に出して言う。余計な仕事が増えた。人一人担げば飛行速度も落ちる。そもそも戦争屋といえど王族が潜入など——そういう文句を感じ取って、フェムは素直に頷きながら件の女性を抱き上げた。

    「ちゃんと渡したスタンガンを使ってくれたようで何より……いやあ、数年前を思い出しますねェ、殿下」

     暗がりでもわかる猫のような笑みでフェムは言う。

    「……何が言いたい」

    「おや。よくこうやって目についた女を攫って来ていたではありませんか。大変だったんですよ? 傷の手当てに記憶の消去、事故を装って保護した体で国に返すのは」

     けらけらと楽しそうに言うフェムに、イチジはただただ眉を顰めているのみ。彼の機嫌を損ねつつあることなど承知の上でフェムは笑っていた。

    「ああいえ。過去を茶化したいわけではなくですね? 今はそういったことをされなくなったので助かっております、という感謝ですよ」

    「……ヨンジの方が余程酷かったはずだが」

    「それは勿論! 外骨格に手形がつくほどの馬鹿力で腰を掴めば並の女はひとたまりもない」

     自らの事情をあけすけに喋るフェムに、イチジはため息を吐く。弟の夜のことを聞く趣味もない、浮遊機能を切った靴でざっと土を踏む。マントを翻し、彼は自らの城へ歩き出した彼を、フェムは止めることはしない。

    「はは——妃殿下がいらして本当に変わりましたねェ、殿下は」

     フェムは闇夜に笑う。



     そんな独り言を聞かれては何を言われるかわからないからね。


     城ひとつ、サプライズひとつ 


    「そういえば今日はフェムを見かけないわ。仕事かしら」

     そう、控える侍女に呟いた。彼女はしばし私がティーカップを置く動作に見惚れたのち、は、と我に返り口を開く。フェムならこの待ち時間はなかったわ、などと関係のないことを思いながら言葉を待った。

    「ベータ指揮か……いえ、フェム王子妃でしたら本日はお休みを取っておられます」

    「休み?」

     休み。珍しいこともあるものね、と目をぱちくりさせる。ベータ・フェム(今はこの国の王子であるヨンジと結婚しているのでヴィンスモーク・フェムだが)という女は、ワーカホリックを体現したような人だ。あるときは作戦会議、またあるときは科学班の技術発表、パーティの準備にクローン兵たちの指揮etc……365日24時間、休んでいるところを見たことがない。そりゃあもちろん夜間は眠っているのだろうけれど、眠れなくて深夜城の散歩をしていたときに私を見つけて「国内は安全ですが事故もあり得ます。護衛の一人でもおつけください」と隣についたことだってある。そんな人が、休みを。

    「毎年、2月5日にはお休みを取られておりますよ。去年は作戦後だったので王国にはいらっしゃいませんでしたが……仕事の島からほど近いチョコレートが名物の国に行かれたとか。土産、だなんて言って私どもにチョコレートを差し入れてくれたんですよ」

     にこにこと語る侍女にへえ、と相槌を打つ。あの顔は余程美味しいものだったに違いない。意外と優しいところもあるじゃない——なんて思わない。フェムはそういうパフォーマンスを、全て計算したうえでやる。あの人に通常の感覚は無い。きっと「土産物の一つや二つで国民の忠誠心が上がるのなら安い安い。いくら命令に逆らわないと言っても喜んで応じるのと嫌々やるのとでは成果が違いますから」なんて言うのだろう。まあ、彼女はそれを外部に漏らさない。漏れたとて普段から下働きの声にきちんと耳を傾ける彼女の「人徳」とやらを信じるに決まっている。彼女は国民と王族の橋渡しをする役割なのだ。王子妃となった今でも。

    「2月5日は……何かあるの?」

     昨晩は私の誕生日記念式典だった。体力のない私にとって見栄えの良い靴を履いて歩き回り挨拶をすることはとてつもなく重労働で。だから今日はこうしてゆったりと過ごしているのだけれど。

    「フェム様の誕生日ですよ。以前、あまりにも働きすぎだと総帥殿に言われたそうで……誕生日だけはお休みを取られるんです」

    「えっ」

     誕生日?

     そういえば聞いたことがなかったなどという感想はひとまず置いておくとして。誕生日、誕生日だなんて。そりゃあ私はこの国に来るまで盛大に祝われることなんてなかったけれど。彼女はこの国に尽力してきた人だ。確か十年ほど前まではサンジ(殿下とつけるべきかしら)の代わりとして育てられていたと聞く。それ以降も指揮官としてこの国の軍事を仕切ってきたらしい。最早参謀とでも呼ぶべき彼女の誕生日を祝わないなんて……というか、彼女は王子妃だ。私と同じ王子妃だ。私の誕生日をあれだけ祝っておいて同じ立場の彼女の誕生日を祝わないなんてどうかしている。

    「あ……その。フェム様が祝わなくて良いと仰ったそうで……『その暇と金があれば城を一つ増やせます』と総帥殿を説得したと……」

     呆れた。彼女の言いそうなことだ。何ならそれに続くフェムの冗長な理屈でさえも脳内で再生されそうになる。眉尻を下げた侍女に同情する。この国において、フェムだけが自身の誕生日を祝わなくて良いと思っているらしい。そういえば最近のデザートにチョコレートが多かったのも司厨部の気遣いだろう。国民の心を掴んで離さない彼女だ、皆それくらいのことはしたいに決まっている。

    「……そう。ありがとう」

     カップを持ち上げ目を伏せる。息を呑む侍女の声は聞こえなかったフリをした。

     来年では遅い。夏にでも祝いの場を設けようかしら。フェムのことだからきっと個人の式典となれば断るに決まっているし、軍部の勲章授与式に組み込めば……レイジュ義姉さんにも伝えればサプライズにしてくれるかしら……なんて考えながら僅かに微笑んだ。意趣返し、ではないけれど少しくらい彼女の驚く顔が見たい。可愛くない、可愛い義妹だものね。ふふ。

     


     兵器は愛を騙るか?


    「肥料は納屋へ。木の枝の類は外へ運び出しておきました。他に命令はございますか、妃殿下」

     恭しく胸に手を当てきっちりとした角度で礼をしたフェムに、ウィスタリアは小さくため息を吐いた。彼女の何かが気に食わなかったわけではない。ただ、肥料や枝葉といった土のついたものを運ばせたにも関わらず全く汚れのない白い指先や、いついかなるときも変わらない礼の角度、乱れもしない髪——そんな細かな部分が、フェムの人間らしさを否定していて少しだけ嫌になったのだ。自分だって人間らしくないだの人形のようだの言われたことはある。数えきれないほどある。そんな自分が余程人間らしく思えるような国に嫁いでしまったのだなあという、どうしようもない感嘆がため息の形になっただけだった。

    「ありがとう。また用事があったら呼ぶわ」

    「勿論ですとも! しかしこのような雑用であれば兵士で事足りるのでは? 此方では駆けつけるのに時間がかかります」

     フェムの言うことももっともだ。ジェルマ王国は海遊国家、けれど国と名乗る以上それがただの船程度の広さで済むはずがない。ただ荷物を運ぶだけであればフェムである必要はないし、それこそ周囲の警備にあたっている兵士やメイドにでも頼めば良い。その方が何倍も早く終わるだろう。

    「あら。武器は使わなきゃ錆びると言ったのは貴女でしょう」

    「はは、光栄光栄! 科学の国我が国の妃ですもの、それくらいでなくては」

     ウィスタリアの揶揄を褒め言葉と受け取ったフェム。その様子に、ウィスタリアはまた悩ましげな憂い顔をする。ここが普通の国であればざわめきでも起こりそうなその美しさだ。けれど残念ながらこの国は普通ではなく、その事実がまたウィスタリアを悩ませる。

    「貴女が良いのよ。他の国民より、幾分人間らしいから」

    「おや」

     フェムは言葉を探していた。

     他の国民より人間らしい、ということは、妃殿下はどうも他の国民を人間だと思っていないらしい。そこまでは読み解いて、けれど何故だろうと首を傾げたのだ。国民の大部分を占めるクローン兵も、クローンといえどきちんとした人間だ。普通の人間と体の組成は何ら変わりないし、サイボーグになっているわけでもない。むしろそこを指摘するのなら、自分の方が人間らしくないはずだ。フェムの体は外骨格を持っている。本来人間には備わっていないはずのものだ。そんな自分がクローン兵よりも人間らしいというのであれば、妃殿下はきっと精神性を指摘しているに違いない。

    「それは、イチジ殿下よりも?」

     精神性というのなら、自分と王子——妃殿下の夫であるイチジとの違いはどうなのであろう? フェムはそう考え、考えた瞬間にはもう言葉に出ていた。

    「ええ」

     妃殿下ならばきっとこの返事に面食らうだろう。そう思っていたフェムだったがしかし、一呼吸も挟まぬ肯定に見えぬ瞬きをするはめになった。

    「愛がないのは構わないのだけれど……まるで人語を解する神獣とでも話している気持ちになるわ」

     ウィスタリアは遠回しな言い方をする。フェムをいくらか人間らしいと評したところで、あくまで「人間らしい」止まり。真っ当な人間だとは思っていないので、自分の発言を理解できるわけもない。ウィスタリアはこの国に嫁いで身につけた諦念でもってずるい選択をした。

     愛がないなんて覚悟していたし、当然だと思っている。政略結婚の末に睦まじい夫婦など絵物語の中でしかない。けれどあの人と喋っていると、ウィスタリアは自分を見失ってしまいそうになるのだ。

    「イチジ殿下は愛に溢れておりますよ?」

    「は」

     呆気に取られる。ウィスタリアの口からは呼吸音だけが漏れた。

     イチジに愛がある?

     絵に描いたような仮面夫婦ではないか。それともフェムという改造された人間からすればあの無味乾燥なやり取りが愛に溢れて見えるのか。ウィスタリアは大きな瞳を瞬かせた。

    「政略結婚というものはただの契約です。夫婦であるといえど市井の夫婦の型に嵌まる必要もなく、男女の仲である必要もない。ただの他人で構わない」

    「何が言いたいのかしら」

    「高い塔にでも幽閉しておけば良い。手足を削いでただ飼育していれば良い。それをしないのは、ひとえにイチジ殿下の愛ですよ」

     寒気がした。暖かい温室、陽光差し込む午後だというのに、ウィスタリアは冷や汗を垂らす。ただの言葉の綾ではない。この国は平気でそういうことをする。嫁いで数年になるのだ、理解できていた。倫理観というものがあるのであれば、この国は戦争屋などやっていないのだ。

    「まあ、そんな血生臭い話ではなくてもですね? イチジ殿下は戦地で花を見るようになりました。きっと貴女様の影響でしょう。イチジ様なりに、妃殿下へ執心しているのですよ。愛がなければ執心などしないでしょう?」

     そっちだけ言いなさいよ。ウィスタリアはそんな返答をなんとか飲み込んで、そうね、とだけ答えておいた。

     少しだけ、ほんの少しだけ上機嫌で。

     


     平行線のふたり


    「あなた達は……みんなそうなのかしら」

     はぁ、とため息でもつきながらウィスタリアは言う。憂いを帯びたその表情、頬杖をつく角度、柔らかな声の質。並の人間であればその完璧なまでの美しさに瞬きすら忘れてしまうかもしれない。いや実際そうだ。ここに兵士や侍女がいればこの一級品の絵画のような光景に声も出せなくなっていたはずだ。ジェルマ王国第一王子の妃、ウィスタリアとはそういう女なのである。

    「はて、何の話でしょう?」

     けれどここにいるのは彼女の美しさがさほど通用しない、或いは感情の歪な女である。人間よりはむしろ兵器に近い彼女はベータ・フェム。ジェルマ66の指揮官を務めている彼女もまたこの国の王子や姫と同じように、外骨格に覆われた身体と戦闘能力を有していた。

     フェムはわざとらしく首を傾げながら、ウィスタリアの視線の先を探る。どうやら手元であるらしいと彼女が推測するまでに然程時間はかからない。問題は、何が気になっているのかがわからないことだけである。いつもと異なる点といえば。

    「腕よ。医者……じゃないわね。科学者に見せなくても良いの?」

     腕、と繰り返してようやっとフェムは理解する。先ほどヨンジと日課の試合(殴り合いとルビを振るべきじゃないかとウィスタリアは思っている)をして、へしゃげた腕のことらしい。フェムはそれを自分で元に戻していた。まるで曲がった鉄の針金を元に戻すかのような気軽さで。

    「心配いただき恐悦至極! しかし貴女様の問いに答えるならば『その必要はない』でしょうか」

     戻した方の手を、動きを確かめるように握りしめながらフェムは言う。にっこりと笑ってアイムオーケーを十分に伝えたはずだったが、ウィスタリアの心配を拭いきれていないらしい。

    「そうですね……指先を切ったので絆創膏を貼る。割れた爪を自分で切る。絡まった髪の毛を梳く。汚れた手を洗う。常人にとってはきっとそれくらいのことなのではないでしょうか?」

    「……そう」

     しぶしぶ、ウィスタリアは納得してみせた。フェムと同じように外骨格を持つ彼女の夫——イチジも、先日ありえない方向に曲がった腕を自分で戻していたのである。フェムの言うように、きっと彼らにとってそれは日常的なこと。痛みも躊躇いもなく行っている。けれどやはり、普通の人間であるウィスタリアにとっては痛々しく恐ろしく思えるのだ。そして同時に、自分の嫁いだ先は常識の通用しない場所で、夫である男はもはや人間ではないのだと痛感する。とうの昔に覚悟したはずのことが追い討ちをかけてくるようで少し、少しだけ寂しくなるのだった。

    「戦闘の最中に身体が使い物にならなくなったら困るでしょう? 弾丸を通さぬ硬さとスムーズな可逆性。最高戦力なのだからこれくらい有していなければ話にならない。あ、ダメージを受けた部分の耐久性に関しては問題ありませんよ! 我々定期的なメンテナンスを受けておりますので! 詳しい仕組みに関しては」

    「大丈夫よ。無理をしていないのならそれで」

     ウィスタリアはフェムの言葉を遮った。これ以上聞きたくないと思ったからではない。フェムは止めなければ際限なく喋る女なのだ。だからいつも途中で止めている。

    「そうですか! では此方はこれで!」

     口を噤んだフェムは、前髪の奥で瞬きを一つしてそう言った。くるりと踵を返し、軽い足取りで石造りの廊下を歩いていく。

    「そういうことじゃないのよ、フェム」

     そんな後ろ姿を眺めながらウィスタリアは漏らす。自分が心配をしたのは外骨格の耐久性でも、利便性でも、まして戦闘中の隙でもない。でもそんなことは彼女達に伝わらないし、伝えたところで「何の問題が?」と首を傾げられるばかりであることはもうわかりきっている。イチジであれば冷たく笑うに違いない。夫だというのに、元は同じ生き物だというのに。一生この溝は埋まらないのだろうなと、ウィスタリアは諦念をため息に込めたのだった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator