秋の食卓とふしだらな吸血鬼「ハァ……参るなァ、もう」
食卓の上には山盛りの唐揚げ。出汁の効いた玉子焼きは綺麗な黄色が目に鮮やかだ。
秋を先取りとばかりに、甘いサツマイモの味噌汁と、焼き秋刀魚の炊き込みご飯。塩気が食欲を唆って、かれこれすでにこれで二杯目だ。
ああ、出汁があるから〆にお茶漬けにするよ、とは食べ始める前に言われているから、その分の腹は空けておかなければならない。けれど、どっさりと添えられた薬味がまた食欲を唆る。美味い、もう一杯。味噌汁のサツマイモの甘みと合わさると、甘いしょっぱいの対比で倍速だ。
このサツマイモは、この間の地域行事で、ジョンが掘ってきたものだ。小さなおててでいっぱい掘ってきたの。かわいいねえ。
一生懸命に掘って、ドラルクさまに料理してもらうヌとウキウキサツマイモを抱えるジョンの迎えに行き、ねだられるままに沢山持ち帰り、まったく君たちはとんだ食いしん坊だなァと呆れられたのは、つい先々週のこと。
まあ、折角だし美味しく食べたいだろう、と白い牙を覗かせた口の端を吊り上げて笑う吸血鬼は、土の付いたままのサツマイモを嬉しそうに検分する。
そして、一つ一つを丁寧に新聞紙で巻いていくドラルクとジョンの作業を手伝うべく、俺も参戦してみたのだが。一本目の作業に、もっと丁寧に巻けだのなんだと散々駄目出しを喰らい、三本目辺りでコツを掴み、あとはもくもくと作業だ。
身体を動かす作業への慣れが早いなと呆れるような、愉快なような笑い方をするドラルクは、非力である癖に、自分が食べもしないサツマイモをせっせと下準備している。サツマイモを転がす赤い爪を眺めながら、俺はそこに言葉にはわざわざ出さないドラルクの愛情じみたものを見ていた。
そして、そのサツマイモが初めて食卓にでてきたのが、2週間後の今日。まだまだもっと美味しくなるぞと笑うドラルクに、ヌヒャーと嬉しそうな声をあげて戯れるジョン。ああ、もう、かわいいねえ。
目の前に並べられた食事に、そんな追憶を飛ばしていれば、更にその視線の先、俺の向かいの席についてこちらを眺めている、件の吸血鬼ドラルクの、先程の溜息である。
「……どうした?」
むぐ、と炊き込みご飯を口に詰め込みながら俺は問う。うん、やっぱり美味い。おかわり。
ハイハイと、甲斐甲斐しく山盛りのご飯をよそる赤い爪の手を眺めながら、同じくムグムグと口いっぱいにご飯を詰め込んでいるご機嫌なジョンに、美味いよな、と声を掛ける。ヌン、と力いっぱい返ってくる可愛らしい声。
ドラルクさまのごはん、大好きヌ。
ほっぺが落ちないように、むぎゅっと小さなおててで押さえる仕草。もう、やっぱりジョンはかわいいねえ!
「君たち、そんなに褒めても何も出ないぞ!……デザートくらいしか」
すっかりご機嫌になったドラルクが、山盛りの茶碗を差し出して来るのを受け取る。
なんだよ、出てきてるじゃねーか、デザートが。まったくチョロいじゃねーか。
別にチョロくないもん、と頬をぷくりと膨らませて、プーンと拗ねたように顔を背けるドラルク。もんとか言うな、もんとか。可愛いだろうが、バカ。
「んで、一体何に参ってんだ?」
可愛いのは常にだろうと調子に乗り始めたのを、ハイハイと聞き流して溜息の理由を問う。
こういう些細なすれ違いから、後々面倒くさいことになるっていうのは、いい加減学習している。
疑問に思うことがあれば、ウジウジ悩まずにとっとと対話するヌとは、かの偉大なる丸、ジョン様のお言葉だ。すごいねえ、かわいいねえ。
「いや……」
俺の促す言葉に、ドラルクは言いにくそうな様子でむすりと眉目を顰めた。
「なんだよ?」
尚も促せば、ハァ、と再度深々と溜息を吐かれた。
「ずいぶんと、私、ふしだらになっちゃったなって」
不意に吐き出された言葉に、箸を咥えたまま俺は固まる。考えること、数秒。
「…………今更?」
「なっ、なっ……今更、だと……⁉︎」
俺の言葉にショックを受けたのか、ザラァッと目の前の身体が崩れて砂になる。その様に、ヌー、とジョンが哀しそうな声を上げる。おい、クソ砂、ジョンを哀しませてるんじゃねえ!
ナスナスナスと見る間に再度身体を構築したドラルクは、尚もショックを受けたようにぺたりと床に座り込んでいる。
いや、今更も何も。
「……お前、さっきも風呂に突然乱入してきてさぁ」
「ウッ」
再生していた身体が再びザラァッと崩れ落ちるのを眺めながら、俺は普段よりも血色の良くなった色合いのドラルクの首筋を思い出す。俺の膝の間に身を屈めて、俯けた頭の先に見えたその光景が焼き付いた。
すっかり硬くなった俺を掴む指先の、赤いマニキュア。夢中になって俺を頬張るその口唇から時折覗く赤い舌先。甘く蕩けるルビー色の瞳。
積極的な恋人から見せつけられる欲望が弾けて、俺はあっという間に追い上げられて、呆気なく早々にドラルクに搾り取られる羽目になったが、一度では満足できなかったのか、尚も赤い舌を覗かせて舐め上げられて、再び昂ぶる欲を止めることが出来なかった。
と、いうのがつい先程までの出来事だ。風呂に乱入してきてサキュバスよろしく俺を散々に可愛がってきたこのクソ砂おじさんが、ふしだらでなくて何がふしだらか。
「……きみのせいだ」
ぼそっという呟きと共に、ナスナスと身体を取り戻す姿。耳元はまだ再生しきってなくて端から砂になりつつあるけれど、先程風呂で見た姿を思い出させる血色の良さ。
「性的な欲求なんて、薄かった筈なのに……」
ぽつりと呟かれる言葉に、先程の姿が鮮やかに甦る。
確かに男としてのそれは薄いのだろう。初めて身体を重ねた時からそうではあるけれど、コイツの男としてのソレは機能しない。ふにゃふにゃとしなだれて、露を溢すくらいだ。それはそれで、ものすごくいやらしいし、すげえ可愛いけども。
触られて気持ち良くないわけじゃないらしいので、しっかりと可愛がらせてもらっているけれど。
「きみが……あんまりにも私を気持ち良くさせてくれるから」
すっかり変わってしまったじゃないか。
ドラルクの呟きを咀嚼する。
コイツがふしだらになったのは、俺のせい。
じわじわと溢れてくる妙な達成感のような、むず痒い心地良さのような。なんとも言えず、口元がむにゅむにゅ歪んできて、ちょっとニヤついてしまった。
「何ニヤついとるんだ」
涙目になったドラルクの文句に、いや、と口許を隠す。
コイツ可愛いなとか、つい思ってしまう辺り、だいぶ俺も頭が茹だってると思う。
でも、俺の手で変わっていく恋人っていうのは、本当に、いや、かなり可愛いと思う。
「んー、いや、うん、かなり、うれしい」
「ハァ⁉︎」
「だって、俺のせいだろ」
俺の素直に口にした言葉で、ドラルクはぱくぱくとただ口を動かし、やがて動きを止めた。
「……はしたないとか、思わないの?」
「なんで思う必要があるんだよ。俺が、お前を変えられたってことだろうが」
性欲というものがほとんどなくて、他の人とも、自分で慰めるような経験もほとんどなくて、機能すら危うげだったこの吸血鬼が、俺と出会ってそういうことになって。
それで、俺を欲しがって自分から誘って来るように変化しただなんて。
それって、なんかすげえ特別な事じゃないか?
ぐらぐらっと腹の奥で先程消化した筈の欲が、再度燃え上がる。
なんだかもう、めちゃくちゃに抱きたい。ふにゃふにゃに全身を蕩けさせて思い切り可愛がりたい。
可愛いっていっぱい伝えて、俺の好きなコイツの場所を一つ一つ教え込んでやりたい。そして、俺だけが知っているコイツの可愛いところを余す所なく味わいたい。
ふしだらだなんて、悩まなくて良いんだって。
ヌーン、と俺たちのやりとりを見守っていたジョンが声を上げる。さっきまで、ショックで死んでいたドラルクを心配していたのだが、俺の反応で心配しなくても大丈夫だと分かってくれたようで、やれやれと言わんばかりに肩を竦めている。
このバカップルめと言わんばかりの仕草だ。
ごはん、冷めちゃうヌ。ちゃんと食べてからイチャイチャするヌ。
ジョンの促す言葉に、ハッとする。そうだな、ちゃんと美味しく作ってくれたご飯は、美味しいうちにちゃんと食べるのが礼儀ってものだよな。
「そうだな、ごめんな、ジョン」
分かれば良いヌ。
ふすん、と胸を張って返すジョンは男前だ。
「ジョンはいつでも一番美味しい時にご飯食べてくれるものね。そろそろお茶漬けはいかが?」
いただくヌ!
元気良く応えてお茶碗を差し出すジョンに、すっかり復活したドラルクが笑う。
添えられた刻んだ漬物と、パラパラとのせられたアラレ、ふわりと漂う出汁の良い香り。そこに刻み海苔を添えて完成だ。
もう何杯もおかわりしてるのに、その香りだけできゅぅっと腹が鳴った。
腹の音が聞こえたのか、驚いたドラルクが目を瞬かせる。
「あれだけ食べておいて、まだお腹空いてるのか、きみ!」
「お前のせいだろ」
欠食児童かと言いたそうなドラルクに、むぐっと唐揚げを頬張りながら反論する。
「メシなんて、まあ、美味いに越した事ねえけど、食えりゃ良いって思ってたのにさ」
コンビニ弁当だってザラだったのに、そんな俺に一緒に食べる楽しさとか、美味しさとかを教え込んだのは。
「お前が、あんまりにも楽しそうに料理してさ、食いもしないのに、俺たちの為に美味しく作ろうと仕込んでくれて。……メシを食う俺たちを、あんまりにも幸せそうに見るから」
だから、お前のメシが、もっと食いたくなる。
おかわり、と俺の差し出した茶碗を受け取るドラルクは、まだ少し呆れたような顔をしてはいたけれど、楽しそうに笑っている。
「もうお茶漬けにする?」
「おう! すげえ良い匂いで、もうお茶漬けの口になっちまってるし」
お茶漬け美味しいヌ、と満足そうな声を上げるジョンに、ますますお茶漬けが恋しくなって、俺はドラルクにねだる。
「はいはい、残さず食べてよ」
笑いながら差し出される出汁の香りが鼻先を擽る。それに混ざって、近付いたドラルクの体臭を感じる矢先に、俺の耳元に寄せられる口唇。
「全部食べたら、デザートだよ」
囁かれる甘い声。
ジョンから出たイチャイチャのお許し。
そして、デザート。
お風呂のつづき、しようね。
思わず期待を込めた視線を向ければ、口唇の動きだけで紡がれて、かあっと血が集まるような感覚を味わう。
先程生まれた欲望が再燃する。
めちゃくちゃにイチャイチャすることを決意しながら、俺はお茶漬けの茶碗を受け取った。