桜の下には夜明けが埋まっている「う~ん、う~、あー」
ロナルドはノートパソコンを前にし、唸りながら書いては消して、書いては消してを繰り返していた。
現在ロナ戦番外編の執筆中である。締め切りまでまだ時間はあるが、いつも余裕がなく、あわやカラッと揚げられるという事態になってしまうので、事務所が休みである本日、少しでも進めてしまおうとしているところだ。
そんなロナルドをドラルクは憐れみとからかいの目で見ていた。余裕を持ってできるのであれば、毎度毎度ギリギリで原稿を仕上げる事態になっていない。ただの悪あがきと自己満足だ。
「あ?」
さて今日は何をして執筆の邪魔をしようかと考えていると、ふいにロナルドが顔を上げ、机の上で何かを拾っている。
「どうした」
「桜が入ってきた」
冬の凍てつく寒さが姿を消し、暖かい空気が流れるようになった為、デスク後ろの窓を開けていた。そここら桜の花びらが風に乗ってやってきたのだろう。
「オオゼンラニウムの花じゃないだろうな」
「ちげーよ!ちゃんと桜だわ!見てみろ!」
ロナルドの指に摘まれている花びらは確かに桜だった。白い全体に淡いピンク色が混じっており、まだ瑞々しさを保っている。
「調度いい。本日のおやつは桜餅だぞ」
「ヌヌヌヌニ」
「ありがと〜!ジョン」
桜の葉でピンク色のもちもちとした丸を包んでいる、所謂道明寺と呼ばれる桜餅だ。
お盆に乗せたロナルドの分をジョンが運んでいく。疲れた時には甘いものと可愛いアルマジロだと、ロナルドの顔がでれっと溶ける。
「悪戯マジロがつまみ食いしてしまったのでおかわりは無いからな」
「ヌヌヌネ」
「いいよ〜ジョン!いっぱいお食べ!」
「いっぱい食べさすな馬鹿たれ。ジョンはジョンの分だけ食べなさい」
「ヌーイ!」
ドラルクが桜餅を作っている横で、ジョンは出来たてをもしゃもしゃと食べていた。ほっぺたにつまみ食いの証であるあんこが付いていジョンにドラルクが触れ、指であんこを攫っていく。そのまま口に入れ、思い通りの甘さに満足する。
事務所のソファに座り、残りの分を食べ始めたジョンを確認した後、ドラルクは再びロナルドを見た。
「こんなのも作れんのか」
ロナルドは感心しながら、目の前に置かれた桜餅に手を伸ばして食べ始めた。この事務所で出されたおやつはすぐに食べないと、床からモンスターが出てきておやつを横取りされてしまう。
「この私に作れないものなどないわ」
「ニンニク入りのラーメンとか作れねぇだろ」
「二度と貴様にラーメン作らんぞ」
「ごめんなさい」
ドラルクは死んでしまうのでニンニク入りのものは作れないが、他の材料と調味料でカバーしてオリジナルのものを作ってしまう。それがまた最高に美味しいのである。ニンニク入りの料理が食べたければ何処か適当な飲食店に入ればいいのだが、ドラルクの料理はドラルクにしか作れない。
食に関しては台所の一切を取り仕切っているドラルクにロナルドの勝ち目はなかった。
「ふふん、私の偉大さが分かったかね」
コトンと湯呑に入った緑茶を置く。和菓子には緑茶がよく合う。湯気がふわりと揺れて消えていく。いくら暖かくなったとはいえ、夜は気温が下がる。身体の中から温めることは必要だ。
「それにしても、もう花見の時期か。夜桜を見に行くのもいいねジョン」
「ヌン」
「唐揚げ!」
「ピクニックじゃないんだぞ五歳児」
花見には弁当がつきものだと、中身のリクエストをしてくるロナルドにため息をつく。花より団子とはまさにこのことだ。
すっかり原稿の存在を忘れているロナルドがジョンと一緒に弁当には何を入れるのか話合っている。
「唐揚げ、おにぎり、卵焼き…」
「ヌヌンヌー、ヌイヌーヌ…」
どんどん小学生のお弁当のような中身になっていっている。この通りに作ると、茶色いものが大半を占めてしまう。
「桜を見ながら食べている自分を想像したまえ。持っているお弁当には何が入っている?」
食べたいものばかりあげるから、お子様ランチような弁当になるのだ。ドラルクは桜を見ながら食べるものとは何かを考えさせて軌道修正しようとした。
「んー…お祝いっていったらお赤飯」
「オヌニ!」
「ロナルド君達の中でお花見はお祝い事なのか」
「だってめでたいだろ?」
お赤飯にお寿司。お赤飯は俵型に握り、お寿司は手毬寿司にすると一口サイズで食べやすいし、見栄えもいい。ロナルドとジョンの話を聞きながらドラルクの頭の中で弁当が出来上がっていく。
弁当を作るのに必要な材料、時間を計算しながらドラルクから自然と鼻歌がこぼれる。
「桜が好きなのか?」
「ん?ああ、お母様の故郷の花だし好きだよ」
ドラルクの機嫌の良さが桜によるものだと思ったロナルドが尋ねた。リズムの外れた鼻歌はジョンとの会話に夢中になっていたロナルドの耳にもよく響いた。ジョンなんて耳をペタンと折りたたんでしまっている。
「桜の下には何が埋まっているか知ってるか?」
ふいにドラルクはロナルドに問う。ミラから聞いたことがある。ある小説家の話が広まり、今では都市伝説のようになっている内容。
「あれだろ。…死体が埋まってるってやつ」
「そう。花びらは血を吸ってピンク色に染まっているという話だ」
「なんでそんな怖い話ができたんだろうな」
ホラーが苦手なロナルドが花びらを指先で突いて不思議そうにしている。
「冒頭で桜の樹の下には屍体が埋まっていると書いた小説が元ネタらしいがな」
ドラルクは花びらをつまみ上げる。一枚でも桜だと分かるほど日本に馴染んでいる花だ。
「私は美しいからだと思っている」
手を離すと花びらはヒラヒラと再び机の上に落ちていった。
「美しさは人を狂わせる。桜や絵画、宝石でもなんでもいい。美しいものを見て一瞬時が止まるだろう。心を奪われる。まだ美しいという言葉を知らない幼子だって、桜を見て動かなくなる時がある。美しさは心で感じるものなんだよ」
トンとロナルドの胸にドラルクが指を置く。ロナルドは突然の出来事に怒ることもなく、じっとドラルクを見ていた。
「美しいものには大きな対価が必要だと人は考える。そうでなければ心を奪われる理由が分からないのさ」
絵画や宝石には大金が必要だ。血を浴びて美しさを保つ人がいるという話もある。桜は血を吸って美しく色づく。
目の前で自分を見ているロナルドをドラルクも真っ直ぐと見つめた。
「ロナルド君はどんな対価を払っているんだろうね」
「あ?俺は美しくなんかないぞ」
相変わらず自己評価が低いが、ロナルドはどこからどう見ても端正な顔立ちをしている。黙って立っているだけで女性が寄ってくるだろう。
中身は恋愛初心者の童貞なので、顔につられて近づいて来たものはロナルドが口を開くとすぐに離れていく。こんなに面白い人間そうそういないのにと、ドラルクの享楽主義が顔を覗かせる。ただ顔が整っているだけの存在なんてつまらないものだ。
「まあ、若造の場合は人であることを犠牲にゴリラとして光り輝いているからな!」
「だれかゴリラじゃっ!」
「お前じゃ!お前!ゴリラじゃないというならなんでも殴るのやめろ!むしろゴリラの方が理性があるわ!」
もう何百回とドラルクを殺してきた拳が当然のように振るわれる。普段はお人好しで遠慮しがちなのに、ロナルドはドラルクだけはとても雑に扱ってくる。
そういったロナルドの態度を見るたびに、高貴な高等吸血鬼であるドラルクをぞんざいに扱いおってという気持ちと、わがままを言えずに大人になったロナルドから甘えられているという嬉しい気持ちとが、混ざり合ってしまう。
美しいよ。自分を犠牲にして、自身を輝かせる善性の昼の子。
いつかその輝きを消し去ってしまいたい。
ロナルドの犠牲が対価となり、美しくなる物語など必要ないのだから。
「ロナルド君に桜は似合わないな」
ドラルクは笑う。いくら昼がロナルドを欲しがったとて、もう夜のものなのだ。
桜の下に埋めさせてなるものか。