運命と権利「『運命の相手』っていう概念があるんだって?」
「……まだそんな話題を僕に振るようなバカがいたとはな」
「えぇ、君の故郷では主流な考えだって聞いたんだけどな」
それを問われたのは、もう両手では足りないほどに彼を自室へ招いた時のことだった。ネオンを瞬かせる彼は酷いドロップ癖のあるSubで、しかしDomとのプレイもうまくこなせない。今までは『幸運』のおかげで辛うじて生きながらえてはいたものの、このままでいい訳もない。そして、白羽の矢が立ったのがレイシオだった。医者であり、Domであり、しかしDomの欲がそこまで大きくないからとカンパニー側から打診があったのだ。仕事は仕事、愚鈍の治療も自分の役目。その考えのもと、彼と軽いプレイをするようになったのが数か月前。
「でもほら、今の君は僕っていうSubに占領されちゃっている状態だろう?」
「僕に対して『運命だ』などと言って近づいてくるSubがどれだけいたと思っている。それを退ける口実があることに感謝こそすれ、煩わしさを感じることはない」
「でも本当の『運命の相手』だったらどうするんだい? その人と一緒になれるなら、絶対に幸せになれるって聞いたよ」
「…………はぁ」
あぁもう、面倒くさい。彼にこの話題を提供したのは誰なのだろう。学がなくとも頭のいい彼は、納得させるのにも時間がかかるのだ。それが何かの学問や研究に関するものであればレイシオも進んで言葉を交わしただろうが、今回のこれは当てはまらない。
「前提として、僕は今、一切困っていない」
「だからそれは、」
「事実として。僕は、今、一切困っていない」
「……うん」
「時間は有限だ、プレイをしながら会話をしても?」
問題なければセーフワードを。そう言えば、少し逡巡したのちに『助けて』と口にした。それが彼とプレイをする上でのセーフワードだった。プレイの中で口走ってしまいそうなくらいよくある言葉ではあれど、彼にとってのその言葉はあまりにも重い。だからこそ設定したのだ。自分では決められないという彼に、レイシオが提案する形で。
「『こちらへ』」
ソファに腰かけて、手を差し伸べることで彼を招く。ネオンが瞬く。きゅうと口を引き結ぶ。そして意を決したように、一歩。また一歩。コートをまとわない彼が近づくたびに、心の奥を何かが満たしていく感覚。それがDomとしての欲であることは十二分に理解していた。そして彼の、アベンチュリンのSubとしての欲も同じように満たされることをただ願う。こればかりは、彼の受け取り方次第で毒にも薬にもなってしまうから。
「ここに『座れるか』?」
「……いつもしてるだろ」
「気分じゃない時もあるだろう」
「君のコマンドは……っは、ぁ、嫌だったこと、ないし」
ぺたん、と足元に座り込んだ彼は、はふはふと息を乱しながら太ももに頭を預けてきた。目を閉じて、その足の温度を感じて、その先に『褒美』があることを信じて疑っていない。あまりにも無防備だ。
「ん……」
「それで?」
「な、ぁに」
「何故突然『運命の相手』などと話題に出したんだ」
「んっ、ぅ」
言葉ではなくその頭をゆるりと撫ぜることで『褒美』を与えれば、膝に乗るそれがさらに重たくなった。とろんと呆けた瞳でこちらを見上げて、でもまだスペースまでには至らない。至れない、のかもしれない。まだ彼はレイシオとのプレイでサブスペースに至れたことはないのだ。とはいえ、最初は簡単なコマンドだけでドロップしていたのを考えると大きな進歩である。
「『教えてくれ』、アベンチュリン」
「……だって、君、僕とずっとプレイをするだろう?」
「そうだな」
「君はきれいで、Domだけどやさしくて……だから、きみがしあわせになれないのは、おかしいだろう」
「今の僕が幸せではないと?」
こくん。その首肯は頭が完全に預けられていたからこそわかるくらいにはかすかなものだった。けれど、成程。彼はそう考えていたらしい。決してそんなことはないのだけれど、しかしそれを言えば彼は逃げてしまうだろうか。
「前提として、『運命』というものに科学的根拠はない。Domには必ず唯一のSubがいるということを証明するために奔走した学者もいたにはいたが……それは憶測の域を出ないものでしかなかった」
「こんきょ……」
「つまり、卵が先か鶏が先かという話だ。運命だから幸せになれるのではなく、幸せになってから相手が運命なのではという結論に至ることだってある。でなければ、星系さえ限定しない全てのSubの中から運命の相手が決められているなんて不可能だろう」
「じゃあ、……きみは、いま」
しあわせ? 思考がうまく回っていないのだろうか。いつもよりも幼さをまとった声音で問われた言葉に、ただただ微笑みだけを返す。
「『運命』かどうかなんて自分で決められる。そして人には、自分でその相手を決める『権利』がある」
自分の中のそれが満たされていく。空っぽだったそれが初めて満たされたのはいつだっただろう。ずっと空っぽであることが当たり前だったのに、今ではほんの少しでも足りないとなんとも言えない空虚さを感じるようになってしまった。
「僕は君が『運命』であればいいと思うし、君にも僕が『運命』であると思ってほしい……聞こえてないな」
「……?」
「『眠れ』、アベンチュリン。次は……サブスペースに入る練習をしよう」
きれいなネオンが見えなくなって、少したてば寝息が聞こえてきた。ただの『お座り』だけでここまで満たしてくれる相手なんてそういない。そして、彼もそうだと嬉しいと思うのはわがままだろうか。心も身体も満たしてあげたいと思うのは、それこそ傲慢というものだろうか。
でも傲慢でも許してほしい。レイシオとて、どこにでもいるような凡俗なDomでしかないのだから。