ピアポイントまで戻る遠征艇の中でアベンチュリンは頭を抱えていた。いや、確かにそれの原因を作ったのは自分だけれど。だからある程度の報復というか、仕返しというか、そういうのがあるだろうと覚悟はしていたけれど。でもこれは、決してアベンチュリンの想定内には収まらない。
どうしよう。どこかに時間を巻き戻すような奇物はないだろうか。もしくは対象者の記憶を消す薬とか方法が落ちていないだろうか。後者ならメモキーパーに依頼すれば、どうにか。アベンチュリンなんていう石心の依頼を受けてくれるようなガーデンの使者がいるとは思えないけれど。
本当に、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。でも仕方がなかったのだ。だって今回の遠征はそれなりにリスクがあって、だからもし言わなかったらそれを後悔するんじゃないかと、思って。ピノコニーの時はまだそういう関係ではなかったから何も言わなかったけれど、今はそうじゃないからそれなりの礼儀があってしかるべきだろう。彼という人が心を明け渡してくれたのだから、アベンチュリンも同じものを差し出すくらいの気概はある。
でも、だからこそこれは誤算だった。いや、少し考えれば分かったはずなのだ。つまりアベンチュリンの考えが足りていなかった、ということに尽きる。彼の嫌う愚鈍の致すところではあれど、もうそれはどうでもいい。今はこの状況を打破することの方が重要なのだ。
例えば今からこの遠征艇の行き先を変更してもらうことは、まぁできるだろう。アベンチュリンは死刑囚とはいえカンパニーの幹部でもあるのだから、ピアポイントではない別の場所へと指示を出すことは可能だ。ただそれをするとなると、この遠征艇に共に乗っている全ての社員たちが巻き添えを食らうことになる。今回の遠征は長期間にわたるもので、ようやくピアポイントへ帰還できるのだ。彼らにだって会いたい誰かや行きたいどこか、帰りたい何かがあるだろう。それをアベンチュリンの私情で遠回りさせてしまうのは、どう考えたってしていいことじゃない。
ではアベンチュリンだけをどこかに置いていってもらうことは。別のどこかではなく、遠征艇に追加で一泊させてもらうとか。それも多分、できなくはない。遠征艇はその中で寝起きすることが前提となっているし、今だって帰還には数日を要している。この場所で過ごす時間を増やすことは、アベンチュリンが一言言えば許されるだろう。ジェイドあたりにメッセージを飛ばせば簡単にできるくらいの、それくらい軽い話だ。
そうしてしまおうか。でもそれってつまり、ピアポイントで待っている彼に先に下船した部下たちが対面するということだ。遠征艇から出てこないアベンチュリンの居場所を彼は問うだろう。そしてしどろもどろに誤魔化した部下を見て、そしてそこに含まれた意味を考えて。そしてきっと、出した結論をもとに探しに来てしまう。
十中八九、彼はアベンチュリンがここに籠城しているだけだと結論付けるだろう。だから我が物顔でこの遠征艇に乗り込んで、強く出れない部下たちを遠ざけて、そしてこの扉を開いてしまう。呆れたような顔で名前を呼んで、ここに隠れた意味さえ筒抜けで。そんな未来が容易に想像できてしまう。
でももし、彼がそんな結論に至れなかったら? 例えばこの遠征によって何か不測の事態が起きて、そのせいでアベンチュリンがこの船に乗っていないのだと考えたら。そしたら、きっと。
「探しに、来ちゃうんだろうなぁ……」
これはアベンチュリンの想像でしかないけれど。いっそ願望に近いのかもしれないけれど。でも、彼はきっとそうしてしまうだろうという自信があった。今は何事もなくピアポイントに戻ってはいるものの、遠征先で身動きが取れずにそのまま、という可能性もあったのだ。そして実際にそうなった場合、彼はそこまで探しに来るだろう。そんな、確信にも近い何かが。
「……レイシオ」
あの綺麗な顔を汗で汚して、髪を砂ぼこりで乱れさせて。もしかしたらメイクも崩れてしまっているかもしれないし、靡いたその衣服もぼろぼろになるかもしれない。でも綺麗な彼はそんなことを気にせずに探しに来てしまうのだ。必死になって、アベンチュリンという人を探し出してしまう。彼にとってのそんな場所を占領しているということを、そんな存在であることを、アベンチュリンは知っている。
「総監、間もなく到着ですが……その、」
扉を叩いた部下はなんとも言い難い顔をしていた。それだけで分かってしまうのだ。既にその場所で彼が待っていること、その彼の顔がいつも以上に険しいこと。その理由が、この遠征艇に乗る自分であるということ。
「あはは。うん、大丈夫。教授は僕が回収するから、君たちはそのまま直帰してくれて構わないよ」
「承知しました」
良くも悪くも五体満足で、身体のどこにも一切の不調はない。怪我もしていない。これが、彼が回した手によっての功績であることは十二分に理解していた。そしてその原因は遠征前にアベンチュリンが彼に告げた言葉であり、だから全部、アベンチュリンが悪い。
「……命を賭けるのは、僕にとって当たり前なんだ」
ねぇ、レイシオ。そんなことを口にする。まだ遠征艇は到着しない。だから彼には届かない。これは、予行練習だ。彼と対面した時に口にできるようにするための、何の意味もない練習時間。
「指の一本すら欠けてない。髪は……数本くらいは落としてきたかもしれないけど。でもそれはただの代謝でしかない。だから、僕はまた賭けに勝った」
想像の中で彼が眉を顰め、その眉間に深いしわが刻まれた。そんな顔をしないでほしい。これが『アベンチュリン』の生き方であり、彼であろうとそれを変えることなんてできはしない。でもできはしないからこそ、無理に変えさせようとしないからこそ、アベンチュリンは願ったのだ。この遠征が終わる時――――彼と結ばれてから切りのいい年月を経た今日が帰還予定の、この遠征が終わる時。そんな時まで生きていられたら。
「きっと嬉しくて死んでしまうから、そうならないように」
強く、硬く、抱きしめて。既にダイスは転がりきってその目を出した。つまりは逃げられる訳もない。彼はいったいどうやってこの身体を繋ぎとめてくれるのだろう。しかめっ面のままなのか、それともあきれ顔をしながらも酷く大切なものを見るような目をしてくれるのか。手の温度はいつも通りあたたかいのか。緊張して少し冷えているのか。
それの答え合わせまで、あと何秒あるのだろう。この遠征艇が地面へと降り立ち、扉を開き、そんな彼の下へ辿り着くまで、あと。