call me Aurelius クリーデンスはアウレリウスと呼ばれるようになった。
馴染めないその音を、彼は日に何度か口の中でつぶやいた。自分の耳に沁みこめる方法が他にないかとも思いながら。
夜、すっきりと整えられた上等で清潔な寝具の中に横たわった後に。
朝、ひとりが眠るためには広すぎる部屋を彩る贅沢なカーテンを纏う窓に差し込んだ光で起きた時に。
昼、丸天井の高さとは正反対に書架の階段の下に低く座り、もう慣れた魔法族の本の紙面を動く文字の中に似た綴りを見つけた時に。
(アウレリウス)
異国の言葉だ。
なにもかも。母音の強い、確たる音節を持つ言葉たち。あれから耳にするのは。
ナギニ。彼女と別れてから。
思い出すと彼女はいくつもの言語を話せた。
ここの暮らしが長いからよ、といつか笑った顔は遠いところを思い出していた。東の国。アジア。暖かい森の中で母と姉妹と住んでいたと話してくれた。
もういない、とも。
同じね。と言ってくれたが、彼女と己は違う。
彼女は密猟者たちから家族を守るためにひとりになった。
己は家族だったものを殺してひとりになった。
それでもいつか、彼女のように、異国の言葉のいくらにも、馴染むようになっていくだろうか。
目の前で魔法の本の文字は踊る。
文字が入れ替わる。まるでからかうように。
A L B …―――
「アウレリウス・ダンブルドア」
静かな声が落ちてきた。踊っていた文字たちは首を掴まれたように止まり、紙面に整列した。
彼の声は耳の奥にちいさな氷の破片のように刺さって、溶けた。あるいは帳のように静かに落ちた。
「気にいる本はあっただろうか?興味のあるものは取り寄せよう。ノーマジの本でも構わない。知ることには遠慮も躊躇も無用だ。隠されているものは、知らねばそうとわからない」
銀の糸のようにすらすらと出る、と彼の言葉に対してそう思う。
座っている書架の隣に立ち、グリンデルバルドは無言でいる相手に苛立つことも茶化すそぶりも見せなかった。
一冊の本が差し出される。革表紙に、薄白く光る石が嵌っている。
「吟遊詩人ビードルの物語」
タイトルを思わず口にした。子供向けの本だろうか、そこから始めろというわけか。
侮られるのは慣れていたし、もっともだとはわかる。魔法族と異国、そのどちらにも生まれたばかりの子どものようなものだ。
「我々の世界ではよく知られた話だよ。アウレリウス、君なら何を選び、どう使うのか、読み終わって思うところがあれば聞かせてほしい」
声は銀の糸だった。するすると己の耳に垂らされて、アウレリウスと呼ぶ音が耳の奥に広がった。
それが名を馴染ませるには一番であるような気がした。
差し出された革表紙を手にとった。乳白色の石の名も知らない。まだなにも知らない。彼と語る言葉を知らない。この名を呼ばせるための言葉を知らない。
表紙をめくるのは、扉を開けることに似ていた。
そして、名を呼ばれるたびに遠ざかる。
(クリーデンス)
その名を最後に聞いたのはナギニの声。彼女の必死な呼びかけ。それでも彼女の声で心に残していけるのはあの自分には幸いだ。
「アウレリウス」
銀の糸が染みこむ。透き通った糸が体の隅々まで通って馴染みきったら手足を絡めとられるだろうか。そんな魔法は、あるのだろうか。
けれども、今は名を呼ばれたい。
Lumos,と彼が囁く。
光が灯り、書庫の薄闇が遠ざかる。
「光をあげよう、アウレリウス。暗闇で読む楽しみは君にはまだ早い」
彼が手の中の淡雪のような光を本にかざす。
色の淡い睫毛の影の下で、少しだけ微笑んでいるようにも見える。
―――かつての自分を、彼が呼ぶ名で脱ぎ捨てるのだ。
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