4.嘘も本当も、果ては恋俺は嘘つきだ。自覚している方が罪悪感を覚えずにいられる事も含めて、そう理解している。
「ネロ! もう動いて大丈夫なんですか」
ある日の夕方、様子を見に来た賢者さんは扉を開けこちらを見るなりそう言った。
先日の厄災戦で死にかけたとはいえ、いつまでも寝ている訳にはいかない。壊れた街や村の様子を見に行ったり修復を手伝ったり、また異変が起きた所があれば任務に赴く事も出てくるだろう。
「少しずつでも動かしていかねえと身体が固まっちまいそうでさ」
「……無理はしないでくださいね」
「分かってるよ、誰かさんの為にもな」
「そうですよ、本当に心配したんですから」
「はは、面目ねえ」
魔法舎のキッチンには当分立たせて貰えないだろうし、まずは自室のキッチンでリハビリをと思ったのだが。
「ずっと寝てたから体力が持たねえな。コーヒーを淹れるだけがやっとだよ」
「当たり前ですよ。普通の人間なら死んでますから」
「魔法使いってのはしぶといやつだからさ」
「……でも、そのおかげでこうして私はネロに会えたので」
「そうだな」
賢者さん──晶の心情を察して思わず胸に抱き寄せる。大人しく腕の中に収まった彼女は、少しこちらを気遣うよう遠慮がちに身を預けてくれた。
「……ネロ」
「ん?」
「その、他は何とも無いですか」
「他?」
「奇妙な傷、とか」
「ああ、そういやそうだな」
俺はしばらく考えるそぶりをしてから、ゆっくりと彼女を見た。
「今のところは何ともねえよ」
「そうですか……何かあったらすぐ言ってくださいね」
返事の代わりに頭をポンポンと軽く叩いて再び強く腕の中に閉じ込める。少しでもその不安が安らぎますようにと祈りを込めた。
少しの間、その日の出来事や連絡事項と他愛のない話をして。彼女は夕食を取りに行ってきますと部屋を出ていった。
「甲斐甲斐しく世話されてんな」
「うるせえ」
音も気配も立てずにやってくる男に俺は愛想もへったくれもない返事をする。流石に今は魔法で追い返す力もない。使ったところで目の前の人物、ブラッドリーには到底敵わないのだが。
「中途半端な事してんじゃねえぞ」
「……」
この男はどこまで解っているのだろうか。
「賢者を生かすも殺すも、てめえ次第って事だ」
「俺はそんな大それた存在じゃねえよ」
「価値観じゃねえ、責任の話さ」
ブラッドリーは椅子に座り、どこからか持ち出したウイスキーのボトルを開けてグラスに注ぐ。
「気付いてんだろ」
「確証の無い事を話す気にはならねえよ」
「確証も何も、今まで無かったものじゃねえか」
「……」
琥珀色の液体を揺らしながら、何もかも見透かしたような顔で話を続ける。
「厄災の傷は話して減るもんじゃねえだろ」
「減るよ」
「じゃあ減らしとけ」
「嫌だ」
「肝心な時に使いもんにならねえと困るだろうが」
「そんな日は来ねえよ」
「どういう意味だ」
「……」
俺は観念して、その意味を伝えた。
***
「ネロ、夕食を持ってきました」
「ああ、ありがとう」
「何をしてるんですか?」
ベッドに座り両手を握ったり広げたりしながら、手指の可動域を確認しているところに晶が食事を持ってきた。
「身体がなまっちまってるからさ、少しずつ動かす練習ってやつ?」
「リハビリですね」
「そう、それ」
「何か手伝える事はありますか?」
「……晶、ちょっとこっち」
食事の乗ったトレイをテーブルに置いたあと、彼女は呼ばれるままにこちらへやってくる。その手を少し強めに引き寄せた。バランスを崩した晶はそのまま胸元へと転がり込む。
「わっ!」
「悪い、強く引っ張りすぎた」
「何するんですかもう、びっくりするじゃないですか」
「はは、悪い悪い。 怪我しなかったか?」
「平気ですよ、丈夫だけが取り柄なんで」
「それは頼もしいな」
そのままどさくさに紛れて抱きしめた。本当はもう少しスマートにこうしたかっただけなのだが。
「……慣れねえな」
「え?」
「あ、いや。 賢者さんは飯食った?」
「まだです。 ネロと一緒にと思って」
「そっか、じゃあ冷めないうちに頂くとするか」
晶の頭を優しく撫でて、その額に口付ける。
「……ネロ」
「ん?」
不意に声をかけられて下を向くと、両手で顔をホールドされた。そしてそのまま下に引き寄せられて──唇に触れる温もりに俺は目を丸くした。
「っ、」
「これでおあいこです」
「な、え……?!」
「さ、夕食にしましょう」
「……」
呆気に取られている間に彼女はスタスタと席に着く。よく見ると耳が真っ赤なのが本当に可愛らしい。分かったよ、とだらしなく歪む自分の顔をそのままにその後に続いた。
食事を終えて、食器を片付けようとすると全て回収された。
「今日は私が片付けておきますから、ネロはゆっくり休んでください」
「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「ネロ」
「ん?」
「……無理はしないでくださいね」
「大丈夫だよ、自分の事はよく分かってるから」
一瞬、何か言いたげな視線がこちらを向いた。
「また、明日来ますね」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい」
ほんの少し、声が震えていたような気がする。
「……ごめんな」
その声が彼女に届いたかどうかは、知らない。
「馬鹿だなてめえは」
「何が」
「なんで言わなかった」
「……言う必要ねえだろ」
「隠し通せると思ってんのか」
「妙な不安を煽りたくないだけだよ」
「気付いてんぞ」
「まさか」
「てめえは賢者を侮りすぎだ」
「違うよ」
「何が」
「……違うんだよ」
ベッドに転がり、ぼんやりと天井を眺める。
「……なんでもねえよ、こんなの」
誰に言い聞かせる訳でもない言葉が思わず零れる。天井に透かした右手を眺めて、ゆっくりと握りしめた。
***
数日後、すっかり体調も元に戻ったところでファウストがフィガロを連れてやってきた。
「どうだい?」
「お陰様ですっかり治ったよ」
「見た目は大丈夫そうだけど、まだ完全ではないだろうし、無理はしないように」
「ネロ、君は当分任務から外れてもらう」
「……ああ、世話かけるよ」
「賢者が気にしていた」
「賢者さんが?」
「元気がないようだから、君からも励ましてあげて」
あれから。彼女はその翌日に顔を出してくれたものの、任務でしばらく忙しくなるとは聞いていた。それを理由にしてこちらもあえて会わずにいたのだが。
様子を聞く限り原因は明らかに自分だろうなと察しはつく。
「……久しぶりに何か菓子でも焼くか」
「ネロ」
「そろそろ身体も動かさねえとな」
二人が部屋を出た後、材料を揃えて久しぶりにクッキーを焼いた。可愛らしい猫の型のそれらを丁寧に袋へ包みリボンをかける。中々の出来だと思う。
「よし」
焼きあがったクッキーを持って部屋に向かおうとしたところ、窓の外に目的の人物がいるのを見つけた。周りには誰も居らず、ひとりで大きな木を眺めているようだ。視線の先に何かいるのだろうかと見てみるが、こちらからは何も見えない。
声をかけようかと窓を開けた所で、なんと彼女が木を登り始めたのだ。俺は咄嗟に箒を出して窓から飛び出した。
彼女は枝の上にそろそろと登り、手を伸ばした。その先には小さな子猫の姿が見える。
「にゃー」
「大丈夫、こわくないよ」
「にゃ」
子猫が彼女の手に擦り寄ってきた。その手をゆっくりと胸元へ引き寄せる。
「よし、後はそっと降り……あっ!」
「おい!」
バランスを崩して落ちかけた所へ咄嗟に右手を伸ばし、呪文を唱えた。
《アドノディス・オムニス》
子猫を抱いた晶をふわりと包み込んだまま箒の後ろへと乗せ、そのままゆっくりと地面へ降りた。
「……あぶねー」
「あ、ありがとうございます……」
「怪我してないか?」
「はい、ネロが助けてくれたので」
ほら、と腕の中を広げて子猫の無事を知らせる。
「あ……うん、子猫も無事で良かった。 で、あんたは?」
「私も大丈夫です! あの、ネロ……」
「ん?」
「本当にありがとうございます。 その、病み上がりなのに……大丈夫ですか」
「ああ、このくらいなんて事ないよ。 気を使わせて悪かったな」
「いえ……私は……」
「そんな優しい所も、好きだよ」
「!」
「俺は卑怯者だからさ、すぐ逃げるし誤魔化すし、適当なことしか言わねえけど」
「そんなこと」
「でも、あんたを全力で守るって気持ちに嘘は無いから」
「……ネロ」
腕の中でにゃーんと子猫が鳴く。その声でハッと我に返った彼女が慌ててその手を解放した。子猫はとたとたと歩き出し、少し離れた所で何か言いたげにこちらを振り返った後、何事も無かったかのように走り去った。
「私も、ネロを信じています」
「……ありがとう」
「ひとつだけ、いいですか」
「なに」
「右手の事は、聞いちゃ駄目ですか」
「……やっぱ知ってた?」
「今、確信しました」
「あー……」
カッコつけた手前、逃げる訳にも誤魔化す訳にも行かなくなった。さっさとクッキーを渡して部屋に戻るべきだった。しかしここでそれをしてしまえば今度こそ気まずい事になるだろう。
「厄災の傷か、怪我の後遺症か分かんねえんだけど」
俺は腹を括って現状を話した。
「感覚がないんだ。自力では動かない」
「っ……!」
目の前で息を飲むのが分かった。だから言いたくなかったのだ。優しい彼女の事だから、責任を感じてしまうだろう。そして俺は戦力外通告を受ける事になる。それはそれで楽隠居出来るなと、以前の自分ならそう思っていただろう。
だけど。
「……まあ、魔法使いだからさ。その辺は上手くやるさ。慣れるまで時間がかかるけど」
「……ネロ」
「一時的なものかどうかも分かんねえし、変に心配かけたくなかったけどさ」
俺は彼女の頬を伝う涙を左手で拭う。俺なんかの為に泣いてくれるその優しさを、何一つ取りこぼしたくなかった。
「言わない事で不安にさせるくらいなら、全部話すよ」
「……」
「それでも、あんたの側にいてもいいかな」
生憎、まだ賢者の魔法使いである紋章は残ってるんだ。俺にはその資格があると信じたい。
信じさせて欲しい。彼女を守る資格があることを。
「もちろんです!」
途端に強く抱きつかれ、手のやり場に困った。
「私の方こそ、勝手に拗ねて距離を置こうとしていました。 ごめんなさい」
「晶……」
「話してくれて、ありがとう」
「……うん」
「ネロ、大好きです」
「……うん」
やり場に困って上げていた両手をそっと下ろして、彼女の背中に回す。トントンとあやす様に背を叩き、落ち着くのを待った。
「……あのさ」
「はい」
「あちこちから視線を感じるんだけど」
「えっ」
咄嗟に顔を上げて周りをキョロキョロとするも、そう簡単には姿を見せるわけが無い。相手は手練の魔法使い達だ。
「どうしましょう……」
「どうもこうも、見られちまったモンはしょうがねえ」
「えっ」
「どうせならとことん見せつけてやるか」
「えっ」
分かりやすく、ゆっくりと顔を近付ければ慌てふためいた晶が両手でそれを阻止してくる。
「いいじゃん、減るもんじゃなしに」
「駄目です」
「はは、少しは落ち着いたみたいだな」
「……はい、ありがとうございます」
「じゃあ、続きはまた今度のお楽しみに」
「っ、もう!」
分かってるよ、と彼女の頭を右手で軽く撫で回してその場から歩き出す。結局ポケットの中のクッキーは渡しそびれているのだけれど、またそれを口実に会えば良い。
俺は嘘つきだ。自覚している方が罪悪感を覚えずにいられる事も含めて、そう理解している。
だけど、そこにある本当の気持ちは揺るがないものである事も確信している。
ただ、翌日食堂にやってきたリケに「ネロは病み上がりにもかかわらず賢者様に言い寄るなんて堕落しています。振られて当然です」と言われたことは秘密にしておこう。そのくらいは許されたい。