きっかけは突然だった。久しぶりに入った大きな依頼をようやく片付け、これで暫くはゆっくり眠れるしヴォックスとも落ち着いて過ごせるな、なんて微睡んでいる時に、あのデカい、無駄にいい声で俺のとっておいた酒をどこへやったんだなどと酔っぱらった勢いで部屋に飛び込んできたことだった。ここ数ヵ月の不眠からやっとおさらばできそうだ、とその声の主の枕に顔をうずめた時だったのに。
確かに疲れた足を引きずって帰ってきて、冷蔵庫にたまたま残ってた美味そうな酒をよく確認もせずに飲んだ俺も悪かったけど。
最高にイライラしているのを噛みしめ、「悪かったな!!!!!でもこの前ヴォックスも俺が帰ってきてから食べようと思ってた限定のアイス、酔っぱらって食っちゃったじゃん!あれまじで手に入らないんだぞ!!!!!おあいこだろ」
と叫ぶと
「あ~はいはい、確かにそんなこともあったかもな」
なんて飄々と返してくる。それにもついイラっときて、
「つい昨日のことだろ!400年以上も生きてると昨日のことも忘れちゃうのかダディ?」
と、煽りにも満たないようなしょうもないことを返す。
「あぁそうかもしれんな。じゃあ聞くが、俺より数百年も生きてない子狐くんはどうして毎回服は裏返したまま洗濯機に入れるなと言うのを忘れるんだ?」
「それは……っ、最近忙しかったんだし仕方ないだろ」
「ハッ、そうかそうか。それは大層なことだな」
1投げたら100返ってくるし、それに対して返せばまたそれ以上でド正論に皮肉を詰め合わせたみたいな言葉が返ってくる。この酔っぱらいとこんなしょうもない言い合いをしていては俺の睡眠時間が無くなるだけだ。
というか今更ながらだけど、とヴォックスに言われたことを振り返ってみるが、逆に俺ができてることって何だ?というレベルであれこれと出来てないと指摘されることが出てくるな。急にそれってヴォックスは満足してるのか?俺がいない方が楽に生きれるじゃん。そうしたら、きっと、もっと、幸せになれるよな、なんて考えでいっぱいになってきた。
まだあれやこれやと言っているヴォックスに怒りと悲しさに任せて
「うるせぇな!!!俺が悪かったよ。もうしない。ヴォックスに迷惑もかけない。荷物は明日お前がでかけてる時間にでも取りに帰るから。じゃあな、次は俺みたいな何もできねぇ奴じゃなくてもっとまともな人間様でも見つけてくるこったな」
あ!おい待て!と後ろで叫んでいる彼を無視して脱ぎ捨ててあったコートを掴み、乱暴にドアを閉めてアパートから逃げ出した。
はっと気づけば大分離れた街の外れまで来ていて、辺りは静かな闇のなかに所々飲み屋やらアングラなクラブから漏れ出る歓声と歌声だのが聞こえるだけとなっていた。
こうなったら朝までやけ酒でもしてやる、とコートのポケットをあさり、中に入っていたコインを手のひらに広げる。
「チッ、大して入ってねぇのかよ」
くそが、と近くにいた番らしき二匹の猫に中指を立てて威嚇をすると、ぴょんと跳ねてどこかへ逃げていってしまった。
ともかく。正気を取り戻し始めた頭で、こんな暗いところに一人でいられる訳もなく、仕方なく再び家路に着くこととなった。
静まり返ったアパートのドアを開き、ついいつもの癖で
「ただいま~……」
と呟く。
さすがに何時間も寝ずに泣きながら歩いてきたせいでお腹がぺこぺこだ。
何か買いにいけばいいが、生憎大した持ち合わせもない。
「何か作るか……」
適当に冷蔵庫を漁り、これなら無くなっててもさすがに怒られないだろう、といくつか卵を取り出す。
今会っても気まずいし、寝ているであろう彼を起こさないようにそっとキッチンの下の扉を開けてフライパンを、隣のフックから適当な調理器具を取る。
卵を器に割り入れて、手際よく混ぜていく。
「あれ……砂糖どこだ」
「これヴォックスいつもどうやって巻いてるんだ……」
できるつもりでいたが案外上手く行かず、うぅ……と唸る。
「貸してみなさい」
不意に頭上から聞こえた声と、自分の左手に重なる大きな手のひらから伝わる熱に驚き顔を上げると、どこかほっとしたような顔をしたヴォックスがいた。
「砂糖は、この棚の一番左、黒い蓋のだぞ。白いのは塩」
「あの、」
「これは端の所を少しずつ箸でつついて丸めていくんだ。ゆっくりな」
子どもに教えるように話ながら、俺の手を握って作り始める。
「だから、あの、ヴォックス」
カチ、と火を止め、ん?といつもと変わらない優しい表情と声色で言う。
「……怒ってねぇの?」
「怒ってないよ。疲れてるのに怒鳴ってしまって申し訳なかったね。よく頑張ったね」
ごめんね。偉いぞ。と優しく頭を撫でられ、思わずこみ上げる涙を見られないように、ぐっと下を向く。
「疲れたろ。ほら、おいで」
彼の大きな胸にぎゅ、ともたれると、背中を優しくとん、とん、とさすられ眠気を誘う。
「…これからは、きをつけるから、みすてないで」
「見捨てたりなんてしないよ。私が手伝ってあげるから、ゆっくりまた進めばいいよ。な?」
「……うん」
「お腹、すいたか?」
「うん」
「じゃあこれ、一緒に作って食べようか。あとあの酒も一緒に分けて飲もうな。こんな時間だけど...今日くらいは、な」
少しいたずらっぽく笑って再びカチッ、と火をつける。
不格好で、少ししょっぱいオムレツは、それでも2人の中を溶かしていくような甘さがあった。
投稿日:2022'08.20