【イルアズ】僕と君の間には「えっ、二人って付き合ってるんじゃなかったの?」
切っ掛けは、級友が何気なく放った一言だった。
その日の昼休みもいつものように、昼食を終えた入間軍三人は中庭の片隅に植えられた木の下で、肩を寄せ合ってお喋りに興じていた。
ところが途中、クララがエリザベッタからの呼び出しを受けて駆けて行ってしまったので、残された入間とアズは、しかし先ほどまでの態勢のまま――つまり、肩をぴたりと寄せ合って、入間はアズの二の腕に頭を預けるようにして寄りかかり、アズはその入間の頭に自分の頭を預けるようにして顔を寄せ、ついでに、アズの左手は入間の肩を抱くような格好でその小さな肩の上に添えられている――ちなみにそれは、先ほどまで入間の左側にはクララがいて、入間の膝の上に頭を預けて寝転んだかと思えば、入間の左腕に抱きついたりしたりしていたのをあしらうためにそちらに回して、そのままになっているだけなのだけれど――という格好で――そのまま二人で他愛のないお喋りを続けていた。
話題は本当に些細な事ばかり。先ほどの授業で分からなかったところの確認であったり、ここに来るまでの間に廊下ですれ違った二人の教師の片方が、隣の教師と生徒の名前をごっちゃにして呼んでいるのに気付いていなかったことであったり、それから、次の休みはどう過ごそうかという相談であったり。
クララが居ると、自然と三人の距離が近くなるのは彼らにとっていつものことで、そこからクララだけ抜けたからといって敢えて距離を取り直すのもなんだかよそよそしいし、そのままでも不快ではないし、むしろ暖かくて幸せな気持ちだし……という、ただ、それだけなのだ。二人が、恋人同士だって公衆の面前ではそんなべったりくっついていないだろう、というくらいべったりぴったりくっついている理由なんて。
二人はしばらくそうやって過ごしていたけれど、今度はアズのス魔ホが鳴った。師匠からの呼び出しを受けたアズは、後ろ髪を引かれるように何度も何度も入間の方を振り返りながらも、バラムの研究室がある塔の方向へと駆けて行った。入間はちょっぴり寂しそうにその背中を見送る。
――と、いう一連の場面を、どうやら見られていたようで。
「イールマくんっ!」
「わっ!」
木の下に一人残った入間の背後から、ひょこりと顔を出したのはリードだった。指先を伸ばした手を水平にして、目の上にひさしを作るような格好で、アズが去って行った方向をわざとらしく眺め、アズアズ行っちゃって残念だったねぇ、と入間を揶揄うような口調でそう言った。
「うん……まあ、バラム先生からの呼び出しじゃ、仕方ないよ」
しかし、入間は自分が揶揄われているとは気付いていない様子で、寂しそうな笑顔を浮かべて見せる。
その反応は意外だったらしく、リードはやれやれとでも言いたげにため息を吐いた。
「ほーんと、相変わらずラブラブだねぇ。あんまり校内でイチャついてると彼女いない連中が僻むよー? ……主に僕とかが」
「えっちょっリードくぐえ」
唐突にリードからチョークスリーパーを掛けられ、入間はその場でじたばたと暴れる。が、リードは意に介さず、このやろー、とか言いながら、ぐいぐいと入間の首に回した腕に力を入れる。無論本気で首を絞めようという動きではないけれど、リードの腕に追いやられた顎が上を向いてしまうので声も思うように出せず、ぐえー、と蛙の潰れたような声で抵抗の意を示すのがやっとだ。
一頻りぐりぐりされてからやっと解放され、入間は「もー、何するの」と笑いながら、制服を手で払って皺を伸ばす。
「彼女いない僕の前で、これ見よがしにアズアズとイチャイチャしてるからでーす。羨ま死ねの刑ー」
リードはふざけたような調子でそう言うと、腕を頭の後ろで組んで、これ見よがしにつーんとそっぽを向いた。
「もー、イチャイチャなんてしてないってばー」
曲がったタイを直しながら入間が苦笑いと共に答えると、リードは「はぁっ?!」と素っ頓狂な声と共に振り向く。
「アレがイチャイチャじゃなかったら何?! あんなのイチャイチャのうちに入らないってコト?! あれ以上のコト校内でやってたら流石にカルエゴ先生に通報するからね?! 処されろ!!」
「えっ、いや、違、だって、相手アズくんだよ?」
「いや、だからダメなんじゃん! 校内でカップルがイチャイチャしてたら校内の風紀が乱れますーぅ!」
リードは校内の風紀なんて、どちらかと言えば率先して乱している方――何せ校内ギャンブル常習犯である――なのだが、自分のことはまるっと棚上げすることにしたらしい。ぶーっ、と唇を尖らせて、頬まで膨らませて、不満そうな顔を浮かべる。
しかし、リードのその言葉を聞いた入間はきょとんとした顔で首を傾げた。
「……カップル?」
「カップルじゃん」
「……僕とアズくんが?」
「いや、他に誰か居る?」
「…………えっ?」
「えっ?!」
「ええーっ、リードくん、僕とアズくんが付き合ってるって思ってたの?」
「えっ、二人って付き合ってるんじゃなかったの?」
声を裏返す勢いで驚いた様子のリードに、入間はふふっと吹き出して、ないない、と笑う。
「だって、僕とアズくんだよ? ないない、付き合ってないって」
「いや…………クラス全員……っていうか何なら悪魔学校の関係者全員、イルマくんとアズアズは付き合ってるって思ってるよ……多分……」
「えっ……?」
先ほどまで笑い転げていた入間は、ふざけている様子ではないリードの声に、思わずすんっと真顔になる。
「……えっ…………冗談じゃなくて?」
「いや、本当に……僕も今の今まで二人は付き合ってるって思ってたし……少なくとも、問題児クラスは全員イルマくんとアズアズ付き合ってる前提で会話してるよ。……あ、クラリンの立ち位置については諸説あるけど」
「……諸説……」
「今のところ、三人で付き合ってる説と娘ポジション説が有力。その辺、本人に聞いてもはっきりしないからさー。ってか、え、ほんとのほんとに付き合ってないの? 大ニュースなんだけど」
「付き合ってないってばー! ……ただ、一番仲が良い、ってだけで」
「……まあ、本人が言うならそうなんだろうけど……ええ……あれで付き合ってないの? だって、例えば、ほら、ちょっとそこ座って」
リードに促されるまま、入間は先ほどまで座っていた木の下に改めて座り直す。すると、リードがそのすぐ隣にぴたりと寄り添って座ってきた。
「えっ、な、何?!」
思わず反射的にぴょんと身体が跳ねて、リードとの間に少し距離を取る。
「ほら、僕がこの距離に座ったらびっくりするでしょ?!」
「えっ……だってほら、それは、リードくんだし」
「待って今のちょっと傷ついたんですけど……いや、うん、いいんだけど、僕、アズアズたち程じゃないけど、それでも結構イルマくんと仲良い方だと自負してるわけ」
「うん、僕もそう思ってるけど」
「それでも、この距離でこうやって」
そう言いながらリードは、入間の腕にぎゅっと抱きつくようにして寄りかかってきた。
「べったりくっついてたらなんか……気持ち悪いじゃん!」
「えっ、でも、別に、嫌じゃないよ? それにほら、時々ハグしたりすることだってあるじゃない」
「そりゃ僕だって、嫌ではないですケド! 特別な時にハグしたりするのはいいよ、でも休み時間の間ずっとこうやってたらやっぱりちょっと……近すぎじゃん」
「……うん、まあ……そう、かもしれない……でもほら、相手がリードくんだから……」
「だからその言い方はちょっと傷つくってば。でも、つまり、アズアズが相手ならこの距離は変じゃない、ってことでしょ?」
「……うん……アズくんかクララなら、別に、普通かな……?」
「でさー、僕は知ってるんだけどさー」
「な、何を……?」
「クラリンとイルマくん二人の時は、別にそんなにべったりしてなくない?」
「そんなこと――」
ない、と言いかけて、入間は少し考える。アズよりはむしろクララの方が抱きついてきたり、腕にくっついてきたりする方が多い様に思うのだけれど、よくよく考えれば確かに、クララとずっとくっついている、ということは少ない。それは単にクララの落ち着きがなくて、すぐにくっついたり離れたりしているだけなのかもしれないけれど、クララとお喋りをする時は、正面に向き合っていることの方が多い。
「……それはでもほら、クララが元気だからで……」
「まークラリンのことだから、一箇所にずっとじっとしてるワケないけど、なんか距離感が違うっていうかさー」
「で、でも、クララがいなくて僕とアズくんだけだったら、こんなにべったり…………」
していない、と言いかけてた入間の脳裏にちらほらと、クララがいなくても、気がついたらアズの隣にべったりくっついている自分、或いは、自分の横にぴったりくっついているアズの姿が浮かぶ。
「してるじゃん」
「……してる、かも……あれっ、でも……だって……クララがね、いつもわーって、ほら、くっついてくるから、それに釣られてアズくんも……僕も……くっついてるだけ……で……あれっ……?」
片腕にリードをくっつけたまま、入間は空いている方の手で頭を抱える。
「く、癖になってるかもしれない……いやでも、それだけ、それだけだから、付き合ってるとかじゃないから」
「えー、じゃあさー、アズアズがイルマくん以外の誰かにこの距離でくっついてても気にしないワケ?」
この距離、のところでリードはぐいっと顔を寄せてくる。入間は反射で上体を反らして逃げた。
と。
突然リードが炎上した。比喩ではなく物理的に。横から投げつけられた火球によって。
「っっっっっつ! あっっっっっっっっつ!!」
悲鳴と共にその場を飛び退き、地面を転がり回るリードの身体はあっという間に鎮火したけれど、髪や制服が所々ぷすぷすと焦げている。
「シャックス――」
一拍遅れて、地獄の底から響くような恐ろしい声がした。入間が振り向くと、そこにはいつの間に帰ってきたのやら、アズが仁王立ちになっていた。
それはもう、鬼のような形相で。
「貴様! イルマ様に何をしていた!」
「……ちょっと、恋バナしてましたぁ……」
「なっ――! 入間様に下劣な話を――!」
再びアズの手から火球が飛び、リードの悲鳴が響き渡る。
「あっ、アズくん、落ち着いて! 大丈夫、大丈夫だから――!」
――結局、リードを焼き殺さんとするアズのことをなんとか宥めているうちに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴いて、その話は有耶無耶になってしまった。
ただ、リードの、「アズアズがイルマくん以外の誰かにこの距離でくっついてても気にしないワケ?」という一言だけが、その日ずっと入間の脳裏をぐるぐると渦巻いていたのだった。