朝方のぷおふと目が覚めるとベッドに一人だった。昨夜は愛し合った後一緒に風呂に入り、そのまま彼を抱き枕代わりに眠りについたはずだ。しかしその彼はいない。閉められたカーテンから漏れる光はまだ強くはなく、端末を手繰り寄せ時間を確認すれば午前5時。起きるにはまだ早い。予定がなければ尚更だ。
寝返りを打ち見慣れた室内を見渡すと、昨夜俺が丁寧に外し壁に立てかけた義足もそこになかった。家用の軽く負担が少ない彼の脚は付け外しも容易で、寝ている間にするりと抜け出て行っても気が付かないことはままある。トイレか、はたまた日課のランニングだろうか。眠りに落ちる前、彼はベッドで微睡ながら走りに行くのは無理そうだなと口にしていたが。彼が寝ていた場所のシーツに触れればまだ僅かに温度が残っていた。出て行ってからそれほど時間はたっていないはずだ。覚醒しきらない頭で上体を起こし、静まり返った室内で耳を澄ますも気配はない。残された彼の温もりを閉じ込めるように握りしめると何故だか無性に寂しい気持ちになった。
「オクタビオ」
愛しい彼の名を呼んでみれば、寝起きの掠れた声も相まって酷くみっともなく思えた。俺はいつからこんなに弱い男になったのだろうか。いや、はじめから強くはないか。家族を失い何もかも捨て死に物狂いで進んできただけで、俺はもともと強い人間ではなかった。はりぼてのような虚勢で半ばやけくそまがいの行動でここまできた。でなければApexゲームに参加など馬鹿げた真似は考えられない。まあ、その馬鹿げた真似のおかげで彼に出会えたわけだが。
答えのないまま宙に溶けていった彼の名前に先ほどからの寂しさが募り、ついにベッドから出ようかと思ったところで遠くの僅かな物音を拾った。聞きなれた水の流れる音と、ゆっくり時間をかけて閉じられたであろう扉の音。そして特徴的だが静かな足音は、普段の彼からでは考えられないほど音を殺した動作で恐らくこちらに向かってきている。その気配は扉の向こうで止まった。ゆっくりとノブが下がり、扉が開かれる。その隙間からひょっこり覗かせたグリーンの髪。その下にあるペリドットは俺の姿を捉えると見開かれたが、すぐに細められ肩をすくめるような大げさなジェスチャーで部屋に入ってくる。
「起こしちまったか」
緩く口角をあげ後ろ手に閉められた扉は、先ほどより配慮がなくなったがそれでも丁寧で静かだった。俺は彼の言葉を否定するように首を振る。しかし返ってきたのは口にしていないはずの返答だった。
「便所だ便所。まだ起きるには早いし流石の俺も今日ばかりは走りに行かねぇよ」
だからそんなに寂しそうな顔すんな、そう言って脚を外したオクタビオはするりとベッドに入ってきた。まるで心の内を見透かされたようで少し面白くない。これも表情に出ていたのかくすくすと笑うオクタビオに緩く肩を押され、柔らかいマットレスへ向かい合わせに体を沈められる。俺は物理的に小さくなった恋人の腰に手を添え身を寄せた。
「……そんなに寂しそうな顔をしてたか」
「ん?さあどーだかな」
尋ねるもはぐらかされたが、オクタビオは顔にかかる俺の前髪を梳かした後愛おしげに目を細めた。重ための二重から覗く優しい緑の瞳が俺をまっすぐ捉える。通った鼻筋に薄い唇、ほくろの散ったあどけなさを残した肌。
「安心しろ、いくら俺様が早いからってアンタを置いていったりしねーよ」
そうして次に頬に添えられた手からオクタビオの体温が伝わる。ゆっくり浸透していくような温もりと穏やかな表情に俺の胸の内の冷たいものが溶かされていくような気がした。
特別何かがあったわけではない。ただふと訪れる僅かな罪悪感と恐怖心にナーバスになっていただけだ。だというのにこの男は俺の異変を瞬時に察し何も言わずに熱を分け与えてくれる。
「オクタビオ」
「ああ」
一見何も考えていなさそうな言動が目立つが、以外にも冷静に戦況を視ていると知ったのはゲームに参加してから。よく周りを観察しており自然な気遣いのできる男であると知ったのは同じチームになってから。誰にでも無邪気で気さくに話しかける彼が実は自分を守るが故に作り上げた殻だというのを知ったのは誘われた酒の席数回を経てから。その中身を暴いてやりたいと思う自身の感情の名前を知ったのは自然と彼を目で追うようになってから。愛情を注がれることを知らず愛されることに臆病なこどもだと知ったのは彼が俺に心を開いてくれてから。
映像や文字では知ることのできないオクタンからシルバを知りオクタビオを見つけた。
そしてその彼は今俺の腕の中にいる。
腕の力を少しだけ強めるとオクタビオは俺の背に腕を回す。そうしてぽんぽんと叩いてから大丈夫さと背中をゆっくり撫で始めた。薄れていた眠気が再び訪れる。それもそうだ。激しく求め合い眠りについたのはたった2.3時間前のこと。器用な彼がベッドを抜け出したぐらいで目を覚ましたことのほうが不思議だったんだ。
「もう一眠りしようぜアモール?」
「うん、そうだな」
「起きたらさっさと飯食べてよ、やりたいアーリーアクセスのゲームがあるんだ、一日付き合ってくれるだろ?」
「もちろん、どんなゲームなんだ?」
「ジャングルを探検しながら協力してお宝を集めるやつ!バグもほとんど見つかってなくて製品版なんじゃねーかってぐらい既にクオリティが高いらしいぜ」
「それは楽しみだな」
欲するくせに与えるのも受け取るのも下手くそだった彼が今こうして俺に分け与えてくれている。オクタビオはもらってばかりで何も返せないと何度か口にしたことがある。その度に俺は十分お前に満たされていると伝えてきてやっと最近理解してくれたようだが、今まさにこの瞬間がそうだと伝えたらお前はどんな顔をするだろうか。きょとんと目を丸めた後恥ずかしがりながらも笑顔をみせてくれるだろうか。きっとすごく可愛い顔で俺の名前を呼んでくれるんだろうな。
「なあ、オクタビオ」
「ん?」
想像の何倍もの反応に、俺の腹の底から別の欲情が湧き上がるのはこの後すぐのこと。