僕は今日、貴方の夢を見る中略
フレッドside
花壇の前にしゃがみ込む、ブロンドの影へ、足音を忍ばせてそっと近付き、その人物を確認した。
凛とした雰囲気を持つ、黄金色のサラサラストレートヘア。
植物図鑑を難しそうな表情で見つめる紅の双眼は、はっきりとその面影を残している。
幼さの残る、柔らかそうに膨らんだ頬には、普段は髪に隠されている古い傷跡が見えた。
ーー子供の頃の、ルイスさんだ。
「…………」
フレッドはその小さな背中を見つめて、頬を染めた。
そっと花壇の前へと歩み寄り、少しだけ隙間を開けて、ルイスの隣に、そっと立つ。
チラリとこちらを見た紅の瞳に、どきりと心臓が鳴った。
「一緒に……ここで、見ても、良いですか?」
控えめにそう声をかけると、スッと視線を逸らされた。
「どうぞ」
幼さの残る、少し高い声。
「ありがとうございます」
ルイスと同じように、花壇の前に静かにしゃがみ込む。
「…………」
じっと、頭の先から爪先まで、フレッドはルイスを見つめた。
自身よりも幼い、小柄なルイスに思わず頬が緩む。
夢の中とはいえ、まさか自身よりも歳下の時代のルイスに会えるなんて思わなかった。
ーーなんて、愛らしいんだろう。
こんなに可愛らしい人が道を歩いていて、誘拐されたりしないのだろうかと、フレッドが要らぬ心配をしていた時、細められていた瞳が、スッと図鑑から逸らされて、こちらを捕らえた。
その瞳が、大人のルイスとなんら変わりなくて、フレッドは心臓が高鳴るのを感じた。
「なんですか?」
「えっ……」
ジロジロと見ていたせいだろうか、若干迷惑そうな声に、どぎまぎしながら、フレッドが視線を泳がせる。
「あ、いえ……」
「あなた、誰ですか?……この学校の先生じゃ、ないですよね?」
なんだか疑われているようだ。
慎重で疑り深い性格は幼い頃からなのだなと、ほっこりしながらも、フレッドは言葉を探した。
「えっと、僕は……ここの、庭師です……」
嘘をついた。
罪悪感に若干心を刺されたが、ルイスはフレッドの嘘をすっかり信じたのか、寄っていた眉間の皺が途端に晴れて、あどけない表情に変わった。
「えっ……庭師、さん?」
「ま、まだ見習いで……たまに、この花壇の花に、水やりをしたり、土を植え替えたりしてます」
「……じゃあ、植物に詳しいんですか?」
「えっ……」
持っていた図鑑を、フレッドの方へ差し出して、ルイスは目の前に咲いていた鮮やかな花を指差した。
「この花、これですか?」
図鑑に記されていた花と、花壇に植わっている花は、確かに見た目がよく似ていた。
だが、同じ品種ではないようだ。
「いえ、これは、違う花ですね。見た目も色も似ているけど、ほら、葉っぱの形が、違うでしょう?」
「葉っぱ?」
花びらばかり観察していたのか、ルイスがキョトンと目を丸めて、植わっていた花の、すぐ下から顔を覗かせていた大きな葉に手を添える。
フレッドは、図鑑に描かれた花の絵と、葉の輪郭を交互に指先で示した。
「ほら、この花は葉っぱがギザギザしてるけれど、こっちは丸いから、別のお花ですよ」
「……本当だ」
驚いたように目を丸めて、図鑑と花を見比べる姿に、フレッドは唇の端を緩ませた。
中略
ルイスside
思い切り息を吸い込んだ時、目の端に、チラリと映った影にハッとした。
「っ、今の……!」
路地裏に駆け込んでいく、小さな子供だった。
顔までよく見えなかったのに、ルイスは夢中で、その影を追って走り出していた。
貧民街へ続く、暗い路地の中を、風のような速さで進む影を、見失いそうになりながらも、ルイスは必死に追った。
ーーなんて、足の速い!
路地の角を曲がるたび、チラリとだけ見える白い影を頼りに、なんとか追いつく。
「はぁ、はぁ……」
すっかり上がってしまった息を必死で整えた。
夢の中なのに、心臓がばくばくと音を立てるほど、リアルな疲労感に襲われた。
走る内に、随分と貧民街の奥へ来てしまったようだ。
走ってきたというのに、息の上がった様子もない、薄暗いゴミの散乱する路地の中心に立つ少年の姿。
何かを探すように辺りを見渡してから、路地脇の隅へと座り込んだ。
まだ、五、六歳といったところだろうか?
サイズの合わない大きなシャツと、泥で汚れたズボン。
裾や袖を何重にも折り返して、無理やりサイズを合わせているところを見ると、どうやら拾い物のようだった。
漆黒の髪は、ナイフか何かで雑に切り揃えているのかボサボサだ。
しかしその横顔は、たとえ土で汚れていようともすぐにわかるほど、見覚えのあるものだった。
ーーやっぱり……幼い頃の、フレッドだ。
『いつも、いつも、お腹を空かせた子供でした』
フレッドのそんな言葉を聞いたせいで、こんな夢を見たのだろうか。
そうであろうと、なかろうと、今のルイスには、そんなことはどうでもよかった。
ただ、今は、あの幼い子供に、何か食べさせてあげなければと、抱きしめてあげなければと、そんな思いだけが湧いて。
ーー何を、しているんだろう……。
路地裏の影から、フレッドの様子をそっと覗く。
廃墟のすぐ下、ぬかるんだ地面を木の枝か何かで掘っているようだった。
土を払って、埋まっていた何かを取り出す。
目を凝らして、手に握られていたそれが、土の中に隠れていた虫だと、ルイスはようやく理解した。
なんの戸惑いもなく、蠢く虫を口の中に入れようとしたフレッドを見て、ルイスはハッと息を呑むと、次の瞬間には、夢中で路地裏から飛び出していた。
「フレッド!」
「っ……!」
びくりと、大きく肩を揺らしたフレッドの小さな手から、虫を叩き落とす。
ルイスは自分でも知らぬ内に、驚いて固まるフレッドの華奢な肩を強く掴み、大声を上げていた。
「そんなもの食べたらいけません!お腹を壊すでしょう!何考えてるんですか!」
「…………」
「あっ……」
こぼれ落ちしまいそうなほど、大きく見開かれた黒い瞳に、ハッとする。
こんな小さな子に怒鳴るだなんて、大人のすることではないと、ルイスは慌てて、フレッドの体から手を離した。
「す、すみません……、大声上げたりして……。あの、でも、虫なんか食べちゃダメです。お腹が空いてるなら……」
「…………」
今度は優しく、肩に手を触れようとした、その時。
フレッドの右手が目にも止まらぬ早さでサッと伸ばされて、固められた拳がルイスの喉仏を直撃した。
「ぐ、ふ……!」
急所を突かれて、ルイスが怯んだ隙に、フレッドはその場からパッと立ち上がると、再び風のような速さで駆けて行ってしまった。
追いかけようにも、喉が詰まって、それどころではない。
「っ、げほ、げっほ!……的確に急所を狙うとは、さすがフレッド……」
怪しい人間には容赦がないということか。
その幼い頃から変わらない、警戒心の強さが、今の密偵としてのスキルにも役立っているのかと、妙に感心してしまった。
だが、感心ばかりしている場合ではない。
回復を待ってから、ルイスはその場に立ち上がると、フレッドが駆け込んで行った貧民街の奥を睨みつけた。
「僕は、諦めませんよ……。必ず、君をお腹いっぱいにしてみせる……」