「けっこうよった」
「大分、の間違いだろ」
やばいカギ刺さらん(笑)と言いながらのろのろしていると、手のひらからキーケースを抜き取られる。意識はそれなりにしっかりしているのに、視界や足もとはわりとぐらぐらしていた。ぐらぐらというか、ふわふわ?
入るぞ、と律儀にたずねてくる伏黒を「どうぞどうぞ」と丁重にご案内する。伏黒、来るの初めてだっけ。初めてか。まあ家主、今べろべろですけど。
なんとも覚束ない足取りで部屋まで歩く俺に、伏黒がついてくる。ここまで来たらもう大丈夫、と言いたかったけどなんだか言い出せない。水かなんか飲むか、と背中に投げられた声にうんと頷く。
ペットボトルを差し出しながら「お前そんな酒弱かったか」と言って、伏黒が難しい顔をする。
「ありがと。や、俺もそう思ってたけど……んー、なんか今日はだめだったぽい」
新人の補助監督の子に代わって飲んでいたらこうなったとは、格好つけているみたいで恥ずかしいから言えない。それに加えて、至極個人的な事情でもやもやしていてつい飲みすぎた、なんてことはもっと言えなかった。
広い店で、伏黒と俺は離れた島にそれぞれ座っていたから、気づいたら俺がそれなりに泥酔していて驚いたらしかった。ちなみに俺も驚いた。
幹事にお金を渡してよっこいしょと立ったら視界がぐわんとなり、思わず「ウワー」て言った。絵に描いたような(?)「ウワー」だった。
みんな帰るところだったし、まあ各々自由に酔っ払っていたとは思う。俺がそれに紛れてヨロヨロしているところに、店を出ようとしていた伏黒だけが振り向いたのだった。「お前どうした」と訝しげな顔をして。
大丈夫大丈夫、と言ったつもりがもう完全に酔っ払っている人間のイントネーションで、そこからはあっという間だった。
なんかこいつヤバそうなんで送っていきます、二次会はパスで、と言い切った伏黒にタクシーに押し込まれて、住所を言わされ、家に着いたら着いたで鍵を開けてもらい……。
なんかゴメン、と車内で謝ったとき「二次会行きたくねえから助かった」と言われて、伏黒だなあ、なんて思った。
「具合は」
「ちょっと楽になってきたかも、いや、まだちょっと無理」
床に座り込んで、でろんと上半身だけベッドに投げる。酒、こわい。おれ健康優良児なのに……。あと普通に酔っ払ってるとこ見られるのめっちゃ恥ずかしい。酒が抜けて冷静になってくると余計に。
うう、と唸っていると「吐くか?」と即座に声がかかって、違う違うと首を横に振る。
上半身を起こすと、ラグの上であぐらをかいた伏黒がじっとこっちを見ていた。着席してる……。
「なんだ」
「……帰らんの? けっこう遅いけど」
「もう少ししたら帰る。そんな遠くない」
「あれ、家どこだっけ」
うそ、ほんとは知ってます。伏黒が寮を出ると言い出したとき、えっじゃあ俺も、なんて言って後に続いたけど。本当は、伏黒のいない寮なんていても楽しくなかったからだ。そういう、表には出せなかったあれこれ。伏黒は気づいてるんだろうか?
いや、それが聞けなくてうだうだしてるんだった。
「それよりおれ、タクシー乗ってすぐなんかとんでもないこと言った気がする」
「……」
「無言こわい」
というよりあきらかに呂律が回ってない自分がこわい。おれ、普段こんな甘ったれた喋り方しません。もうやだこの状況、と逃げ出したくなる。
「なんでそんな飲んだのか聞いたら」
「ハイ……」
「“恋煩いでやけ酒“って」
「マジで死にたい」
思いきりバラしてるしワードセンス終わってる。無理すぎ。顔を両手で覆って「いまから伏黒殴って記憶飛ばしたい」と呻いたら「理不尽すぎるだろ」と言われた。たしかにな。おれが悪いよ。
ちら、と指の隙間から伏黒を見る。
もー、この人ちょっと笑ってるんですけど。
「煩ってんのか、恋」
目を細めるな目を。
———別に俺らはもう十代でもないし、とくべつ鈍感というわけでもない。自分を見る目が、喋り方が、ああそういうことなんだろうな、というような、そのあたりの機微がわからない、なんてこともなかった。それは伏黒も同じだろうし、それら含めて。
好きだ、そんなことはお互いもうとっくにわかりきっている。
言い出すか言い出さないか、あとは多分、それだけだった。
「……おれ顔赤い?」
「普段よりは」
「酒です」
「そうか」
ちょいちょいと手招きされた。そこに座れと伏黒のすぐ目の前を指差される。俺はただ、言われるがまま動いてしまう。座り込んで、伏黒と向かい合った。まっすぐ、目と目が合う。
アルコールのせいで、目もとが溶けて滲んでいるような感じがする。伏黒が困ったような顔をして首の後ろに手をやった。
少し黙って、それから。
「……こういう時じゃなくてちゃんと言う」
思わず「えー」と言ったら「えーじゃない」と怒られた。お前このくだり忘れたら殺すからな、とも。
酒飲んで記憶無くすタイプかどうかは、正直ここまで酔ったことないから賭けではあるけど。
でもぜったい忘れない、といまだふわふわしたままの頭で思った。うん、絶対に。
「じゃあさ、……する?」
「何を」
「そういうことを?」
「話聞けよ」
酔っ払ってるやつとヤる趣味はない、と言ってデコピンが飛んでくる。いたい。
おでこを抑えて「む」という顔をしていたら「水飲んで寝ろ」とベッドに転がされた。
ちなみに「泊まる?」と聞いてみたところ、ものすごーく間があったあと俺の髪をぐしゃぐしゃ撫でながら「……帰る」とちっさい声が返ってきた。
そのなんともいえない間に笑いつつ、そんなところも好き、とは言わないでおく。今日はまだ、その時ではないらしいので。