恋なんてとっくにいつもの安いラブホテル。熱を分け合って一つになって、汗だくで溶け合うようにして求め合った後。行為が終わってベッドに横たわったまま、ニキは先程まで自身を貪っていた男の広い背中をぼんやりと見つめる。彼は熱を放った後、しばらくそのままの姿勢で荒々しい息を整えてからようやくニキの上から退けると、ベッドの端に腰掛けてタバコをふかしながらスマホを弄り始めた。
二人の関係はいわゆるセフレというやつ。セックスの後の恋人同士のピロトークなんてものは存在しない。甘い言葉も囁き合わないし、キスだってしない。ただお互い都合の良い時に連絡を取り合い、こうしてホテルに行ってセックスをするだけの関係だった。
ニキは気怠げに上体を起こしてクラッチバッグを漁り目当ての物を見つけると、男へと声をかけた。
「燐音くん」
「んー」
彼はスマホを弄ったまま、生返事をしただけだった。そんな態度にももう慣れっこなので気にせずに彼の手元を覗き見る。
「なになに? カノジョさんからのメッセ?」
「ん」
画面には『早く会いたい』とか『大好きだよ♡』といった甘ったるい言葉の数々が表示されて、『俺も』だとか『愛してる』だとか、男が適当に打ち込んだと思われる文字が流れていく。
「ま〜た新しい女っすか? 飽きないっすねぇ」
「うっせ」
「ってかそんなにラブコール送ってくるカノジョさん放っておいてセフレと遊んでんの、サイテーっすね?」
からかうように言ってみせると、そこでようやく彼は視線をこちらに向けた。
「そんなサイテーな男に抱かれてあんあん啼いてたのはどこのどいつだよ、ん?」
「なは、僕っすねぇ」
開き直るように笑うと、男も意地の悪い笑顔を浮かべた。
「あ、そうだ。これあげる」
「……あ? なにこれ」
「昨日遊んだ子から貰ったの。ほら、明日……、あ、もう今日か。バレンタインじゃないっすか」
ニキが差し出したのはシンプルにラッピングされた長方形の箱だった。
「別にタイプの子じゃなかったんすけど押し付けられちゃって。捨てるにはもったいねぇから、燐音くんにあげるっす」
「きゃは、オンナノコが想いを込めてテメェに送ったモンを横流しとか。お前の方がサイテーじゃん」
男はそう言いながらもスマホをベッドに伏せると、ニキの手からその箱を受け取った。そしてそのまま包装紙を破り、蓋を開ける。中には可愛らしいボンボンショコラが綺麗に配置されていた。
「へ〜、これ今流行りのとこのチョコじゃん。美味そ〜、僕も一つ貰うっす」
「俺にくれんじゃなかったのかよ」
そう言いつつチョコレートを摘むニキを、男は止めようとしなかった。口の中でじんわりと溶け出す甘味とほろ苦さが疲れ切った身体を満たしてくれるようだった。
「美味ェ?」
「うん。燐音くんも食べなよ」
男は煙草を灰皿に擦り付けると、素直にニキの言葉に従いチョコレートを摘みあげて口に運んだ。
「美味いっしょ?」
「悪くはねェ」
「なは、偉そう」
ニキはその様子に満足すると再びベッドに身を預けた。しばらく二人の間に静寂が満ちる。
「知ってるっすか」
口火を切ったのはニキだった。
「チョコを食べると、恋してる気分になるらしいっすよ」
「なにそれ」
「フェニルエチルアミンっていう恋愛ホルモンがチョコには多く含まれてるんだって。ふふ、眉唾っすけど。ねぇ、燐音くん」
ニキはうつ伏せになったベッドの上で頬杖をついて、隣にいる男を見上げた。
「恋してる気分に、なった?」
探るように上目遣いでにこりと微笑んでみせる。男は相変わらず感情がうまく読み取れない、凪いだ天色で見下ろしてくるだけだった。
「……変わらねェよ、何も」
「そっかぁ」
予想通りの答えに落胆することもなく、ニキは目を細めて小さく笑った。
「僕もね、なぁんにも変わらないっす」
「…………」
「ずっと、ずぅっと。……あんたへの気持ちはなぁんにも変わらないんすよねぇ」
自身の縹色の髪の毛を指先でくるくるともてあそびながら、独り言のように呟いた。
「……あっそ」
男はふいと視線を逸して短く呟くと、残りのチョコレートを口に放り込み咀噛した。ニキはその様子を眺めてから、ごろん、と寝返りを打つようにして仰向けになると天井に向かって腕を伸ばし、ぐーぱー、とその手を開閉させた。
(あぁ、お腹すいた)
行為が終わった後特有の倦怠感と空腹が一気に押し寄せてきて、小さくため息をつく。早く帰って腹を満たしたい。そんなことを考えているうちに次第に瞼が重くなってきた。ニキは襲いくる睡魔に抵抗することなく静かに瞳を閉じる。
それから程なくして聞こえてきた寝息に、男は呆れたように嘆息してみせる。
「……ほんと、図太い奴」
そう呟いて、ギシリとベッドに乗り上げるとニキの無防備に晒された首筋へと唇を寄せて吸い付いた。鬱血痕を残したところで、ニキは全く起きる気配がない。男は反対側の首元にも同じように印をつけた。
「……俺も変わんねェよ、ずっと」
歪な執着心によって生み出された鬱血痕を見つめながらぽつりと零された言葉は、誰の耳に届くわけもなく虚しく消えていった。