プルースト効果「なんすか、これ」
「見りゃ分かンだろ。香水」
「いや、それは分かるっすけど」
二人のお気に入りの安いラブホテル。セフレの二人は今日も今日とて身体を重ね、快楽を貪ろうとしていた。
浴室から出てきたニキが先にシャワーを済ませてた燐音の傍へ寄ると、彼はおもむろに小さな箱を差し出してきたのでニキは首を傾げたのだった。
「くれるんすか?」
「ん」
彼の隣に腰かけてすべすべとした厚紙の箱を開ける。そこには小洒落たデザインの小瓶が入っていた。
「なは、香水くれるって。どういうこと?」
「明日、ホワイトデーだろ。ホントはカノジョにあげるンだったんだけどなァ」
「この前の新しいカノジョさん? あは、もしかしてもう別れたんすか?」
「…………」
「うわぁ、サイテー」
ニキが思わずにやにやと口元を緩ませると、燐音は「うっせェ」と不機嫌そうに眉を顰める。おもむろにニキの手から小瓶を奪い取って蓋を捻って外すと、すかさずニキの手首を掴んでふわりと香水をふりかけた。
「も〜、乱暴っすねぇ」
口先だけの文句を言って、ニキは自身の手首を擦り合わせながらくんくんと鼻先を近づける。スパイシーなラムにダークスモーキーなタバコが混じって、その奥に甘美で濃厚なチュベローズの香りが鼻腔をくすぐる。蠱惑的で、どこか危なげな官能的な匂い。これを、ニキはよく嗅いだことがあった。
「あれぇ、これって」
ニキは自身の鼻先を隣に腰掛ける燐音の首元に近づけるとすんすんと息を吸い込んだ。
「ふふ、同じ匂いっすね?」
「そ。俺のと同じのを、ってご所望だったもンで」
「ふぅん。カノジョさん、いつでも燐音くんを身近に感じたかったってこと? 乙女っすねぇ、ゾッコンじゃないっすか!」
「ハッ、嫌味かァ? いい趣味してンな。……まぁおめェからも一応チョコ貰ったし、俺は持て余してっからやンよ」
彼はふかしていたタバコを灰皿に擦り付けながら紫煙混じりに薄らと笑う。そんな燐音を横目で見ながらニキは再び自分の手首を持ち上げてすんすんと空気を吸い込み、香りを堪能していた。
「なは、この香水付けたら僕、いつでも燐音くんのこと思い出せちゃうね?」
ニキが悪戯っぽくくすくすと笑うと目の前の彼ははぴくりと眉を動かした。それからゆっくりと唇の端を上げて口元に弧を描く。
「……それが狙いだったら?」
その返答にきょとんとしたニキの肩を押して、ベッドに押し倒す。二人分の体重を受けてぎしりとスプリングが軋んだ。覆いかぶさってきた燐音はルームライトを逆光に背負いながらとても愉快そうに、しなをつくってにっこりと笑いかける。
「今から俺はおめェをドロッドロに抱く。匂いは記憶と結びついてンだ。だから、」
そこで言葉を区切ると、ニキの無防備な唇に噛み付くようにキスをした。舌を絡めて唾液を混ぜ合うような激しいそれに、ニキは苦しげな声を漏らしながらも上機嫌そうに目を細める。
しばらくして満足したのか燐音が口を離すと二人の間を銀色の糸が伝った。ニキはすっかり蕩けた表情を浮かべていて、瞳には涙の膜が張っている。燐音はそんな彼を見て嗜虐的に笑みを深めた。
「その香水をつける度、おめェは俺に女みてェに鳴かされた記憶が蘇えンの。男の尊厳なんてあったもんじゃねェ! キャハハッ、傑作だなァ!」
「っふふ、さいあく……」
ようやく唇が離れたと思ったら、今度は耳たぶを食まれながら吹き込まれる最低な言葉の数々に、ニキの口元は自然と笑みをかたちどる。心臓がとくとくと、熱を全身に運び込んでいた。
燐音は楽しげに喉の奥で低く笑いながらそっと顔を近づけてくる。そんな彼の首に腕を回しぐいっと引き寄せながら、ニキは燐音の首筋に鼻を寄せて息を吸いこんだ。じっとりと香る蠱惑的なチュベローズは自身から香るものと同じ匂い。全身を甘い匂いにつつまれて、まるで彼と一つになったかのようだった。
記憶にも、身体にも。今日の思い出を一つ一つ刻み込むように、二人は飽きることなく互いの体温を求め合った。