【夏五】全部まとめて【祓本】 冷えたフローリングの上に座って、部屋を見渡す。都内のマンション、10年間空いたままだったかつての、そして再び戻ってきた夏油の私室。
ベッド。小さな本棚と、中に並んだいくつかの文庫本。クローゼットの私服。前に比べればまだまだ物は少ないが、それでも少しずつ、確実に増えている。
吐き出す息が白くなる、とまではいかないが、数日留守にした室内はここ最近の冬らしい天候に隅々まで冷え切っていた。ヒーターはつけたばかりだから、温まるまでまだ時間がかかる。
お笑い芸人「祓ったれ本舗」。
10年間の空白を経て再結成を発表してから、まもなく1年が過ぎようとしている。
つまり、相方と――五条悟と再会してからも、同じ時間が流れたということだ。
この1年は、あっという間に過ぎ去った気もするし、久しぶりの忙しなさに長かったとも感じる。
ふとした瞬間、嫌になって逃げ出したくなる気持ちはまったくなかった、といえば嘘になる。
けれど――五条があまりにも一生懸命だから。表には出さなくても、無意識にでも、再び訪れるかもしれない別離に怯えている相方を裏切りたくはなかった。
これは、間違いなく本心である。そう言えば、無理はしてほしくないんだと顔を顰めた。どうにも難しい。
12月に入ると、年末年始の番組収録が増える。祓ったれ本舗も、例外ではない。
お決まりの黒スーツでの収録がほとんどだが、時には正月らしく着物を着ることもある。堅気に見えないと言って笑った五条は、日本人離れした容姿にも関わらず、嫌になるくらいに様になっていた。
この慌ただしさは、夏油にとっては実に10年ぶりの経験だ。今日も2本収録を終えて、そのあとは別々の仕事だった。五条はファッション誌の撮影、夏油は寄稿している雑誌編集者との打合せ。特にひとりでの仕事のときは、気心が知れた相手ならばホッとする。
終わりは同じくらいの予定だったが、夏油の方が一足先に都内のマンションの方へ戻っていた。五条はまだ、帰っていない。
貰った腕時計の黒い文字盤を見れば、あと5分ほどで日付が変わる。この時計はずっと渡せなかった分だと言って、今年の誕生日にまとめて10年分受け取ったプレゼントのひとつだった。絶対に、日付が変わる前までには戻ると言っていたが、この分ではどうやら無理そうだ。
けれど、その方が都合がいい。
今日は12月6日。
そして日付が変われば12月7日――五条の誕生日である。
ヒーターが稼働する音だけが響く静かな部屋の中、玄関のドアが開く音がはっきりと聞こえた。
「ただいまーって暗っ。傑まだ帰ってない?でも車あったよな…もしかして、もう寝ちゃった?」
ひとりで暮らしている間に、やけに独り言が多くなってしまったのだと以前苦笑していたことを思い出す。なんだよ薄情者、だとか、まあしょうがないか、とか、自分で口にして自分で完結する。きっと、離れていた10年はずっとこんな感じだったのだろう。
ドアの前で、足音が一度止まる。数秒間静かになって、結局ドアが開くことはなくまた移動を始める。寝ていると思って遠慮したのかもしれない。
無意識に、笑みが浮かぶ。
自室に戻るためには一度リビングを通るので、必ず気づくはずだ。
リビングへつながるドアが開く。足音が止まる。なにかが床に落ちる音。たぶん、愛用しているカバンだろう。随分と使い古されていたが、気に入っているのだと手放そうとしないそれは、10年前に夏油が贈ったものである。
バタバタと、近づく音。そして。
「すぐる!」
勢いよく、部屋のドアが開いた。
「こら、ご近所迷惑だよ」
夏油の熱が移った分だけ温かくなった床の上、飛び込んできた相方を見上げる。そんな安い物件じゃないとわかっていながら、いつもどおりお小言を伝えるけれど、どうやら相手の耳には届いていない。
魚のように口をパクパクさせながら、リビングの方を指さす。ライトに照らされた白い頬が上気して、ほんのり赤い。
「あ、あれ!ねぇ、あれ!」
喜んでくれるだろうなとは思っていたが、ここまで想像以上の反応だと、笑ってしまう。
「そうだよ。ちょうど変わったね。お誕生日おめでとう、悟。あれは――全部、私からのプレゼントだ」
今年の誕生日、これまで渡せなかった分だと言って10年分のプレゼントを受け取ったとき、決めたのだ。
お返しに、夏油も10年分返してやろう。
誕生日があった2月からちょうど10ヶ月。1月に1個、あれこれ悩んで用意した。
古くなっていたカバン。きっと似合うと思ったサングラス。以前カッコいいと言っていた腕時計――案外、プレゼント選びというものは大変であるが、楽しくもあった。
同時に、理解した。
受け取ってもらえないプレゼントほど、虚しいものはないということを。
去年のクリスマスにも購入した、五条お気に入りのケーキ屋に予約して、今日の帰りに受け取ってきた。ちゃんと名前も入っている。蝋燭も貰ったのだが、前に刺した分だけケーキが減る気がすると不満げだったので止めておいた。
よっこらしょ、なんてすっかりおっさんみたいな掛け声とともに立ち上がると同時に、真正面から飛びつかれる。自分よりタッパのあるでかい男を受け止めても、一歩後ろに下がっただけなら、まだまだ大丈夫なのかもしれない。
顔を見たいのに、肩口に額を押し付けられて叶わない。小さく笑って、背中に腕を回し抱きしめ返す。
「今度は私に、ちゃんとお祝いさせてね」