Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    hoshinami629

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💘 🌟 🌈 🌋
    POIPOI 39

    hoshinami629

    ☆quiet follow

    アリスと火村がフランスの思想家、シオランの著作を読んでお互いについてあれこれ考えたりする話を書こうとして難しくてやめた。CPとかないです。
    詳しくは→https://fusetter.com/tw/1aBgG9Fh

    #作家アリス
    authorAlice.

    シオランを読む二人「もしもし片桐さん、有栖川ですけど」
     長い夏が終わりつつある、九月末の某日だった。簡単な昼食を終えた後、コーヒーを飲みながら溜まった郵便物を開封していた時だった。これは捨て、これは返信、などと言いながら捌いていたところ、不思議なことに立ち至ったのである。
    「——うん?」
     珀友社の担当編集者、片桐の名前で送られて来た封筒を開けて、私の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。封筒の中に入っていたのは、『現代の思想』という人文系学術誌の新刊。推理小説畑の私には、とんと縁のない雑誌だ。封筒の中を再度検分し、雑誌自体もペラペラとめくってみたが、片桐さんが送って来た理由が分かるようなメモ書きなども見当たらない。
     何かの手違いであれば、返却なり転送なりをする必要があるのではないか。手違いにしても釈然としないが、とも思いながら、片桐さんに電話してみることにした。
    「あれ、有栖川さん。どうしました? まだ次の締め切りまでは間がありますよね」
     片桐さんは、いつもの調子で電話口に出る。簡単な挨拶の後に、郵便物の話題に触れた。
    「いえ、『現代の思想』10月号を送ってくれたみたいですけど——どなたかとお間違えやないですか?」
    「あ、届きましたか。あれ? 説明のメモとか入っていませんでした?」
    「何も入ってませんよ」
     私も言いながら改めて封筒の中を確かめるが、やはり中は空だった。
    「おや、それはすみませんでした。こちらで入れ忘れてしまったかな。いえね、『現代の思想』で毎号コラムを書いていらっしゃる、伊東嘉樹先生って方がいるんです。人文社会系のエッセイで、伊東先生は学術系出版社の名物編集長だった方なんですよう。最新号のそのコラムで、有栖川さんの小説に言及されていまして」
    「えっ?」
     思わず聞き返してしまう。人文系のエッセイで私の作品に触れてもらうとはどういう運びだろう?
    「この前出した短編集にあったじゃないですか、『死者の声をもう一度聞きたいという切実だが叶わない思いを慰めるのがミステリだ』って。あれがどうやら哲学を専門とする伊東先生の琴線に触れたらしくて」
    「え、ええ……そんなことがあるんですか……」
     嬉しいというよりも、そんな物好きな、とか、何故数多くのミステリから私の小説を、などのバラついた想念が頭の中を飛び回る。あの短編とて、締め切り間際に捻り出したミステリオタクの与太にすぎないというのに。
    「硬派な雑誌で言及されるのも嬉しいものだなあと思って、お送りしたんですよ。あ、メモ書きを入れ忘れていたんでしたね。ページ数をお伝えしますね。えーと……」
     片桐に郵送の礼を言い、ついでに原稿の進捗について二、三相談する。忘れぬ内にと当該ページに栞を挟んで電話を切った。コーヒーをもう一杯淹れてから、伊東氏のコラムを読んでみる。二段組四ページ程の記事で、昨今の社会問題に読書録を絡めた内容は、著者の教養を感じさせはするが難解ではない。その中には、確かに先月出た私の短編集のタイトルも見えた。死者と向き合うとは何なのか、大切な人を亡くした人へのケアとは、というような文脈で言及されている。曰く「エンタテイメントが死を軽んじているかと言えば、答えは否であろう。先日何の気なしに手に取った有栖川有栖氏の著作では、主人公の二人がミステリの本分を『死者の声をもう一度聞きたいという切実だが叶わない思いを慰めることだ』と話し合うシーンが描かれている。」などと紹介されている。面映くなって、思わず『現代の思想』誌を閉じる。何の思想も持たずに作品を書いてきたと言えば嘘になるが、そんなスウコウなことを考えて日々の締め切りに立ち向かっている訳でもない私にしてみれば、この様な評は、嬉しいけれど的外れのような、しかし心の何処かで撫でて貰いたいと思っていた場所を撫でられたような、何とも言えない気持ちになるものだった。
    「いや、うん、あんま気にせんとこ……」
     喜びよりもくすぐったさと気恥ずかしさが先立ってしまう体験を傍に寄せ、改めて『現代の思想』誌を開く。目次を見れば、最新号は何でも「シオラン特集」であるらしい。シオラン、という言葉が分からなかった為、スマートフォンを取り出して検索エンジンに尋ねてみた。エミール・シオランはルーマニア出身、フランスで活躍した現代思想家。一九一一年生まれの一九九五年死没というから、紛うことなき二十世紀人だ。思想史上はニヒリストに分類され、現代では反出生主義的な思想家として、あるいはまた労働を前提とする社会システムへの疑義の提出や、自殺の肯定などの思想で注目されているということだった。
     暗いなあ、と思いながらも幾分か興味が湧いた私は、『現代の思想』の冒頭を飾る「シオラン入門——その著作と思想——」という記事を読み始める。日本におけるシオラン研究の第一人者が、分かりやすくシオランの思想を解説している文章だった。

    「シオランは自殺を肯定している、と一般に言われる。しかし、自殺をすることそのものを肯定している訳では、必ずしもない。自殺を肯定してみることで、この重苦しい人生を余暇と見なしうる。あるいは自殺を肯定してみることで、自分という存在は偶然の産物であり、生存は真剣なものではないかもしれない、という発想を手に入れることができる。このように人生の重みを相対的に軽くし、『いつでも死ねる』という発想で生きることを楽にしてくれる。これがシオランの説く、自殺の観念の効用だ。シオランは実際、人生を自殺の遅延とみなした。自殺の観念が自殺の遅延を助ける可能性を示しているのだ」
    「シオランは怠惰を高貴な悪徳であると考えた。行動的で外向的な人間は、なるほど人間社会に居場所を得て、毎日を勤勉に過ごせるだろう。しかし例えば戦争や犯罪のような諸悪とは、やはり行動から生まれるのではないのか? 何かをなそうとして、別の何かと対立するからこそ、この世には諍いが生まれ、争いが発生する。その大きなものが戦争であり、その極まったものが殺人をはじめとした犯罪ではないのだろうか。怠惰な人間とは、すなわち今朝布団から起き上がるのもしんどい、朝食も食べたくない、今日よ始まってくれるなと願いながらズルズルと生きる人物のことだが、そのような人間は行動することすら難しく感じられるのだから、行動力に満ち溢れる人間に比べて、悪をなす可能性は格段に低いという訳だ」

     思わずシオランの思想に引き込まれて、興味深く読んだ。この「シオラン入門」の筆者は、シオランの思想書の翻訳をいくつか手掛けている他、この記事よりも網羅的な内容を扱う入門書も出版しているらしい。そちらの入門書が気になってインターネットで調べてみれば、新書レーベルから出ている手に取りやすい価格帯の本だったので、思わずオンライン書店で購入してしまう。
     シオランの著作の訳書は、やはりというべきがそれなりの値段がする。ちょうど良い、今度の週末に、京都で臨床犯罪学者と会う予定があるのだから、その際に母校の図書館に寄ってみよう。


    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works