空色企画没「曇天」 家族同然、とリーゼレータが言ったのを覚えている。主であるローゼマインと、遠くへ行ってしまったフェルディナンドのことを。
グレーティアはそれを聞いて、訳知り顔で頷いて見せた。ローゼマイン様にとって大きな損失だったのですね。そんな言葉が反射的に口から出た。家族は大切で特別な存在。実感を伴わない「常識」を上手に使って、リーゼレータと話を合わせた。
「ローゼマイン様はご家族よりもフェルディナンド様を慕っているようですね」
彼女の口から語られるローゼマインとフェルディナンドの関係は、グレーティアには理解が難しかった。家族ではないけれど、家族にも等しい絆で結びついた二人。別れを受け止めきれずに、痛みから目を逸らそうとするほどの関係。
円満な家族が分からないグレーティアには、二人の結びつきを想像する術がなかった。
――どんな、なのかしら。
二人の関係は分からないままだったのに、ローゼマインがお小言シュミルを抱えて眠るのを見た時、無性に悲しい気持ちになった。そんな気持ちになるのは初めてで、自分で自分に驚いたほど。
低い声が繰り返す、無味乾燥な小言の羅列。こんなものにでも縋りたくなるほどに慕わしいとは、一体どういう感情なのだろう。
分からない、と思った。自分が皆目分からない関係と感情をローゼマインは知っている。そのせいで胸を痛めて泣いている。リーゼレータと違って、グレーティアはそれに寄り添ってあげることができない。
――わたくしが、家族の愛情を知らないから。
そのことが、ただひたひたと悲しい。
お前さえいなければと言った生母も、自分を他家への貢ぎ物のように扱った父母も、消えてしまえとしか思わない。自分はあの人達を永遠に憎む。当たり前ではないか、と心の中で嘲った。
けれどそんな憎悪と幻滅のせいで、自分は主にかける言葉を持たない。
――わたくしも、知りたかった。
見てみたかった。二人の強い結びつきを。
自分の名を受けてくれた、尊敬すべき主。この方が誰かに一心に愛されるところを見たかった。この方の美しい心の分だけ、強く、深く、誰よりも愛されて欲しかった。
――悲しい。
わたくしは愛されたことがない。シュミルを抱えて眠る主を見て、グレーティアは胸中で小さく呟く。
丸く柔らかな頬には涙の跡が残っている。どんな夢を見ているのだろう。幸せな夢か、それともやはり物悲しい夢か。そう考えると胸が詰まった。
――わたくしには、この方のために泣ける涙がない。
オティーリエが順々にカーテンを開けてゆく。窓の外はどんよりとした空が広がっていた。雨が降る訳でもなく、かといって陽光が射し込むこともない重苦しい空。
「おはようございます、ローゼマイン様」
声をかければ、ややあってうっすらと瞼が開く。とろんと眠そうな表情は、確かにここにはいない誰かの影を追っていた。
「……おはようございます、グレーティア」
何度か小さくまばたくと、主は何かを諦めたように微笑む。その笑みの後ろで大切なものの壊れてゆく音が聞こえる気がする。
「お支度をいたしましょう」
天蓋を左右に大きく上げた。用意した洗面の道具を広げていると、ローゼマインがするりと寝台から下りてきた。
「――今日こそお手紙を書かなくては」
柔らかい表情は、悲しみも諦めも上手に隠す。
――助けてあげて。
心の中で呟いた。誰が助けられるのか分からない。けれど、この方には幸せでいて欲しい、と強く願う。
――この方のところへ、戻ってきてあげて下さい。
シュミルに声を吹き込んだ人にそんなことを思う。叶わない願いだ、とグレーティアは小さく自分を笑った。
目の前の少女が、決意一つでそれを叶えてしまうことになるとは、グレーティアは考えもしなかった。