未定 その日はヘルメスにとって災難の日だった。観測に必要な器具をオレイアスに奪われ、追いかけるうちに木の根に足を引っ掛け転び、オレイアスを捕まえたとおもったら奪われた器具はどこかに捨ててきたらしく手には持っていない。まだ一日が始まって大した時間も経っていないのにヘルメスはボロボロになっていた。
おそらくここら辺で捨てられたのだろうと大きな体躯を縮めて器具を探す。これはもう観測は別の日にやり直しだと溜息を吐きながら。
その時、ほのかに甘ったるい匂いが辺りに漂い始めた。顔を上げると少し離れた場所でモルボルの一種がズルズルと音を立てて徘徊をしていた。これは先日新しく創造された種類でこれまでの品種とは違い、モルボル種特有の異臭を改善させたものだった。その代わりにあの大きな口腔内の液体の危険性が以前よりも上がったのだと報告を受けている。たとえ臭いが改善されていたとしてもあの生物には嫌な思い出がある、また頭からかぶりつかれたらたまったものではない。もう少し離れた場所で器具を探そうとヘルメスが立ち上がった時、ふとモルボルの口に通常ならある筈のない何かが見える。目を凝らして見たヘルメスは、それが一体何なのかに気が付き息を呑む。
ヒュポデーマを履いた足がモルボルの口からはみ出していたのだ。
「っ、!!」
誰かが呑み込まれたのだと理解して瞬時に杖を取り出した。なるべく死なせることのないようにしたいのだが、一人の命がかかっている、そんな事を言っている場合ではない。走ってモルボルの近くへと駆け寄ると、風を操りその口をこじ開けるように魔法を放つ。
「穿て!!」
強力な風を受けてモルボルは咆哮を上げるが手に入れた獲物を奪われまいと抵抗をする。少し開かれた口の中、足先だけ見えていたのが誰なのか瞬時に確認する。そこにいるのが誰なのかが分かると一層、ヘルメスの心臓は飛び跳ねた。小さな体躯に薄いエーテル構成の肉体。アゼムの使い魔を名乗るその人であった。
「頼む、その子を離してくれ…!!」
もう一度風を操り吐き出させようと魔法をぶつけると流石のモルボルもこれ以上は危ないと判断したのか口に含んでいた使い魔を吐き出した。甘い香りを放つ粘液と共に小さな身体がべちゃり、と音を立てて地面に転がり落ちた。モルボルは踵をなんとか斃すこともなくアゼムの使い魔を助ける事ができたヘルメスは杖をしまうと使い魔へと駆け寄る。
「大丈夫かい!?」
「、ぁ、…へぅめ、す…? ありが、と」
小さく咳き込みながら虚な瞳で彼女はヘルメスを見上げた。抱き上げて怪我はないか見てみると首に触手で絞められような痕が残っていた。全身もモルボルの粘液に塗れて酷い有様だ。
「きたな、ね、ごめ…あれ、なんか、いた…」
本人も自分があんまりな状態である自覚があるらしくヘルメスに謝ろうとするが、小さく痛みを訴える言葉を発するとその意識はプツリと途切れてしまった。そう、この品種は臭いの改善と引き換えに粘液の危険性が上がっているのだと思い出す。
「…!!」
ヘルメスは即座に使い魔を抱き上げると転移魔法でヒュペルボレア造物院内へと転移をした。