こういうシチュエーションが見たかった ざぐ、と革靴の裏で小さな土くれが潰れる。二重廻しの裾を揺らし、以蔵は小さく息を吐く。
「前進のみだ!」
ライダー・コンスタンティノス11世は赤いマントを翻して高らかに叫んだ。
発動させたスキルは『ハギア・ソフィアの祈り』――己にターゲットを集中させつつクリティカルスターを獲得する。生前、王都コンスタンティノープルを枕として討死した最後のローマ皇帝にふさわしいものだ。
「ここは私が守る! オカダ殿は構わず敵を!」
「わかっちゅう!」
同じくスキルでスターを集中させ、クリティカル威力も上げた以蔵は、刀の柄を握り直して細かく散らばる砂粒を踏みしめた。
以蔵たちは城壁を背に陣取り、原野の向こうではウェアウルフの群れがこちらをにらんでいる。畜生どもは手に棍棒を持ち、獣の耳を立てて半開きの口からよだれを垂らしている。十体を優に超える、こちらへ敵意をむき出しにしている連中から、マスターを守らなければならない。
対軍宝具を持つ者でもいれば一網打尽にできようが、残念ながら今の以蔵たちは戦線を絶たれている。今マスターのそばにいるのは、以蔵とコンスタンティノスだけだ。
そしてコンスタンティノスの宝具は防御に特化している。彼がエネミーを引きつけてマスターを守っている以上、自由の利く以蔵が動くしかない。
不幸中の幸いというべきか、ウェアウルフたちは直立して手足を二本ずつ持っている。
これが狼やら鳥やらなら骨が折れるところだったが――。
以蔵は前を見据え、遠くに見える森林の向こうにまで届くほどの声を上げた。
「おまんらも……みんな、人じゃぁ!」
コンスタンティノスへ向かっていたウェアウルフどもが身構えるより先に飛びかかり、打刀を振り上げて粗末な上衣ごと袈裟懸けにする。その腹を蹴飛ばして引き抜いた刀で、次の標的の柔らかい腹を薙ぐ。
何しろ、身を隠す場所もなく、ひとつところにおびき寄せられているのだ。迎撃はしやすい。
次々と仲間をなで斬りにされて、ウェアウルフたちは怯えを隠さない。互いに目配せして、以蔵を見て後ずさりする。
小さな脳みそなりに身を守る術を考えているのだろうが、そんな小賢しさも以蔵の気に食わない。
「今更怖じゆうなんぞ言わすかよ!」
かかって来ないなら、こちらから向かうまでだ。以蔵は右足を大きく踏み込み、浮き足立つウェアウルフどもに踊りかかる。
「逃げな、逃げなや……! おとなしゅうわしに始末されぇ」
ふくらはぎを薙ぐ。腕を斬り落とす。人型特攻スキルを活かして、一体一体念入りに息の根を絶つ。
「次はおまんか……」
首を向ける以蔵に震えるウェアウルフだったが、そのうちの一体が森から飛び出してきて仲間たちに駆け寄った。伝令役が身振り手振りで何かを伝える。群れ集まった者どものどよめきが、すぐ歓声に変わる。
彼らの言葉などわからないが、以蔵は天才なのでその意味を察せる。
「……所詮畜生じゃな。数に勝る思うたらおだつ」
明らかに目の色を変えて襲ってくるウェアウルフをいなしながら伝令役の来た方へ目を向けると、緑の中から半人半獣どもが続けざまに飛び出してきていた。
(ひの、ふの、みの……)
振り下ろされる棍棒を避けてその柄を断ち、戦闘力を削ぎながら援軍を数えたが、十を超えたところで視線を正面に戻した。
悪いことに、人型特攻スキルが切れつつある。コンスタンティノスのターゲット集中スキルも同様のようで、ウェアウルフの何体かはマスターの方へと向かいつつある。
「おい、まいける! おまん、なんぞえいスキル持っちょらんか」
以蔵の叫びに、コンスタンティノスは張りのある声を返した。
「すまない、君にかけられるものは……だが、私が矜恃にかけてマスターを守ってみせる!」
声だけ聞けば、頼りがいも感じられる。
しかし、この男は亡国の皇帝だ。弱った国を支え、立て直そうと渾身の力をふるったものの――滅びを免れることはできなかった。
そういうありようの男に、以蔵はマスターを預けたくはなかった。腐っても、以蔵には勝安房を護衛し通したという実績がある。
(人任せじゃいかんかった……わしがもう二人ばぁおったら、こがな思いはせいでよかったがに)
以蔵はウェアウルフを斬り倒して道を作ろうとするが、一体倒せば新手が立ち塞がる。数を恃んで徒党を組む連中は度しがたい。以蔵の知る、狼にたとえられた集団のことを思い出し、顔をしかめる。
ウェアウルフの爪が、牙が、今にもマスターを傷つけるのではないか。以蔵はもがきながらそれを見ることしかできないのか……厭だ。己が痛い思いをするのも厭だが、剣を捧げたマスターを力不足で喪うはめになるのは耐えられない。
「南無三!」
打つ手のない自分が腑甲斐なく、以蔵は天を見上げる。
――そして、気づく。
青空が、またたく間に輝く黄金色に塗りつぶされる。そのまばゆさは、しかし同時に子を慈しむ親のような暖かみも兼ね備えていた。
「我らの腕はすべてを拓き、宙へ!」
天上から響く声。金色の空の下、豆粒ほどの大きさの人影が見える。
同時に鋭い轟音を立てて、光の矢が降り注いできた。それは原野も森も隔てなく、的確にウェアウルフたちを貫く。
対軍宝具どころではない、対星宝具だ。
以蔵ほどの天才でなければ、流れ弾を食らっていたに違いない。
夕立のような光の雨が止み、もうもうと砂煙が立つ。その向こうでは、コンスタンティノスがマスターをかばって地に伏していた。あわてて駆け寄り、以蔵よりも小柄ながら重い身体を引きはがし、マスターに右手を差し出す。
「マスター! 無事なが」
「う、うん……ありがとう、以蔵さん、マイケル陛下……」
マスターは以蔵の手に掴まって立った。白い魔術礼装は砂埃に汚れてはいるが、赤い染みはない。肩の埃を叩いてやると、「以蔵さん痛いよ」と苦笑した。以蔵はコンスタンティノスを見下ろし、小声をかける。
「おおきに」
「礼を言われることでは……それより、この宝具は」
言いかけたコンスタンティノスと以蔵たちの前に、中空から黄金の鎧をまとった者が舞い降りる。その色合いだけならギルガメッシュにも似ているが、背に流れる藍色の髪と褐色の肌を持つ者は、彼とはまた違う一柱の神だ。
「神祖ロムルス!」
コンスタンティノスは瞳をきらきらと輝かせた。
「神祖なら、この窮地を救っていただけると……!」
「我が子ローマよ、よくぞ私が来るまで耐え忍んだ。さすがはローマが裔」
「ありがたきお言葉!」
皇帝の威厳はどこへやら、コンスタンティノスはローマ建国王のねぎらいを受けて、褒められた孫のようにはしゃぐ。ロムルス=クィリヌスは慈愛を籠めた視線を注いでいた。
「もったいぶっちょらんで、もっと早う来んかい」
以蔵は面白くない。以蔵がおらず、コンスタンティノスだけであったら、守勢の限度を迎えてマスターを危地へと追いやっていたはずだ。だというのに、賞賛はロムルス=クィリヌスが持って行ってしまった。
ただでさえひがみがちの以蔵は、すっかりへそを曲げてしまう。
「極東の剣士よ」
ロムルス=クィリヌスは、背を丸めてそっぽを向く以蔵を見る。そこにある慈愛は変わらず、以蔵はたじろいだ。
「敵を前にした時のお前の叫び、我が耳に届いたぞ」
「そ、それがどがぁした」
「その絶叫が私をここへ導き、宝具を撃たしめた。その剣技でマスターを守るだけでなく、援軍をも呼ぶ……お前は優秀な剣士であるな」
ロムルス=クィリヌスは歩み寄ってきた。頭を撫でてこようとするので、以蔵は思わずその篭手に覆われた手をはたいてしまう。
「わしをわやにしゆうがか」
「――何と」
「オカダ殿! あまりに無礼な!」
「よい、我が子よ。言祝ぎを言祝ぎとして受け取れる者ばかりでないことは知っている。それもまた浪漫」
以蔵の拒絶を受け、あたふたと顔色を変えるコンスタンティノスを前にしても、ロムルス=クィリヌスは飄々としている。
「征くぞマスター、まだ合流を果たしておらぬサーヴァントもいよう」
「はい、そうですね。うまく見つけてくれるかな……?」
「あん音と光じゃ、並んサーヴァントなら気づくろう」
「神祖の存在感があればたやすいことかと!」
そう言葉をかけ合う一人と三騎へ、遠くから呼び声がかかった。
「おや、マスター。それに岡田殿に神祖殿に皇帝陛下……どうぞ迷える拙僧をお救いしてはくれませなんだか」
片肌を脱いだ僧侶のような、どこか道化師めいた装飾も持つ影が、どこからか以蔵たちへ近づいてきた。白黒に染め分けられた髪が揺れ、毛先に吊り下げられた鈴が鳴る。
「げっ、あん腐れ太夫」
「ふむ」
「申し訳ないマスター……仲間であるのはわかっているが、私はあの男を好ましく思えない……」
蘆屋道満の登場に、サーヴァントたちはそれぞれ愉快ではない反応を示す。しかしマスターは、あくまで朗らかだ。
「マイケル陛下、それはしかたないですよ。それに実は、道満は男じゃないんだな」
「えっ」
マスターの言葉に、コンスタンティノスは首を傾げた。その気持ちはわかる。仕組みを理解した以蔵も、あの図体とあの筋肉の持ち主が男ではないとは信じられない。
「わからぬことはない。あの者も私同様、性を超越したありようを持つのだろう」
「おそれながら神祖、御身とあのような似非宗教家を同一になさることはないかと」
「クソ太夫とおんなじとこまで自分を落とすこたぁないちや」
感嘆したようなロムルス=クィリヌスをコンスタンティノスは諫め、以蔵も同調する。実際、このど腐れ陰陽師と並ぶほど不愉快な存在を、サーヴァントとなった以蔵もそうそう知らない。
以蔵とコンスタンティノスの反応すら楽しむように、道満は巨躯を揺らした。
「さすがさすが、大羅馬を国造りされたお方は本邦の伊邪那岐にも喩えられましょうな。凡百の小人とはお考えが違うておられる」
己を否定する者をおとしめるもの言いに、以蔵は肩を震わせてしまう。
しかしこうして他人の神経を逆撫で、思うような反応を引き出すことこそを、この外道は何よりの楽しみにしている。マスターの前ではこらえるしかない。
同じように釈然としない面持ちのコンスタンティノスへ、以蔵は同情の視線を送った。初代ローマ王として尊崇するロムルス=クィリヌスがうさんくさい陰陽師を否定しない。以蔵が信じるマスターと同じ反応を見せていることへのいら立ちは理解できるつもりだ。
ともあれ、他のサーヴァントとも合流できなければ、マスターを護ることもおぼつかない。以蔵は二重廻しの襟を揃えてマスターの視線の先を追った。