あまくあまく、あまいプリン「以蔵さんを自分のごはんで作り上げたいわたしですが」
「誰に向こうて話しゆうがか」
立香と以蔵は以蔵の家のキッチンに立っている。ペアルックのエプロンは、それぞれオレンジ色と黒だ。
シンク横の作業台には卵が二つと牛乳パック、砂糖の袋に加えてボウルが一つとマグカップ二つが載っている。
「お店のスイーツもとってもおいしいけど、そういつもは買えないからね」
「それはげにまっことその通りじゃ」
「経済的な問題とわたしの欲求をwin-winにするために考えた結果が、これから作るプリンなのです!」
「ほにほに」
楽しそうな立香を見ると以蔵も嬉しい。
「わしが手伝う意味はなさそうな気がするけんどの」
「でもわたし、以蔵さんと作りたいの」
立香はきらきらした笑顔で以蔵を見上げる。この顔に弱い自分を自覚している。臭い野菜を切るとか、極端に心理的負荷がかかることでなければ手伝ってやりたい。
「言うても、うちにはオーブンだのなんだの洒落たもんはないがぞ。おまんも知っちゅうろう」
この家にあるのは、グリルつき二口ガスコンロと電子レンジくらいのものだ。
米を炊いて缶詰を開ける程度の調理しかしない以蔵も、お菓子作りには多種多様な器具や設備を使うのは知っている。
しかし、
「大丈夫、以蔵さんちでもできるレシピ調べてきたから!」
自信満々の立香の言葉を、以蔵は信じることにした。この少女がいつも以蔵のことを考え、より以蔵が幸せになるようにと努めているのをわかっているからだ。
「じゃぁ、聞こうかの」
立香はマグカップを引き寄せた。
「レンジでできるおいしいプリン! 早速カラメルソースから作るね」
その華奢な手には、見慣れないものがある。計量スプーンも計量カップも泡立て器も、この家では見たことがない。
「必要なものは持ってきました」
なるほど。さすが、家主よりもこの家に詳しいだけある。
小さじ一杯の水と、大さじ一杯の砂糖を二つのマグカップに入れ、電子レンジにかける。
その間に、ボウルに卵二つを割り入れ、牛乳と砂糖を注ぐ。
一分経って、レンジが軽やかな音を立った。
「そしたら、水を加えてかき混ぜるの……あちっ」
マグカップの持ち手からとっさに手を引っ込めた立香に代わって、以蔵が両手でカップを取り出し、作業台に置く。
「あっ、ありがとう……」
「何のためにわしがおる。危なっかしいことはわしがしちゃる」
「頼りになる……」
うっとりする立香だったが、すぐに、
「ソースが冷めちゃいけないから」
と、水道の流水から小さじに水を取った。
「急に冷水入れるとはねちゃうんだって」
「わしがやっちゃる。寄越しぃ」
立香から小さじを受け取り、熱々のマグカップに水を足す。ぱちぱちと音を立て、カラメルソースがはねた。以蔵の手にも飛沫がかかり、思わず顔をしかめる
「熱っ」
「いいよ、わたしがやる」
「わしも引っ込みつかんくなっちゅうがよ」
痛みを少しは我慢できるようになったのも、立香と逢って変わったところだ。スプーンで焦げ色のついた液体を混ぜる。
「いい感じになってきた。次は卵液を作るんだけど」
「これか」
以蔵は作業台の上のボウルを見た。
「ハンドミキサーがあればよかったんだけど、さすがにうちにもなくて」
「わしが混ぜた方が早いろう」
「あんまり何もかも任せっぱなしっていうのも」
「おまんはおまんのもんを好きに使えばえい」
「えーとそれは……」
一拍遅れて、立香の頬が染まる。
「そういう、モノ扱いはいかがなものかと」
「おまんもわしんもんやき、お互い様じゃ」
視線を泳がせる立香に、触れるだけのキスをする。
泡立て器の先で黄身を割り、卵と牛乳が馴染むようにと速度を上げて回す。こういうことは、腕力のある男がやった方が後々効率もいい。
「どうじゃ」
中身がすっかり混ぜ合わされたボウルを見せる。
「いい感じだと思う。濾さないとダマになって食感が悪くなっちゃうんだけど……」
「濾す」
あまり日常生活では意識しない手法だ。泥水を大きな石から砂へ順々に通して、ある程度綺麗な水にする手順を思い浮かべる。
「急須あるじゃない。あれの茶濾しならなんとかなりそう」
立香は洗いかごに上がっていた茶濾しの短い柄を持ち、
「以蔵さん、ボウル持ってくれる?」
言われるままに、立香が構えた茶濾しの上でボウルを傾ける。ほどよく冷めたカラメルに重なって、茶濾しを経由したきめ細かい卵液がぽたぽたとカップに落ちる。なるほど、濾すとはこういうことか。
二つのマグカップの片方に軽くラップをかけ、レンジに入れて加熱する。
くるくる回るカップをドア越しに見ながら、
「うん、たぶんうまくいく。たぶん」
「自信ないのう」
「まだ一回しか試してないし」
「失敗したかえ」
「成功したよ。でも、以蔵さんにめったなものを食べさせるわけにはいかないじゃない」
「腹に入ればみんな一緒じゃ」
以蔵の言葉に、立香は頬を膨らませる。
「それはそれで作りがいがない」
「ほがな意味やない、プレッシャーかけたらおまんが気負う思うて」
「わたしは以蔵さんにおいしいもの食べてほしいの!」
以蔵を見上げてくる金色の瞳の健気さに、我慢できず腕を引く。柔らかい身体からは砂糖とミルクの匂いがした。
「えいのう」
扱いを間違えれば折れてしまいそうでいながら、以蔵を包み込んでくれる温度もある身体。頬に髪をすりつけ、繊細な貝殻のような耳に息を吐く。
「まっことえい」
赤く染まる耳を舌先でつついてやると、立香は甘く鳴いた。
「やぁっ……」
「厭ながか?」
腕の力を強めたところで、空気の読めないレンジが音を立てた。
「ほらぁっ……」
立香は以蔵の腕をすり抜け、レンジのドアを開ける。
「こっちもレンジにかけなきゃいけないんだし! ……あつつっ」
またも持ち手を掴み損ねる立香の横から手を出し、カップを取り出す。
「やき、ほがなことはわしがやる言うたろう」
「これは……まぁ、照れ隠しというやつなので……」
もう一つのカップをレンジにかけてから、立香は再び以蔵に向き直った。赤い目尻が可愛い。
「わしに抱かれとうない言うわけやないろう?」
以蔵が首を傾げて問いかけてやれば、
「あの……ね」
含みのある表情だ。何かある。
「なんじゃ」
「プリン、あったかいままじゃ食べられないでしょ」
確かに、立香よりも五年以上長生きしている以蔵も、温かいプリンは食べたことがない。
「粗熱を取ってから冷蔵庫で一時間くらい冷やす必要があるんだけど……」
「ほぉ」
「その、プリン冷えるまで、時間あるよね?」
立香も、以蔵と同じ角度に首を傾げる。
可愛すぎるお誘いに、めまいがしそうだ。抱きしめざるを得ない。立香の身体も熱い。
「プリンの味がわからのうなるかもじゃ」
「そんなことないよ」
「まぁ、おまんとわしじゃ味も違うき」
舌と舌を絡み合わせれば、やっぱり甘い。
「以蔵さんは煙草の味……」
そうつぶやく立香の唇を、改めて奪った。
一時間以上冷やしてしまったプリンを、冷蔵庫から取り出す。洗いかごに立てかけたプラスティックスプーンを二つ取り出してトレイに載せ、ボクサーショーツ一丁の以蔵は上機嫌に給仕する。
寝室のドアを開けると、しどけなく寝乱れた立香がベッドから身を起こして以蔵を見た。シーツで胸を隠しているが、白い肩には以蔵の独占欲がいくつも刻まれている。
「ありがと」
「なんちゃぁない」
この寝室にはサイドテーブルなどはない。トレイをマットレスに置いて、マグカップのひとつをスプーンと一緒に立香へ差し出した。
カップを合わせて、ひと口頬張る。
「おまんが作るもんはまっことうまいけんど……おまんには負ける。おまんはどうじゃ」
「うん……以蔵さんの後に食べれば、甘さが際立つ。もちろん、以蔵さんの方がおいしいからね?」
「食い比べるがは大事じゃな。ひと口寄越し」
立香の手首を握り、プリンの載ったスプーンを以蔵の口に運ばせる。
「中身同じだよ?」
「おまんが食わせてくれるがに意味があるがじゃ」
スプーンを舐めた勢いで、慎ましく彩られた爪先にも指を這わせた。
「えっち」
「えっちって感じる方がえっちながじゃ」
「屁理屈……んっ……」
立香は肩を震わせた。
せっかく燃やし尽くしたはずの欲望に、再び熱が点る。
「責任取りや」
手首の裏の血管をたどりながら、プリンをまた冷蔵庫にしまうべきかと考える。
余裕のなくなる前に片づけた方がよさそうだとわかっているのに、柔肌から舌を離せない。