n番煎じ彼シャツ 立香としてはいずれ以蔵と結婚したいし、以蔵もそのつもりで動いているのが察せられる。
しかし――だからこそ、まだ馴れ合いたくない。
今しか味わえない恋人同士の時間がある。甘い恋慕を持ち寄って、ベッドの中で分け合う。隙間なく抱き合い、互いの熱を感じる。
おそらく、生活を共にしては素直にそうできなくなることもあるだろう。
だから、まだ所帯染みた振る舞いは控えている。
たとえば、着替えを持ち込むような。
常備するのは、歯ブラシやメイク落としくらいに留めたい。
そんな風に思っている。
さて、今宵も立香は以蔵に愛された。
情事の後始末をした以蔵は、くったりした立香を己の胸に引き寄せて腕枕をする。
そのたくましい感触が愛しくて頬を寄せた立香だったが、ふと肌寒さに襲われた。
ふるり、と肩を震わせた立香に、オレンジ色の髪を撫でていた以蔵は視線を向けた。
「冷やいか」
「少し」
立香が答えると、以蔵は手を頬に当てて覗き込む。
「いかんちや、女の冷えはのうがようない。何か着んと……」
とはいえ、上で言った通りこの家に立香の着る服はない。
先ほどまで着ていて、今はベッドの下に落とされている服を着るわけにはいかない。寝間着代わりにしたら皺になって、明日外に着て行かれない(互いの興が乗ったら着たままでことに及ぶこともあるが、それはそれということで)。
思案げに視線をさまよわせた以蔵だったが、やがて立香の顔を見た。
「寝間着ぃ出しちゃる」
「面倒ならいいよ、無理しないで」
「おまんのことでだれることらぁてあるか」
そんなことを言って額にキスを落とすのはずるい。立香が以蔵を大好きなのを知ってするのだから、恋心への爆撃だ。
以蔵は照れる立香からそっと身体を離し、ベッドを降りて部屋の電気を点けた。立香は思わずシーツを胸に引き寄せる。
以蔵はそんな立香に構わず、ベッドの下に置かれた引き出しを開けて服を物色する。
「これならえいろう」
と言って取り出したのは、少し着古したTシャツとハーフパンツだった。
「ざまぁないもん着せるわけにはいかんきの。立てるか?」
「う、うん……電気、消さない?」
「どいてじゃ、危ないろう」
「いや、でも、その」
寝たまま赤くなったり青くなったりする立香の頬に、手のひらが添えられる。
「がいにはせんよ。おまんも疲れちょるし、わしもそこまで獣やない――と思う」
「そ、そういうのじゃなくて……単に、羞ずかしいなって……」
「ほがなことか。今更じゃのう、さんざん見ちゅうやいか」
さんざん、と言われるほどに身体を重ねてきたかと思うと頬に血が集まる。
「おぉ、熱い熱い」
以蔵は片手の親指と人差し指で立香の頬をぷにぷにと挟んだ。
「何するの」
「すまんすまん、おまんがあんまりやりこうての」
くすくすと忍び笑いする以蔵は、
「……ま、お姫様の言うことやき」
と、電灯から延びる紐を引っ張った。辺りが薄闇に包まれる。
以蔵の手を取って立ち上がる。まだうまく身体に力を入れられない。ふらつくのを支えられ、頭からTシャツをかぶる。以蔵に裾を引っ張られて、シャツを整える。
いつ着てもぶかぶかだ。襟周りはだぶつき、深く鎖骨が見えている。半袖シャツの袖は肘上まで垂れ、裾も股間を隠す。まるでふざけて大人のパジャマを着る子供のようで。
それだけ以蔵の身体は分厚い、立香との体格が違う。
「ほれ、こっちも」
と白いショーツを渡されて、思わず視線を逸らす。
「自分でやるのに」
それでも、
「えいから黙って尽くさせぇ」
と嬉しそうに言われたら、従わざるを得ない。
ショーツに続いてハーフパンツにも脚を通す。ずいぶんとウエストのゴムが緩く感じる。
「うん、着れた」
「ほうか」
以蔵のうなずきに応えてベッドへ戻ろうと、伸ばされた手を取ろうとした。
ハーフパンツが腰骨に引っかかりもせず、まっすぐ立香の足許に落ちた。
数秒、視線を交わし合う。
やがて、
「……くくっ」
「あははっ」
どちらからともなく笑ってしまう。
「ほうかほうか……おまん、こんまいのう……」
「以蔵さんが大きいんだよ」
実際、立香はそこまで細い方でもない。下腹の肉をつまんでは「もっとすっきりしたいなぁ」と思うし、二の腕の振袖のようなような脂肪も気になる。
以蔵はそんな立香よりもはるかに身体を鍛えている。
その頼りがいのある男らしさに、立香はほぅとため息を吐いた。
「立香、こっち来ぃ」
以蔵は伸ばされかけた立香の手を掴み、なかば強引に引き寄せた。二人揃ってベッドに倒れ込む。
片腕で腕枕され、もう片腕を仰向けになった腰に回される。
「おまん、ちっくと肉つけぇよ」
「えぇ」
常に体型を気にする若い女性には、少々酷な言葉だ。
「もっと可愛い服着たいし」
「ほがなもん着んでも死にゃぁせん」
「それはそうだけど」
「無理して痩せて病気にでもなられたらえずい」
大きな、硬い手が優しげにお腹を撫でる。
「肉ぅついた方が抱き心地もえいきの」
「それが本音か」
立香は以蔵の頬を引っ張った。精悍な頬はまったく伸びない。
「おーの、痛い痛い」
「どうせわたしのことなんて身体目当てなんだ」
わざとらしく拗ねてみせる立香に、
「好きな女の身体が目当てやない男はおらんろう」
以蔵も喉を鳴らす。そのまま立香の髪に顔を埋め、
「あぁ……」
と、しみじみこぼす。その声に恋しさがにじんでいたから、
「……する?」
「せん言うた」
以蔵はベッドの隅でわだかまっていた毛布を足先で器用に引き寄せ、二人にかぶせた。
立香は以蔵の腕の中で身体をひねり、背中を胸板に押しつける。
「どいてそっち向く」
「この姿勢だと、以蔵さんに包まれる感じが強いの」
「ほぉ」
以蔵は片腕で立香を抱きしめる。
「これがえいかえ」
「うん、護られてる」
「ほうか……立香、わしが護っちゃるき、おまんはなんちゃぁ気にせいでえい。わしがおるき」
立香は腕枕の二の腕に頬をすりつけ、手を握った。
「以蔵さん、好き」
「立香、好きじゃ」
薄闇の中で静かに告げ合えば、お互いだけを感じる。
とてもぜいたくな時間だ。
それを余さず感じたくて、立香は以蔵の指の間に己の指を忍ばせた。
以蔵は強く握り返してくれた。