約束/中編(フリスク視点)「あのね私」
─サンズともうひとつ、先に進みたい─
意を決してそう伝えようとした矢先、骨の手はフリスクの手から離れていった。
フリスクの心は折られてしまった。
これまでも何度も何度も。
「フリスク、なんか飲むか?」
いつも通りの感情の読めない笑顔がフリスクに向けられる。何事もなかったかのように。
先程フリスクは体を寄せて精一杯の気持ちをこめて手に触れた。フリスクにはサンズの気持ちはさっぱり分からないが、サンズにはフリスクの気持ちが手に取るように分かるはずだ。それなのに、その手は離れていった。
下を向いたまま頷いたフリスクを見て、サンズはキッチンへと入っていく。
サンズは自分を求めてはいない。
いつだって望むのはフリスクで、サンズはそれに答えてくれる。ただ、それだけ。
きっと自分はサンズを困らせてばっかりだ。
握った拳に涙がポタポタと落ちて、フリスクはハッとした。
─泣いていたら、またサンズを困らせる。
フリスクは涙を拭いながら気付かれないよう玄関からそっと外に出た。
*
涙を誰にも見られないよう建物の影に隠れて、フリスクはサンズの気持ちを考えてみた。
自分は求め過ぎではないか。
してもらえない事じゃなくて、今までサンズにしてもらったことを考えてみようと思った。
サンズは色んな所に連れて行ってくれた。くだらないジョークで笑わせてくれた。悪意で近付いてくるニンゲンから守ってくれた。近道しないで歩きたいっていう自分に歩幅をあわせて歩いてくれた。手を繋いでくれた。ハグもしてくれた。オヤスミのキスもしてくれた。それに…
指折り数えて、もう指が足りない。
全部、自分が望んでサンズがしてくれたことだ。
それでも自分はまだ足りないって泣くんだな。
*
涙も止まり、いなくなった事を謝ろうと家に戻るとサンズはいなかった。
サンズの部屋も見てみる。ここにもいない。
いつも丸めて結んであるシーツが今日はベッドの上で柔らかくほどけていたので、何気なくそれにくるまってみた。
サンズのにおいだ。
頭から被ってぐるぐると寝転がった。
サンズに抱きしめられてるみたいだ。
靴下のちらばった床がシーツの隙間から見えた。
以前、散らかった部屋を片付けようとしたら「こう見えて、あるべき場所にあるべき物が置いてあるんだ。動かしちゃ駄目だぜ」と止められた事を思い出した。
─私はサンズに何かしてあげられたのかな。
トリエルに習ったパイを作ってあげた。
似合いそうなスリッパをプレゼントした。
─どれもサンズが私に望んだことじゃない。私がしたくて勝手に押し付けただけだ。スリッパはまだ履いてくれていないしパイは微妙な仕上がりだった。サンズは嬉しいと言ってくれたけど、いつも茶化して言うから本心がわからない。あれは本当に喜んでくれてたのかな。
考えれば考えるほど、サンズがフリスクと一緒にいる理由が分からなかった。サンズはフリスクに何も求めない。
─サンズにとって、私って何なんだろう
私にはこの床の靴下ひとつ動かすことはできないんだな、と思っていると、横でトスっとスリッパが着地した音が聞こえた。
*
近道で現れたサンズはフリスクが今まで見たことのない表情をしている。
そう思ったのは一瞬で。
彼は着地するやいなや、ベッドへと急速に足を進め、その勢いに思わず身をすくめたフリスクをシーツごとその腕の中におさめた。
「サンズ」
サンズの息が乱れている。パーカーも半分肩までずり落ちていた。
対してフリスクは頭まですっぽりとシーツにくるまったまま抱きすくめられていて。
「サンズあのごめん私」
「なぁ、フリスク、オイラが悪かったよ…」
フリスクの言葉をさえぎって腕に力をこめる。
「サンズ?」
いつもと違うサンズの様子を不思議に思って顔を覗き込もうと身をよじる。それを逃さまいとするように、さらに強く抱きしめられた。
「頼むからさ、居なくならないでくれ」
「ごめ」
ん、の言葉はサンズの口に塞がれて言えなかった。
薄緑色のシーツがはらりと髪を滑り落ちていく。
サンズの舌が唇を割って入ってきた。
今まで触れるだけのキスしかしたことが無かったフリスクには、何が起こったか分からなかった。自分の口の中に入ってきたひんやりとした柔らかく湿ったそれが、サンズの舌だと気付くまでに時間がかかった。
「んっんふ…」
息苦しさに身を離そうとするが、サンズはさらに力をこめ、そのままふたりベッドへ倒れ込んだ。薄緑のシーツが体からほどけてベッドに広がる。
サンズの厚く冷たい舌がフリスクの舌に重なり温かくなっていく。こういうキスの事は友達から聞いたりして知っていた。でも聞くのとされるのとでは大違いで、それが良いものかどうかはフリスクには分からなかった。
ただ、サンズは今、自分を求めている。
そう気付いた時、震えるような喜びが体の芯から湧き上がってきた。
「…フリスク」
感情の変化を嗅ぎ取ったのか、サンズの口がゆったりと離れた。
暗い眼窩の中に浮かぶ光が感情の高ぶりを表すようにチラチラと揺れながらフリスクを見つめている。
「なぁ」
フリスクの上に覆いかぶさっているサンズは、もう一度口づけようとして
「いや…だめだ」
と、長いため息を吐く。そのままフリスクを再び強く強く抱きしめた。
サンズはフリスクの首筋に顔を埋め呼吸を整えている。
フリスクは次の行動を待った。
サンズは動かない。
サンズはきっと理性と本能の間で揺れている。
「サンズ」
サンズの肩がピクリと動く。
「私がサンズと付き合い出した時は、もうこの国では結婚できる年だったんだよ」
「…わかってる」
「もう…子供じゃないよ…」
「…アンタは……子供だよ…」
自分に言い聞かせるようにサンズは言う。
フリスクにはサンズのその理性がひどく脆いものだと分かった。
自分の行動ひとつで決まる。と思った。
いつかのように、選択肢が目の前に出ているかのようだった。