しずく、しずか、しずむ【一】「人間の文化に興味があります」
と宣言するくらいに、ウサミは日々なにかを取り込んでいる。
俺が会社に行ってる間、こいつが何をしているかというと、日がな一日インターネットとサブスクを楽しんでいるようだ。
あの瞬きほぼゼロで目が乾かないのだから、怪異という存在はそういう面でも人間の輪から外れている。
ただ、「人間の文化に興味がある」というのは、「人間を正しく理解したい」とイコールではない。
休みの日、俺はごろごろして、ウサミは映画を見ていた。
俺の方は流し見のつもりだったが、初見にもかかわらずぐっとくるものがあり、最後には目が潤んだ。
しかしウサミは、画面をじっと見つめているだけだった。
泣きも、笑いも、なにもない。
その横顔があまりに無表情で、俺は不意に恐ろしくなった。
凪いだ海だって、見る者に何か感情を喚起するものだ。
けれど、あまりにも"無"で、何も映さない鏡のようだった。
ウサミの感想はどこかずれていて、俺はこの怪異が映画のどこを、何を見ていたのか分からなくなった。
それからは、軽く「今日の映画、どうだった?」とすら気軽に聞けなくなった。
だから、「興味がある」というのは、あくまでその表面を、存在としての構造を知りたいだけなのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
意味や感情の揺れ動きとは、別の次元にある興味。それがウサミだ。
服装についてだが、家ではまあ、全裸だ。
人間の上半身に白蛇の下半身。
蛇の部分には当然毛はなく、美しくしなやかな尾は、狭い日本の室内ではもてあまし気味だ。
とはいえ、家具の隙間を縫うように音もなく移動する姿には、むしろ優雅さすらある。
後ろに立たれても気配がまったくないため、日常的に肝を冷やされている。
蛇は全身筋肉であるという。
軽く絡みつかれるだけでも解ける気がしない。
けれど今のところ、俺の骨は折れていないので、ウサミなりに加減してくれているのだろう。
蛇の腰あたりまで白く滑らかな鱗で覆われており、股間もつるりとしている。
ただ、実はそこには……いや、その話は脇に置いておく。
上半身が裸の男ではあるが、特徴的なのは、乳首がないことだ。
蛇だからなのか、臍もない。
つまり、上半身もつるりと滑らかな造りをしている。
そのくせまつげだけは妙に長く、不気味さや異質さを越えて、造形としての美しさと妖艶さを備えている。
動いたときのしなりや、視線の流し方ひとつ取っても、つい目を奪われてしまうことがある。
口の方は実にやかましい。
一言どころか三言くらい多い。
口調こそ丁寧だが、内容が丁寧かといえばまた別の話だ。
そんなウサミも、「人間の文化に興味がある」ので、一応服装にも関心はあるらしい。
だが人間の目から見たときの「自然さ」や「整合性」には無頓着で、選んだ服装が時折ちぐはぐな印象を与える。
ボタンという概念も、こいつにはどうにも難しいようだ。
手先は決して不器用ではないが、よく掛け違えては、「できました」と見せてくる。
そういうときは、ちょっとだけかわいいなと思う。
だから俺は、できるだけ刺激しないように「うまくできたな」と褒めてから、「少し直してもいいか」と聞くようにしている。
つまりこの怪異・ウサミは、会話こそ成り立つが、人間の文化への理解はまだ浅い。
そしてそれを取り入れたところで、人間そのものには決して近づかない存在だと、俺は思っている。
その知識の取り入れさえも、実は「なぞっている」だけなのかもしれない。
人間に近づきたいというより、擬態したいだけなのかもしれない。
俺には分からない。
おそらく理解の輪の外にいる。
ウサミという存在に慣れたと思っても、また新たなずれを見つけては、
「嗚呼、やっぱりこいつは人間ではないのだ」と思い知らされる。
ウサミがこちら側に来るのが早いか、俺があちら側に行くのが早いか。
それはどれほど、ずれているものなのだろう。