しずく、しずか、しずむ【八】木造平屋建ての一軒家。
築20年以上経ち、資産価値はほぼゼロだと言われた。
円満離婚ではあったが、財産の分与がどうのって話になって、この家だけが残った。
その後も通勤やら何やらを理由に、ずるずると──気づけば、ここに住み続けていた。
見知った場所に、見知ったもの。
別に、俺の日常や暮らしを一新する必要もないかと、自分に言い訳しながら。
そんなある日、ウサミがやってきた。
いろいろ……本当に色々あって、今はこうして一緒に住んでいる。
同棲? 取り憑き?
よくわからないが一応、同棲ってことにしておく。
部屋は余っていた。
“男一人分”としては、尾が長すぎたが……まあ一人増えても問題はないだろう、と。
長らく使われていなかった空き部屋へ案内して、「好きに使っていい」と伝えた。
ウサミは部屋の中をぐるりと見て回り、俺の元へ戻ってきて、まっすぐに言った。
「僕、この部屋、いやです」
……怪異に、部屋がいやだと言われるとは思っていなかった。
なんで? どうして? どの立場で?
「あー……そぉ?」
曖昧な返事しか出てこなかった。
まさか断られるとは思ってなかったからだ。
元は子供部屋、今は物置。片付いてる方だと思ったんだけど、蛇の下半身には狭かったか?
そう思っている間に、ウサミは俺の脇をすり抜けて、部屋を出ていく。
「あっ、おい!」
怪異ってみんなこんなにマイペースなのか?
俺が知ってる霊とかは、もっとこう……いや、いいや、それは。
それよりも。
「ここがいいです」
ウサミが指さした先は、俺の寝室だった。
「え、そこ……俺の部屋……」
寝るだけの部屋。
酒飲んでソファで寝落ちもするし、一日で一番使ってない場所だ。
「……じゃあ、交換する?」
新婚時代、互いの理想と寝相を相談して選んだデカいベッド。
そこに寝るのは今は俺しかいない。奮発したし、壊れてないし……の惰性で買い換えもせずそのまま使っていた。
もしかしたらこいつは広いベッドで眠りたいのかもしれないな。
客用布団しかなかったし、広さも足りなかったか。
「ちがいます」
きっぱり否定された。
「?」
「ここがいいんです。あなたと寝ます」
「えっ!? いや、それは……──なあ、俺は人間で、おまえはそうじゃないだろ? それに体、男……同士、だよな?」
「そうですね」
「えっと……」
ウサミは真っ直ぐにこちらを見ている。譲る気はまったくなさそうだ。
「一応、聞くけど。なんでこの部屋がいいんだ?」
「門倉さんのにおいがするからです」
当然のことのように、平然と。
「とってもいい匂いですね!」
「……」
今から同棲解消とか……無理だよな。
“とんでもないものを招き入れてしまった”という実感は、その後も何度も、上書きされていくことになる。
たまに思い出すんだよな。
この時に戻れたら、って。