しずく、しずか、しずむ【一二】それはもう念入りに確かめた。
怪異の足を、だ。
指がしっかり五本あって、ちゃんと離れてるか、くっついてないかどうか。
「大丈夫ですよ、僕もうちゃんと出来ますから」
ふんっ、と自慢げに言うけどね、心配しかない。
いつもなら靴を履いて出るから、こいつが中で手を抜いていようが見えないわけだ。
でも今日はちがう。
「ほら、足貸せ」
玄関でウサミの片足を取り、下駄を履かせる。
指の間に鼻緒がちゃんとおさまるように。
人間の文化に興味がある怪異は夏祭りをご所望だというので、今日は浴衣に下駄だ。
だから足の指は、本当に、まじで、大事なことなんだ。
「いいか、ちゃんとしろよ」
「はい!」
「ほんっとうに、頼むぞ……」
「わかってます!」
とけるかもしれない魔法をかけた昔話の魔女って、こんな気持ちだったんだろうか。
ハラハラする……、でも魔法かけられた方は自信に満ちてるっていうか。
夕方、日が落ちる頃に家をでた。
透けるような白い肌に浴衣姿、なかなかどころじゃなく様になっている。
だからこそ夜に来た。整いすぎてんのよね、色々と。
カラコロ、カラコロ、隣をついてくる下駄の音。
「門倉さん」
と、いつもより上から声が降ってくる。
「あれって、」
視線の先には灯りに照らされ煌めく水面、そこの中を泳ぐ鱗もまたキラキラと光っている。
「食べ「るなよ。絶対に。」
「まだ何も言ってないじゃないですか!」
「食べ、まで言っただろ!!」
金魚をどう見たら“食べ”まで出てくるんだよ。
「……ほら、これで好きなもん買ってこい。いいか?“人間の食べ物”を、だぞ」
「わかりました」
まあ、どこもかしこも人混みで並ぶのが面倒だ。
見失わないようにだけして、ちょっと離れたとこから見ている。
なんとかっていうおつかい番組みたいだな。
少ししてから行き交う人の流れの中を、すいすい縫うように誰ともぶつかりもせず戻ってきた。
両腕になかなかの量のビニール袋を引っかけて。
「おまえ……めちゃくちゃ買ったなぁ」
焼き鳥、焼きそば、クレープ、チョコバナナ、それとたこ焼き。
「はい。門倉さんも一緒に食べましょう」
「ん、じゃあひとつ、もらう」
「どうぞ」
まるで当然のように、ウサミの手がたこ焼きを俺の口元へ差し出してきた。
「どうですか」
「ああ、うん、フツーかな」
定番の味は、想像を超えてはこない。
「っていうか、そんなにあったら邪魔だろ。持っててやるから」
いっぺんに買いすぎなんだよな。食べ終わってから次を買うよう言えばよかった。
袋を受け取ると、ウサミの手元には俺が食ってひとつ欠けたたこ焼きのパックだけが残った。
それをまさに食べようとしていた時、ドンッとあがる花火。
夜空に一斉に咲き始めた大輪に、皆顔をあげた。
「お、あがったな、ちょうどいい時間だ。もう少し見やすい場所に移動するか」
「──」
「──ウサミ?」
「僕、帰りたいです」
花火と歓声があがってもその声は、はっきりと耳まで届いた。
きゅっ、と俺の袖をつかみ、いつの間にか手を離れて落ちてしまったたこ焼きあたりに目線を落としている。
目はいつも通りに開いてはいるが。
(なに、なんだ?いきなり?いまのタイミングで?さっきまで機嫌よさそうだったに。
ていうか、そもそも今日は、おまえが自分で来たいって言ったから──)
「……歩けるか?」
瞬いては消える夜の花々に背を向け、人の流れに逆らうよう、明かりから俺たちはどんどん離れていく。
夏の夜でも冷たいその手を引き、人気のない公園まで来たがベンチが見当たらず、近くのブランコに座らせた。
「……大丈夫か?」
「はい」
いつも通りの声だ。
「なんか、その……なにが駄目だった?花火……の光?音か?」
たぶん、あがった直後に何かあったのだろうと尋ねてみる。
「足が」
「え?足?」
「急にびりびりして」
「びり、びり?」
そういえば、蛇は振動に敏感だとか聞いた。
足、花火、それに下駄──スニーカーに比べたらクッション性がない。不快に感じたのかもしれない。
蛇みたいなとこもあるが、蛇そのものでもないからよくわからない。
状況や悪いタイミングが重なってそうなったかもしれない、それもぜんぶ憶測だ。
けど、怪異があんまりにも無表情で珍しくこちらを見ないものだから。
「ウサミ、ほら」
食べ損ねたたこ焼きを口元へ差し出す。
「フツー、なんですよね?」
「俺には、な。でも、おまえにとっちゃそうじゃないかもしれないだろ」
視線がやっとこちらに向く。
「……なあ、“今日”って、おまえにとってはあんまり良くない日だったかもな」
これは優しさじゃない。
怪異が俺の言葉を掬うなら、俺はそれをかわすしかない。
「けどよ、」
俺だって逃げ道くらいほしいよ。
怪異が覗き込む目が、他へ目移りしてくれと思いながらと泳ぐしかない。
「おまえは人間の文化に興味があるし、」
水の中をかき混ぜるその手を、すり抜けるのが無駄な足掻きだとしても、
「おまえが好きなものは別の日にあるかもしれないだろ」
酸素が薄くて、狭い箱の中を、もう少し泳ぐ金魚でいたい。
だから掬わず、食わずにいてくれよ。
怪異は黙って、俺の手元に口を寄せた。