アフタヌーンティーでもどう?と日和くんに誘われて、久方ぶりに門をくぐった巴家のガゼボでクロスを敷いたテーブルにバスケットを広げた。お抱えのシェフが作ってくれたサンドウィッチとスコーン、それからレモンや桃のタルトやマカロン。二人でお茶をするときに私が大好きなチョコレートの小さなパフェが入っているのは日和くんのスマートな気遣いだ。可愛らしくてきらきらしたスイーツたち。小さいながらもデザインも凝っていて見ているだけでも飽きないそれは食べるのが勿体無く感じるほどだ。
「ふられちゃった」
日和くんが紅茶を淹れながら静かにそう呟いた。ふわりとフルーツの甘い香りが漂う。さっぱりとして瑞々しいそれは、初夏の陽気にぴったりだ。
「……頑張ったんだね」
「うん、ジュンくんみたいにいつまでもうじうじ悩んでいるのはぼくには似合わないからね!」
カビが生えちゃいそう、とくすくす笑う姿はとても失恋したばかりには見えないけれど、でも日和くんはそういう人なのだ。痛いとか悲しいとか、そういうマイナスな面はあまり周りには見せてくれない。いつだってこの世界のてっぺんできらきら輝いている姿だけを私たちに提示する、完璧なアイドル。
「日和くんでも失恋してしまうなんて恋って大変なんだね」
「大変かもしれないけれど、とっても素敵なものだね。きゅっと心臓が締め付けられる時も、逆に死んじゃうんじゃないかってくらいドキドキする時も、かっこいい自分でいたいなって努力する毎日もすごく楽しいものだね」
「そうなんだ」
「うん……実らなかったことは残念だけれど、恋をした経験はぼくにたくさんの物を与えてくれたね。美しいものも美しくないものもあったけれど、それもまた大切な思い出だね。いつか、凪砂くんも恋をしたらぼくに教えてね」
「……わかった」
きゅっと目を細めて日和くんが穏やかに笑う。白磁の床に照り返されて柔らかくなった光が日和くんを優しく包み込んでいた。からりとした風が頬を撫ぜるように通り過ぎていく。さわさわと控えめに鳴る新緑のさざめきが耳に心地いい。
なんだか夢の中のようだった。ステージの強烈な光とは違う、まるで紗の中にいるようにぼんやりと光り輝く日和くんと、私たち以外人気のない美しく整えられた庭。遠くローズガーデンから香る高貴な匂い。たまにひらひら飛んでくるアゲハ蝶が童話の世界の王子様のように日和くんを仕立て上げる。物理的にはほんの30センチ向こうにいるだけなのに、彼の存在がひどく遠くに感じた。これが恋を経験した人とそうでない私の隔たりなのだろうか。
「……実らなかった恋は詩になるというけれど、日和くんの恋はどこに行くのかな」
「さあ……でもぼくはアイドルだから、きっと歌になるんだと思うね」
今日は甘い紅茶の気分、と日和くんが砂糖をひと匙、紅い水面に沈めた。くるくる、くるくる。いつもはお行儀が悪いっていうのに、テーブルに肘をついてスプーンでかき混ぜる。
「日和くん」
「なあに」
「歌って、私、日和くんの歌がききたい」
きょとんとした日和くんが、しばらく私の顔を見つめて耐えきれないというようにぷっと噴き出した。それからいつもみたいに大きな声で明るく笑う。そんなに面白いことを言ったつもりはなかったけれど、でもさっきのしんみりとした雰囲気がなくなってほっとした。ほっとした自分に気がついて私はさっきみたいな日和くんが嫌だったんだと分かった。
「きみは本当に……甘えん坊さんだね」
日和くんが笑いすぎて目尻にたまった涙を拭う。それから私のおねだりの通りに可愛らしい歌をプレゼントしてくれた。ナイチンゲールの歌だった。