Ghostどおんと花火の打ち上がる音がした。ぱっと一瞬当たりが昼間のように明るくなる。顔を上げるとESビルの程近くで夜空にきらきらと光の花が咲いては散ってゆくのが見えた。7月初旬の夜は夏がまだ始まったばかりだというのにすでに熱帯夜で、立っているだけでじわりと汗が滲んだ。
「夏祭りですかね。時期的にはやや早いような気もしますが」
汗で頸に張り付く襟足を払いながら俺は閣下に話しかけた。閣下は物珍しそうに空を見上げていて、きらきらとその褐色の瞳を輝かせていた。その輝きには花火の照り返し以外にも理由がありそうで俺はひそかにしまったなと舌打ちをした。これはこの夏みんなで花火大会に行きたいな、なんて面倒なお願いごとをされる予感がする。これまでの経験からいって、これは予感というよりほとんど確信に近い。
「ねえ茨、夏祭りには屋台が出るんだってね」
「……そうですね」
「りんごあめとか、焼きそばとか……最近はケバブなんてものも売っているのだってね。どうして日本のお祭りなのにケバブなんだろう」
「……それは、自分には分かりかねますな」
「それに食べ物だけじゃなくて、金魚すくいとや射的といったゲームもあるんだとか」
「……閣下」
「金魚すくいは難しいんだってね。ポイに水がしみて金魚の重みに耐えられないんだとか。私、一度やってみたいな」
「…………金魚掬いは、店主とのやりとりがありますし、閣下は大変目立たれますので……」
「茨、だめ?」
「……明日にでも立ち寄れそうな祭をピックアップしてお知らせします」
「本当に? ありがとう」
子どものように破顔する閣下をよそに、俺は心の中で惨敗記録に負け1を追加した。それからすぐさま、いやこれも大事な役目、最終兵器が必要な時に必要な威力を発揮するためのメンテナンス、と自分に言い聞かせるようにごちゃごちゃと言い訳を考えた。それに祭りに行きたくて穴の開けられないスケジュールの日に勝手に姿を眩まされるよりこちらで日程をコントロールした方が何倍もましだということを俺はもう知っている。閣下だけならまだしも殿下が悪ノリするとますますタチが悪いのだ。傷はなるべく浅いに越したことはない。俺は早速目ぼしい日がないかタブレットのスケジュールアプリを開いた。
「……そういえば、夏祭りの起源は厄除けや鎮魂だそうだね」
「そんな話もありましたな」
「夏は災害も多いし、昔は疫病が流行するなんてこともあったようだね。夏越しの大祓えとか盂蘭盆会とか、思えば夏は死の季節なのかもしれない」
夏はEveの稼ぎ時だし、フェスやそれこそ規模の大きな祭りなどの催しでライブを行うこともある。なかなかに日程が厳しい。移動も含めるとやはり少し先になってしまいそうだ。
──なんてことを思っている傍でなんだか不穏な言葉が聞こえて思わずタブレットから顔を上げる。
「……あなたが私をアイドルにしたのに」
ひゅう、どおん。
打ち上がる献花の狭間でぽつりと閣下が独りごちたのが聞こえた。ともすれば閃光弾のような花火の輝きに、雷鳴のような轟音に、かき消されてしまうほどの小さな囁きだった。もしかしたら俺でなければ聞き逃したかもしれない、その程度のなんてことのない閣下の戯言。
それは確かに俺の耳に届き鼓膜を震わせ脳に染み渡ったけれど、花火に紛れて聞こえなかったふりをした。決して聞いてはいけない言葉だとは思わなかったが、聞きたくない言葉だったとは強く感じた。息を呑んだり、舌打ちをしたりしなかった自分を褒めてやりたいくらいだった。そんなリアクションをすれば、その言葉の持つ意味を流すことができなかっただろう。
「……8月になってしまいそうですが、なんとか予定を空けられそうですよ」
「本当?」
「ええ、Eveのお二人の予定も調整できますから、全員で出かけましょう。あ、ですが自分の指示にはきちんと従ってくださいね、街で身バレして大騒ぎなんてことは困りますから!」
「そうだね、うん、気をつけるよ」
「ええ、ええ、ではあとは万事この茨にお任せください! 必ずや楽しい夏の思い出を閣下に提供いたしましょう!」
「楽しみにしているね」
死んでなおこの人に執着される男のことが憎かった。ただでさえそいつのせいで人生が狂っているというのに、まだ俺の邪魔をするのかと苛立ちが募る。それはこの業界のことも含めてだ。影響力が大きすぎて、古い体制はなかなか改善されない。何年も前に死んだくせに、いつまでこの世に君臨し続けるつもりなのか。それこそ神にでもなったつもりなのだろうか。反吐が出る。
(さっさとくたばれ)
肉体が滅びてなおとどまり続ける幽霊を地獄に帰すためにそこらじゅうに塩を撒き散らしたい気分だった。