飼われてみんか?「南方、ワシに飼われてみんか?」
突然の目の前の相手が発した飼い主になりたいとの宣言にただ南方は黙るしか無かった。
南方恭次はポメガである。
ポメガとはなにか。極限まで疲労が溜まるとポメラニアンになってしまう人類のことだ。人口の一割程度かポメガだと言われるこの世界。その一割に属するのが南方である。
ポメガだからと言って差別されるような世の中ではないのだが、南方は周りにポメガだとは悟られない様に生きてきた。南方の生きる世界は自身があのような可愛らしい生き物になってしまうのを知られればナメられるようなとこだったためだ。それに、ポメラニアンから人に戻るには周りの人にチヤホヤ可愛がられないと戻らないというのも頂けない。ポメラニアンの姿とはいえ中身はガタイのいい男性だ。変化する際に服が全て脱げてしまうという都合上、戻った際も全裸になってしまうため性犯罪者にならないようパートナーもしくは同性に可愛がられるしかなく、現在パートナーも居ない南方としては何が悲しくて男に可愛がられなくてはいけないのかという気分になる。そのためなるだけ疲労を溜めないように徹底して管理し、ポメラニアンに変化してしまいそうな際は自宅に籠り動画サイトに上がっているポメガ用のチヤホヤされる動画を延々と再生してこれまで過ごしてきたのだ。
とにかく南方はポメガであったがそれを知る数少ない者は地元に全て置いてきた。いや、正確には一人だけポメガであることを知る者がこちらにいる。高架下でのタイマンの後、酷い疲労の末ポメラニアンになったところを目撃した相手と予期せぬ場所で再会したのだ。 そして何の因果か同じ組織で働くことになってしまった。
その相手の名前は門倉雄大。高架下での喧嘩の相手であり、現在ポメガのパートナーとして立候補してきている相手でもある。
事の発端は喫煙所で偶然一緒になったとき、警視正と立会人の両立はなかなか疲れると南方が愚痴を吐いたことだった。
「南方はポメガやろ。そんな疲れたら立ち会いとか支障でらんの?」
心配しているという建前での質問。門倉の目の奥にはからかいと好奇心が浮かんでいる。そう言えば奴には昔ポメラニアンの状態も見られていたのだったと思い出し溜息をつきながら答える。
「出らんよう調整しとる。あとわしがポメガなん知っとるやつおらんから言うな」
部屋にはただ二人きり、他人に聞かれなかったことを南方は安堵しつつ釘を刺す。警察の方ならともかく、一癖も二癖もある立会人にポメガだと知られたら非常にめんどくさいことだけは賭郎に所属して浅い南方でも分かる。
「すまんすまん、でも知っとる人おらんと戻るん大変じゃろ」
悪びれもせずに口先だけ謝ってくる門倉の言うことは尤もで、ある程度調整しているとはいえ毎度困っていることには変わりない。
「じゃけん南方、ワシに飼われてみんか?」
そうして言われたのが冒頭の台詞。門倉の言葉に利用できるものは利用すればいいという合理的な考えと、門倉相手とて飼われるのはごめんだというプライドと、男にチヤホヤされてもなというやるせなさの間で揺れ動く。色々考えた挙句、合理的な方へとやや天秤が傾いた南方は言葉を絞り出した。
「……一回試させてくれ」
そうしてやってきた週末、南方はもう限界が近かった。翌日は休みというのもあり通常であれば帰宅後いつポメラニアンになってもいいように早急に準備を行い家に籠るとこだが今日は違う。門倉と試しに過ごすことになっているのだ。門倉の家は小型犬に適した環境ではないとのことで場所こそいつも通り南方の自宅となるのだが、門倉がくるというただ一点の違いが南方をどことなく落ち着かない気分にさせる。
先日交換したプライベートの方の連絡先に待ち合わせ等どうするかメッセージを入れれば、特に立ち会いもないとのことで南方の帰りに合わせ共に自宅へと向かうのはどうだと返ってくる。自身も特に立ち会いも事件もなく今日はもう帰れそうだからそれで構わないと返し、待ち合わせ場所となる自宅最寄りの駅の名前を送る。わかったと短い返信を見れば携帯を閉じ、残っていた作業をさっさと片付けて帰路へと着いた。
電車に乗れば自宅最寄り駅への到着時間を門倉へ送り、直ぐに了解と返事来たのを確認する。南方は普段車で通勤しているのだが、疲れが溜まっている時は万一運転中にポメラニアンになって事故を起こしてはいけないと電車で通うようにしているのだ。世間は警察の不祥事には少々うるさい。
なんてことを考えながら窓の外を流れる景色をぼんやりと眺め、一度乗り換えを挟みつつも無事に人のままで最寄り駅へと辿りつけば改札の外に門倉が待っていた。
「すまん、待たせたか」
「いや、少し前に着いたとこじゃ」
まるで恋人同士の待ち合わせでのやり取りのようだと思わず顔を見合せて笑ってしまう。そんな砕けた雰囲気に先程までの落ち着かない様子だった南方の気分もやや和らぐ。
「家はこっちやけぇ着いて来い」
「おん」
「飯は食うたか?」
「まだや」
「出前でええ?」
「かまん」
他愛のない会話をしながら駅から近い南方の自宅へと向かう。着いた先は一般的なマンションで、どちらかと言うとファミリー向けのような場所だ。オートロックのエントランスを抜ければエレベーターに乗り部屋のある階へ。フロアにいくつかある扉の一つの鍵を開ければ門倉を中へと迎え入れた。ジャケットを脱いでウォークインクローゼットに門倉の分共々かければリビングへ案内する。
「出前のチラシ持ってくるから適当に座っとき」
「……案外片付いとるもんやな」
余計なものがなくスッキリとした部屋。テレビの前にある大きめなソファに座って見渡しながら言われた門倉の感想に南方が笑う。
「案外ってなんや」
「男の一人暮らして散らからんか?」
「散らかっとったら犬に変わった時危ないじゃろうか」
南方の答えにそれもそうかと頷く門倉に好きなの選べといくつか取っておいた出前のチラシを手渡した。チラシにはいくつかポメラニアンも食べられますの文字が踊っている。一応門倉も気を使ってくれたようでポメガ対応メニューからいくつか選んだようだ。南方は出前のチラシの番号に電話を掛けると門倉の選んだメニューを淡々と頼んでいった。注文先が言うには40分程で持ってきてもらえるらしい。
出前の注文を終えると特に話すこともなくなり何となく気まずさが二人の間に走る。話すことも無いまま適当にテレビを付ければ、ある程度制御しているとはいえ疲労が蓄積された南方は限界を迎えた。
パサリ、と音がして先程まで隣にいた男の姿が消える。ソファに落ちた白いシャツがもぞもぞと動いている。門倉がそっとシャツを捲ればつぶらな瞳と目が合った。
「南方……か?」
「……わふ」
そこにいたのは一般的に思い浮かべるポメラニアンにしては大きめの黒い犬。しかしそのふわふわな毛と黒いつぶらな瞳はまごうことなくポメラニアンだ。こちらの言葉が分かるようで鳴いて頷く様がまた可愛らしい。
「撫でてええ?」
一応尋ねると返事をする前に撫でられることを想像してしまったのか耳がぺたりと倒れている。その様がまた何とも愛らしくそっと頭に手を置き動かすと、ぱたぱたと動く尻尾が満足だと伝えてきた。暫くそのまま撫で続ければべたりと伏せて横になりここも撫でろとばかりに腹を見せてくる。あまりに野生の欠片もない姿に思わず門倉の口元が弛む。
「おどれほんまに南方か。こがいに可愛らしゅうなりおって」
そのまま腹を撫で回しながら話しかければ一瞬正気に返ったのかぱっと起き上がりキャンキャンと抗議してくる。可愛らしいとの言葉がどうやら気に入らなかったようだ。しかしその抗議してくる姿さえ可愛らしいのだから仕方ない。
「そがいに吠えても可愛らしいんは変わらんから諦め」
不満そうに唸ってはいるものの否定はできないと大人しくなる。尻をぺたりと門倉の足にくっつけるように背を向けて座り直した南方の背中を撫でてやれば緩くしっぽが揺れる。座り方からみるとどうも信頼はしてくれてるらしい。
「南方」
「くぅん……?」
「飯食うまでに戻れよ。一人で酒飲むんはつまらんけぇ」
名前を呼ばれて振り向いた南方は門倉の言葉をきけばそれはお前次第だと言わんばかりにそっぽを向き丸くなる。だけどもしっぽはポメラニアンの南方だけでなく人である南方まで求められたことに嬉しげに振られている。門倉はそんな素直じゃない南方をひたすら甘やかすことを決めれば、そっと抱えあげ胡座をかいた足の上へと乗せた。乗せられた南方は最初こそ戸惑っていたようだが、全身をわしゃわしゃと撫で回される心地良さにすぐに大人しくなる。そうして門倉が撫で始めて30分も経つ頃にはひたすら甘やかされ満足した南方が人の姿に戻ったのだった。
人の姿に戻った南方は正直に言って目に毒だった。衣服を身に纏ってないのは変化のときに脱げるため仕方ないとしても、撫でに撫でられた気持ちよさにとろりと溶けた目と目が合ったときはこれは他人に見せてはいけないと思ってしまった。
直ぐに我に返った南方が膝から飛び降りて服を着たのだが、暫くは互いに目を合わせるのも何となく気まずく出前が来なければどうしていいか分からないまま解散となっていただろう。犬は好きだしこの男を飼ってみるのも面白いだろうと軽い気持ちで提案した出来事でこうなるとは予想はしていなかった。
財布を渡され届いた料理を南方に代わり取りに行けば、その間に酒を冷蔵庫から出しておいてくれたらしくダイニングテーブルには缶ビールが並んでいる。
「……なんというか、お疲れ」
「ああ、お疲れ」
適当な言葉が見つからないまま開けた缶で乾杯すれば、空腹の胃に一気に流し込む。南方の方も酔いに任せようと思っていたようで350mlの缶をすぐに空にしていた。二本目の缶を開け料理に手をつけながら南方へと問う。
「あー、その……どうじゃった?」
「どうって……まぁ悪うはなかった」
まるで初夜のようなやり取り。ただし、いい歳した男二人のやり取りである。
「でも……いつもより戻るんに時間かからんかったから、また頼むんもええかなて、思うとる」
撫でられる心地良さを思い出して恥ずかしくなってきたのか徐々に小さくなる声で告げられた言葉はこちらも予想してなかったものだった。
「おお、ほうか。なら、飼われてみるか……?」
「……頼む」
断られるであろうと思ってた質問を再度なげかけてみれば返ってきたまさかの承諾。流石の門倉も驚きを隠せない。
「そっちから言うてきて何驚いとん」
「断られる思うとったわ」
「……別に断る理由ないけぇの」
目を逸らしながら言う南方の耳が赤く染っている。そのまま続けられた言葉に門倉は口元を緩めるしかなかった。
「まぁでもわし以外飼うなよ」
「飼えるか」
そうして門倉に飼われてやることにした南方が飼われる前よりも少し無茶をするようになり頻繁に甘やかされるようになるのは時間の問題となる。