黒曜石の夢魔族との出会いは最悪だった。
ダイたちに武器を創って携えてきた魔族の男をひとめ見て、心の中に沸き上がる黒い憎悪を隠すのに必死になった。
故郷は魔王軍の超竜軍団に滅ぼされた。遠征していたオーザムから文字通り飛ぶように帰還したこの目に映ったものは…。あの無惨な光景を、一生忘れる事はできないだろう。
超竜軍団を率いていたのはダイの父親だと知って、どうしたらいいのか分からなくなった。その人もダイを守るために命を落とした。灰すら残さずバーンによって焼き尽くされたという。それでもダイは苦しみと哀しみのさなか前に進んだ。
思考が止まった。
思考が止まると、思い出されるのは故郷の凄惨なあの光景だ。何度も、何度も、それは頭の中で繰り返し再生された。
あの時ああしていれば、こうしていれば。一瞬でも戦いから離れると、脳裏をよぎるのは過去を巻き戻そうとする、もどかしい痛みばかりだった。
臍を噛むような思いだった。切り裂かれた心にはナイフが刺さっていた。切れ味の悪い、ギザギザで、錆びていて、曲がっていて、欠けていて、どうしようもないナイフばかりが、癒すことを拒むように何本も心に突き刺さって傷を広げていった。
悔しくて哀しくて、いてもたってもいられなくなって、魔王軍の誰が相手でもいいから思う存分復讐がしたかった。誰かの首を討ち取って、仇はとったぞと、声高らかに叫びたかった。それしか自分の価値はないとさえ感じていた。そして、その闇に囚われるとき、勇者としての矜持は微塵もなかった。
そんな時、目の前に魔族が現れた。大魔王の眷属だ。その姿は否が応でも故郷に繋がる傷をかきむしる。慣れ親しんで語りかけるダイが信じられなかった。
魔族なんて絶対に信用してはならない。いつかきっと人間を裏切る時が来る。人間が一番困る時に手酷く裏切るに決まっている。武器を置いたらさっさと目の前から消えてほしかった。
皆が神経をすり減らしながら軍事会議に参加している中、あの魔族が飄々と話を割って入ってきた。人間の力を、自分の力を貶められたような気がして逆上した。こちらが本気で怒っているのに全く動じない。その冷静な佇まいに更に腹が立った。癪に障った。とにかく存在自体が気に食わなかった。
結局フローラ様はあいつの申し出を受けて、魔族などを用心棒として雇ってしまわれた。
ロロイの谷の岩陰に待機している間、自分の運命を半ば呆れて俯瞰していた。
魔王軍に故郷を滅ぼされ、必死にここまで戦ってきたのにも拘わらず、こんなに大事な局面で魔族なんかと一緒に戦う。心に刺さったナイフが重みを増して毒を含んでいくような気がした。
予測に反し、仇敵たちを前にしてあの魔族は人間の使命を肯定してみせた。その驚くべき言葉を聴いてふと思う。この身の使命は一体何だったのか。それは決して敵を蹴散らして悦に入るようなものではなかったはずだ。そして気づいた。
そう、好機が来たのだ。この身の使命が何なのか理解したとき、この命を燃やし尽くす時がやっと来たと思った。
心臓を刺してしまった、と思った。
この命そのものでロン・ベルクさんを刺してしまった。鍛え抜かれてみっしりとした肉体に、生命の剣が食い込んでいる。
この命でロン・ベルクさんの血と肉をありありと感じた。そして同時に彼の深い懊悩や、地上のありとあらゆる生命に対する哀しいまでの憧憬を感じた。
それを識って血の気が引いた。
このいのちがこの人を殺すのか?
ダイに剣を創ってくれたひとを?
大魔王に反旗を翻すチャンスをくれたひとを?
魔族なのに、たったひとりで人間に味方したひとを?
ムダ死にするなと、こんなにも諫めてくれたひとを?
このひとのいのちを、人生を、未来を、自分が終わりにするのか。
あの哀しい故郷のように。
そんなこと…!
気がふれそうになった。そのくらい、度を失っていた。深く染み入るような声ではじめて名前を呼ばれて、我にかえった。
大切なものを扱うようにそっと名前を呼ばれて、はじめてしっかりと彼の顔を見た。自分の頭上にある黒曜石のような煌めき。慈愛とも呼べるような深く穏やかな瞳で、こちらの眼をのぞきこんでいた。
どうして、このひとはこんなにも優しい顔をするのだろう。どうして、そんな優しい眼で見るのだろう。どうして、どうして…。
そうしてロン・ベルクさんは人間の為に命を懸けて闘ってくれた。大切な両の腕を犠牲にして。最初から最後まで、ずっと人間の傍にいてくれた。
何を考えるいとまもなく、この身は勝手に動いて倒れ伏したロン・ベルクさんを抱きかかえていた。もう人間だとか魔族だとか、復讐だとか、命を捨てるだとか、そんな事を考えているちっぽけな自分なんて何処かへ行ってしまえばいいと思った。このひとが無事なら何がどうだってかまわないと思った。
人間に対してこんなにも純粋に情けをかけてくれたロン・ベルクさんを見て、敵にやられた悔し涙でもない、故郷を想い出す哀しみの涙でもない、もっと別の温かい何かが瞳から溢れた。それを見たロン・ベルクさんは少し吃驚したようだった。
そして、気づいたら彼の暖かくて大きな手を握っていた。その瞬間、心に刺さっていたナイフがスッと抜けていくような感覚に包まれた。あんなにも灼けていながら凍っていて、熱いのに冷たくて、重くて痛くて疼いて身の置きどころもなくて、何度抜こうとしても敵わなかったのに。
抜けた痕にはロン・ベルクさんの青い血や、今しがた流した温かい涙が染み込んでいくような気がした。癒されることを、赦されることを拒み続けた心が、彼の魂に憧れて柔らかくほぐれるのを感じた。
魔族との出会いは最悪だった。
でも、心をひらいてしっかり観たら、ロン・ベルクさんというこの世でたったひとりのひとが、すぐ傍でボクの事を見つめていてくれた。
だからボクもまっすぐロン・ベルクさんの瞳を観る。お互い明日どころか一寸先の行方も分からない身だけれど。
それでも明日を夢みるような気持ちで彼を観る 。
それがボクたちの出逢いだ。
―おわり―