「兄貴…最近変だよ」
「なにが?」
パフェを一口頬張ろうとして、スプーンの上に乗せたサクランボが落ちる。それをまた掬って口に含むと、良守がため息をついて肩を落とした。
「なんで俺たち、二人で一つのパフェ食べてるわけ?」
「なんだ。サクランボほしかったなら先に言えよ」
「ハァ?!言う間もなく初手でガッついた奴に言われたく…ってそうじゃなくて!」
がつん。テーブルを叩く良守。
なにを苛立っているのか、分からなくもないが理解りたくない正守はシラを切り続ける。
「デートっぽくていいだろ」
と、呟けば良守は全身を赤く染める。
勿論これは照れているのではなく、怒りの感情だと正守は正しく認識していた。
「いつも思うけどそのデートってなに」
「交遊」
「それってつまり…」
「良守を愛しているから、同じ喜びを分かち合いたいってこと」
「っ!だから、そういう気色悪いのよせって…冗談きついぜマジで」
「冗談のつもり、ないから」
良守にはそんな気がないと分かっている。
それでも正守は何度もめげずに焚きつけた。何度も何度も繰り返し、いつか激しく燃え盛るように。そして残った灰を、後生大事に抱えて生きていくのだ。未練たらしくも美しい思い出として、ずっと。
「…なら尚更タチ悪い」
「あっそ。そんなことより、さっきから右の頬に生クリームついてるぞ。舐めとってやろうか」
「なッ!やめろ、早く言え!」
「ウソ」
「〜そういうとこが嫌なんだ!」
ふんっ、と良守はへそを曲げてスプーンを机に叩きつける。それをみて、乱暴なやつだと正守は呆れたふりをした。
「お行儀が悪いね」
「うっせー!やってらっか!」
「兄のワガママには付き合ってやれないってか?」
「違う、兄貴の気色悪いノリに付き合ってらんねーの」
「それって同じ意味じゃない?」
「全然ちげー」
「はいはい、そうですか」
良守は時として残酷な男だ。
自分に都合が悪い正守には、優しい顔をしない。身内に甘いくせに、その芯にあるものは正守とってとてつもなくエグい塊で、苦しい。
「兄貴は昔からなんも変わんねえよな。俺にばっかり意地悪だ」
「そうかな」
「そうだ!」
「あっそう」
なんて言い草だろう。良守が食べたそうにしてたから、こんな馬鹿でかいパフェ頼んだってのに。こんなの一人で食べきれないに決まってる。残りを処理させられるのも、良守が無理して全て食べきり腹を壊されるのも正守の本望じゃあない。
「でも最近の兄貴は…俺にどうして欲しいのか分かんねえ」
「?なんで」
「なんでって、俺と仲良くなろうとしてくれてんのは…何となくわかるけど」
「けど?」
「だけど、こうやってデッ…デートしよって連れ出されるのは困る」
「でも毎回来てくれるよな?それって良守も俺と仲良くなりたいってことじゃないのか?」
「そ、それは…うぅ」
正守は、良守の困ってる顔が好きだ。だからわざと物分りが悪いふりをして良守の心を揺さぶる。目には見えないわかりにくい悪意、良守が指摘すべき正守の意地の悪さはそこだ。
でもそれに気づく良守ではない。無垢な子供は、素直な質問には答えるべきだと考えてしまう。だからこうやって、悪い大人にすぐ騙される。
「俺、良守のこともっとよく知りたいんだ」
カランとアイスコーヒーの氷が音を立てて、良守がハッとした顔をした。
こうしてデートだなんだと茶化すのは、正守の不器用な優しさ。理由をつけて良守を外へ連れ出し、兄弟の溝を埋めようとしてくれていた…今やっとそれに気づいた、といった顔をしている。
(馬鹿だなぁ)
「そんな顔されたら、期待するぞ」
目を伏せて笑うと良守の素っ頓狂な「はぁ?!」をお見舞いされる。面白いなあ…
「もしかして照れてる?」
「なっななな!適当なことばっか言うな!そうやって訳分かんねーこと言って、俺のこと馬鹿にしてんだろ…!この際はっきり言えよバカ!」
確かに正守は本音を嘘で隠すタイプだ。
そして、嘘を装って本音を話す。疑うべきは確信をついたような言葉。信じるべきは、嘘くさい言動の中にある。
だから分かりにくいのだろう。良守が嫌う、良守にとって都合が悪い正守がそのどちらなのか。面倒なことに、それを判断するのは良守自身に委ねられている。答えなど曖昧でハッキリしないくせに。
「俺の本音が知りたいか」
尋ねるとジト目で頷かれる。
笑ってしまわないようにグッと堪えて、顎を摩り考える仕草をした。
「…正直に打ち明けると、俺も良守にどう接していいのか分からないんだ」
「へ?」
「歳も離れてるし、こうやって茶化さなきゃ場も悪くなるだろ?俺なりに努力したつもりだったけど、あんまり邪険にされるなら…距離を置くのも悪くないとは思ってる」
「えっ」
明らかにトゲがある言葉を放つ正守。どうやら、その言葉の矢は良守に真っ直ぐに突き刺さった。
「そ、っか…」
良守は、戸惑いつつも納得したようだ。
良守にとって、正守には少し疎ましく思われているくらいが丁度いいらしい。というのは、長年の経験から正守は察している。
大事なのは正守の本心ではなく、飴と鞭の匙加減。それから、良守の心を揺さぶる悪意。
仕掛けた罠を俯瞰して見つめる。天秤はどちらに傾くのだろう。
「悪い。キツい言い方だったか?」
その言葉に、良守は首を振る。
だが表情は険しく複雑そうなものだった。
「ううん。ちゃんと言ってくれたから俺、気づいた。結局…兄貴に甘えてたのかもしれねえ。おちゃらけた態度だから、からかわれてるんじゃないかって勘違いしてた」
「ふーん?」
「謝るのは俺の方だ。せっかく兄貴のほうから歩み寄ってくれてたのに…よく考えたら俺、文句ばっか言ってた。兄貴のこと知ろうともせず、ずっと受け身だったんだ」
「いや。そう暗くなられても困るんだけど」
「そ、そうだよな…」
「違う。わかってる。悪い、また茶化した。これは俺の悪い癖だな」
軽く笑ってみせると、良守は眉をしかめた。
自虐的に見えたんだろうか。それとも…
「大丈夫。良守の話はちゃんと聞くから」
「兄貴…」
「今じゃなきゃ話せないこともあるんだろ?」
そうやって物分りのいい兄を演じれば良守は喜ぶ。
可愛くて憎たらしいことこの上ない。でも、そんな小さい笑顔が好きだった。
「その、俺も…兄貴と仲良くしたくないわけじゃない、っつうか。本当に小さかった頃みたく、いいや。兄貴に嫌われてない自分でいられる自信がなかったから、傷つきたくなくて突き放したのかも…訳わかんねえよな」
知っている。そんな良守の気持ちなんて正守は手に取るように把握している。
良守は、間違いなく正守を慕っているのだ。ただし羨望や嫉妬、自己を肯定するための複雑な感情に雁字搦めにされて、素直に正守と接することが出来ないだけ。たったそれだけだ。笑わせる。
正守から言わせれば吹けば飛ぶような感情に、良守は支配されていた。正守は、それがつまらない。
良守は綺麗だ。
家族を尊んで愛し他人の幸せを願える心、そして今ストローを弄る指先でさえ正守には美しく思えた。
何千という妖の血に塗れて生きているとは思えない、穢れない姿は眩しくて羨ましい。
「兄貴?ちょっと、きいてんのか」
「え、あぁ…」
「そんな真顔でジッと見られたら、流石にヤなんだけど…らしくねえこと言ってんのは俺もわかってるし」
「いや?良守らしいと思う。伝えてくれてありがとう」
「〜ッそういう世辞はいいから!もう…俺ばっか恥ずかしいだろ。この際、兄貴も俺に対してもっと言いたいことあったら言えよ。さっきみたいにハッキリ言ってくれなきゃ俺、馬鹿だからわかんねえよ」
「ハッキリ、ねぇ…」
伝えたくても上手に伝える方法がなかった。
もっと自分と同じように、ドロドロとした愛欲に溺れろ。狂わしいほどグロデスクな感情を抱け、なんてどう言葉にしたって良守には伝わらない。
例えば会う度に囁いている「愛している」が本気で、そしてそれが肉欲を孕むものだとしても、良守には受け止めきれないだろう。冒頭のように、困惑してタチ悪い冗談であってくれと願うはずだ。
「遠慮しないで言っていいからな」
「本当に?」
「おう!なんでもいいぞ。あっ、でも説教以外!」
「そうだなぁ…」
良守の全てを暴き自分の物にしたい。
正守は昔から凶暴な支配欲に取り憑かれている。そんな内に秘めた身勝手な思いを打ち明けたところで、良守は喜ばないに決まっている。
そう。今はまだ、そのときではない。
「じゃあ…良守には並々ならぬ感情を抱いている、とだけ言っておこうか」
「なんだ、それ?そこまで露骨に嫌われてるとは…あんまり思いたくねえな」
困ったように笑うから、ほんの少しだけ罪悪感に苛まれる。
すぐに違うと否定出来たらよかった。
嫌いになんて、なるわけがないのに。
「良守はネガティブだな。昔はもっと馬鹿みたいにハツラツでポジティブだったろ?」
「そうかぁ?」
「あぁでも、馬鹿なのは今も変わんないか」
「うっせえ…兄貴だって昔はもっと素直だった癖に。人間、何年も生きてりゃ変わるんだからお互いサマってやつだろ?」
それもそうか。ポジティブで馬鹿な良守のことは素直に嫌っていたかもしれない。前言撤回、正守は今の良守が好きだ。
好かれていると信じて疑わないよりも、嫌われていると思い込んで愛に飢えている顔を見る方がずっと興奮する。
だから、良守を愛すのは難しいのだ。
お互い確かに愛している。だけど、生ぬるい関係性では均衡が崩れていく。
正守は、実の兄に愛されたいと願う正常な良守が好きだ。それと同時に可哀想な良守も好きだ。
良守が求める愛とは違う形でしか愛してやれない。けれどそれにやるせなさを感じたことはなく、むしろこの手に抱いた瞬間、悲痛に歪んだ良守を見るのが楽しみで仕方なかった。家族として愛されたかった良守が、性対象として愛される。挙句そんな愛の末に良守がピュッと果ててしまえば、きっと犬のように腰を振って歓喜することだろう。
形が違っても無理やり嵌め込めばそれも愛。良守は結果として正守から愛を甘受できた。代償として裸に剥かれて男の矜恃を力ずくで奪われる。獣に全身をボロボロにされた良守は、泣き喚いて苦しむのだろうか?事後はシーツに包まって怯えるのだろうか?それとも天井のシミを見つめて、呆然と動かなくなるのか。
そんな哀れな良守を思うと愉快で堪らない正守は、確実に性根が歪んでしまっていた。
でもそれでいい。今は種類の違う愛だとしても正守にとってそれは些細な差で、愛に飢えている良守であれば交われば簡単に境界線は溶けて消える。
どうせ良守も、狂っているのだ。
その証拠に、正守からの誘いを良守は一度も断ったことがなかった。セックスを匂わせる誘いをかけても、のこのこ待ち合わせ場所に来る。
勿論今まで正守が手を出したことは無いとしても、あまりにも奇妙だ。
冒頭であからさまに困惑する様子から、正守の毒牙に気づいているはずなのに。
「んー」
チューチュー呑気にメロンソーダで喉の乾きを潤す姿は、どこまでも子供らしかった。
けれど、もしかすると正守が思うほど良守は愚かな子供ではないのかもしれない。
馬鹿な子ほど可愛い。もし、それを良守が理解していたとしたら…
「んあ!なんだよ、俺のソーダ奪うな!」
「俺にも一口ちょうだい」
「あっ!バカ、自分のコーヒー飲めよ…!」
赤くなる良守の様子に、吹き出しそうになって堪える。
あぁなんだ、そういうこと?正守は興奮を隠すため、少しだけ俯いて腕を組んだ。
この手に堕ちてくる日は、そう遠くないのかもしれない。
「良守、今度の休み温泉でも行こうか」
「は?急にどうした、まさか死ぬのか…」
「死ぬもんか。良守を天国につれていってやる」
「はぁ!??絶っ対やだ、兄貴に殺されたくねえし行かない!」
「はは、残念。俺、良守が嫌がることは何でもしたくなるタチなんだ。知ってるだろ?」
「鬼か、悪魔か!」
「どうとでも言え。これはもう決定事項だから、連絡したら絶対に来い」
「こっちの都合まるで無視かよ…」
「イッヒッヒ」
「魔女みたいに笑うなーー!」
「別にいいじゃないか、明日から休みなんだろ?」
「明日から行くの?!」
コミカルな良守の百面相に、正守は思わず腹から笑ってしまった。
どうせなら、灰にならない思い出を作りたい。
温泉、たのしみだね