Like a sweet chocolate 彼女を追いかけて、この世界にやってきて。
気に入っているものがいくつかある。
特に、食べ物で言うならチョコレートはかなりお気に入りの部類だ。
見た目は同じ焦げ茶色の固まりなのに、それぞれに香りや風味が違う。その差は凄く僅かで繊細なのだけれど、それを愉しむという趣向が悪くない。
もちろん、綺麗に象られた見た目を楽しむというのも僕のお気に入りたる重要な要素だ。
どこかの誰かが、チョコレートの箱には夢が詰まっているとか何とか言ったらしいけれど、それは間違ってないんだろう。
大なり小なり、この食べ物には夢が詰まっている。
さて、今日はこの世界ではとある行事が恒例であるという。
曰く、女性が意中の男性にチョコレートを渡して愛を告白するという日らしい。なんとも不思議な話だけれど、それを理由に、愛するゆきが僕の部屋でせっせとお菓子作りに取り組んでいる様を見られるのは悪くない。むしろ大歓迎である。
どちらかというと、問題点は『意中の男性に』というところで、それはチョコレートを差出す女性に選択権があるのであって、受け取る側には事前の対策をとることが出来ないことにある。
仕事がらみで幾つかチョコレートを頂戴した。さすがに目の前で断るという野暮は信条じゃないから、とりあえず受け取ってみんな置いて来てしまった。
これらは、今後一ヶ月ばかりの仕事中の息抜きとして社員や来客に供されることになるに違いない。
もう一点。これは、問題というか文化の違いというか区分けは難しいのだけれども。ゆき曰く、女性が男性に一方的に贈り物をするのは日本だけだというのだ。愛するもの同士、男性から女性へ贈り物をしても良いというのは、僕にとっては願ったり叶ったりだけれども、普段から僕の贈り物攻勢に辟易しているらしい彼女は、『今日だけは、私からリンドウさんへプレゼントするんですからね』と釘を刺して来たので、あからさまに何かを用意することは憚られる。そんなわけで、気に入ってたまに来店するチョコレート店で可愛らしい詰め合わせを購入した。これを一緒に食べようというのなら、そんなにも彼女も怒らないだろう。
「リンドウさん、出来ました!」
キッチンの方から、ゆきの明るい声が聞こえる。
「よし、それじゃあ早くこっちへ来て」
いそいそとソファから立ち上がって、ダイニングテーブルへ移動する。彼女曰く、これから供されるチョコレートはタイミングが肝心なのだ。
「はい、どうぞ」
エプロンを外すのもとりあえず、ゆきが皿を置く。
皿の上には、雪を被った山のような形の焦げ茶の固まりと、それを囲む様に葡萄色のソースが回してある。
「リンドウさん、早く早く!」
「はいはい、そんなに急かさない」
僕の肩越しに皿を見つめるゆきを感じながら、僕はナイフとフォークを手にその固まりに切っ先を向けた。
ナイフが入り、固まりは中央から切り分けられて、開いた先から湯気を立てながら溶けたチョコレートが流れ出てくる。
「やった、大成功!」
背後で飛び上がらんばかりに。ゆきは小さく叫ぶと首に腕を回して抱きついて来た。
「っ、ゆき。首が締まる…」
「きゃ、ごめんなさい!」
でも嬉しくって、と幾分か腕を緩めて覗き込んで来た彼女は、いつになくはしゃいでいて可愛らしい。
「もう、何度も練習したんです。成功したから嬉しくって。ほら、早く食べてみてください」
「うん」
応えて、フォークを口に運ぶ。チョコレートと酸味のあるソースが絡んで味は上々。温められているせいか、鼻に抜けるチョコレートの香りがいつも以上に濃厚で思わず目を瞑る。
「はぁ、美味しい」
「やった!」
僕の言葉を確認すると、ようやくゆきはエプロンを外して向かい側に腰を下ろした。
「ふふ、一生懸命作って良かった」
「僕も、こんなに美味しいものを作ってもらえるなら毎日でも大歓迎だね」
「バレンタインデーは、一年に一回だからいいんですよ」
「それじゃ…、僕も君に愛の告白」
そう告げて、テーブルの真ん中に置かれた箱を開ける。
「わぁ!」
見た瞬間、ゆきの瞳が大きく開かれて口の端が上がる。
「これみんなチョコレートですか。凄いです」
「ゆき、こういうの好きでしょう」
「はい!」
きらきらとした瞳で箱の中を見つめる彼女の微笑ましさに、つい余計なことをしたくなってしまった。
「じゃあ、どれから食べる?」
「えっと、右から三番目…」
「はい」
箱からチョコレートをつまんで彼女の口元へ運ぶ。
「どうぞ、召し上がれ」
一瞬、戸惑う様にゆきの肩が上がった。でも、その次にはチョコレートの誘惑に負けたのか、諦めたのか。チョコレートをつまむ僕の指に唇を寄せた。
指先からチョコレートが食まれると同時に、彼女の唇の感触や、少しばかりだけれど舌先が触れる感じがした。
***
いつのまに。
どうしてこんなことになっているのだろう?
「次は、下から二つ目のがいいな」
「はい、どうぞ」
言われるままに、チョコレートをつまんでリンドウの口元に運ぶ。
彼がそれを口にするとき、少しだけ唇が指にかすって何だか頬が熱い。
「あ…」
声を上げたリンドウにつられて指先を見ると、何度かこんなことを繰り返しているせいか、溶けたチョコレートが指先についていた。
慌てて、手を拭こうと引いた手を引っ張られる。
「きゃぁっ!」
「ちょっと待って。チョコレートが残ってる」
言って、彼が指先を舐めた。
「……っ」
思わず、肩が震える。
一向に構う様子なく、リンドウは指先のチョコレートを丁寧に舐めとっていた。見なければいいのに、ついその様子を目で追ってしまう。指先から伝わる熱とチョコレートの香りと、彼から漂う甘い雰囲気に心臓は早鐘のような音を立てて、頬はこみ上げた熱で赤く、頭は沸騰寸前になる。
「ごちそうさま」
やがて、離れて行った唇に、ほっとするのと同時に一抹の寂しさのようなものを感じる。指先を追って行くと、それはそのままリンドウの唇の前にたどり着いた。さっきまで、私の指に触れていた。
あの唇が。
少し、チョコレートが残っていたのか、リンドウが小さく舌を出してぺろりと唇を舐めた。
何でか分からないけれども、胸がいっぱいになってつい喉を鳴らしてしまった。
その様子に気付いたのだろう。
「…勘弁してよ。そんな目で見られたら」
僕の方が、耐えられない。
次の瞬間、視界は暗転して。私は彼の腕の中。
【終】