分かち合うということ。「やれよ、ベケット。薬、欲しいんだろ?」
背中から数人のせせら笑う声が聞こえる。自分の一挙一動を監視されてると思うと全身からじとりと汗が滲んだ。目の前には血まみれになってぴくりとも動かない父親と、がたがたと震える母と子と傍にMs.ナニーが佇んでいる。母は譫言のように「ごめんなさいごめんなさい誰にも言いません助けてください」と子を抱え込みながらか細い声で懇願し、子はその様子をぼんやりと眺めていた。殺さねばならない。出来るだけ惨たらしく。それがボスの命令だからだ。出来なければ自分が殺されて誰かがその役目を変わることになるし、拒否をすれば薬を増やされて理性を飛ばされてこの親子を殺すことになる。親子の運命は変わらない。ならば、まだ少しの理性が残っている内に殺しておこう、とナイフを握り直す。そうしたら、
オレはこの親子の顔を忘れないだろう。
突然の振動に驚いて目を覚ました。目の前には今のボス─恋人の寝顔があり、何事もないようにすうすうと寝息をたたている。襲撃かと思ったが、天井にある裸電球を見てもこれっぽっちも揺れた形跡はなかった。恋人が起きないようにそっと体を起こしてベッドの端に腰掛ける。大きく息を吐くと、思い出したかのように心臓がけたたましく揺れ出した。振動と思ったのは自分が飛び起きた衝撃だったのだと理解する。顔を歪ませながら胸に手を当てて呼吸を整える。こうなるのは初めてではない。時たま夢を見る。あの時の夢を。自分がこの手で殺した、ただそこにいたという理由だけで殺された母子の夢を。それは決まって「幸せだ」と感じた時に見ることが多い。昨夜はボス、恋人とこのベッドで愛し合った。繋がって、キスをして、お互い張り合うように好きだ、愛してると応酬し感じいっている間、この上ない幸福感に満たされた。それを咎めるかのように母子の顔を思い出させる。目を覚ませ、お前にそんな資格はないだろうと、そう言うかのように母子が己の手によって絶命して行く姿が脳裏によぎるのだった。
***
「やぁ兄弟」
森林地帯の一角にあるresidentのキャンプに珍しい客人が訪れた。
「フランキー!」
兄弟と呼ばれたベケットは手を振る人物を視界に捉えると子供のように駆け寄ってハグをした。
「フランキー、久しぶりだな」
奥に引っ込んでいたresidentも近寄って挨拶代わりにがっしりと握手する。ベケットは弟が来たことに喜び、サングラス越しの目がきらきらと輝いているのが傍目にも分かった。
「今日はどうしたんだ?」とresidentが聞く。
「入植者と取引するのに近くまで来たから寄ったんだ」
「そうか、仕事上手くいってんだな。泊まってくだろ?隣の兄貴見ろよ、話がしたいってうずうずしてるぞ」
ベケットは恥ずかしそうにへへ、と笑い、フランキーもはにかみながら「実は宿を貸してくれると期待して来た」と、正直に吐露した。ぱっと破顔させたベケットは「酒取ってくる!」とキャンプの中へ入って行く。residentが「昼間からか?」と呼ぶ声は聞こえなかったらしい。その場には2人だけになった。
「寝られてない」
神妙な顔つきで呟いたフランキーの言葉にresidentは首を傾げた。
「なんだって?」
「サングラス越しでも分かるほど目の隈が酷かった」
「……ああ、最近夢見が悪いみたいだな」
昨日も飛び起きてた、と付け加えるとフランキーがじろりと睨む。
「あんたたち、上手く行ってないのか?」
「実の兄貴の性生活の詳細聞きたいか?聞きたいなら聞かせてやるが」
「じゃあなんで」
「さぁな、本人に聞けば」
手をひらひらさせながらキャンプの中に戻るのをフランキーは肩を掴んで止めようとする。
「おい待てよ」
「なぁ、フランキー」
突然くるりと振り向き至近距離で見つめられ思わず小さく後ずさる。いつもと変わらない覇気のない表情なのに、不思議と目が離せなかった。
「俺はあいつのこと愛してるし、できることはなんでもしてやりたいし、してやってるつもりだよ。でも」
「俺はあいつの罪までは背負えない」
表情は変わらない。以前兄に「あの人は表情が変わらなさすぎて不気味だ」と言ったことがある。それに対して兄は「アイツは存外あれで分かりやすいぞ」とにやりと笑っていたのを思い出す。
傷ついている、と思った。なんで、どうして?と疑問が積もる。residentはゆったりとした足取りで中へ戻って行く。追いかけてもっと問い詰めることも出来ただろうが、フランキーはその場から動けなかった。
「フランキー?どうした?」
倉庫からビールを3本手に持って戻ってきたベケットがぼんやりと立ち尽くすフランキーに話しかける。はっとして「いや…」と返すが兄の顔が心配だとありありと書いてあるのでフランキーは仕切り直すように「大丈夫だよ」とビールを受け取った。
「あれ、出かけるのか?アンタのも持ってきたのに」
奥からスナイパーライフルを肩にかけて出てきたresidentにビールを掲げる。
「フランキーが泊まるなら御馳走がいるだろ。ラッドスタッグでも狩って来る。夕方前には戻るよ」
「そうか?悪いな」
「それにここんとこ話し相手が俺しか居なかっただろ。偶には俺の悪口で盛り上がっとけ」
「はは、そうする」
ベケットが笑いながら手を振ると、同じく手を振りかえしてresidentは出かけて行った。なるほど確かに上手くいってないわけではないようだ。ベケットに手招きされ、石で切り出したようなベンチに座る。持ってきたオイルランプから乾いた紙に火を移し、それを目の前の重ねられた枯れ木に置いた。ぱちぱちと爆ける音がするのを確認して、フランキーの方へ向き直る。
「じゃあ聞かせてくれよ。最近の仕事はどうだ?」
この兄は弟を巻き込まないために自分のことをひた隠しにする傾向がある。まずこちらの話を聞かないと口を開かないだろう、とフランキーは覚悟を決めたようにビールを煽った。
「今幸せか?」
影が長くなり、お互いふわふわとした酩酊感に包まれながら昔話に花が咲いた頃、無意識に口から言葉がまろび出ていた。言われた当のベケットは少し面を食らった顔をしていたが、少し考えるように俯く。
「幸せ過ぎて怖いな」
怖い?と聞き返す。幼い2人でなんの後ろ盾もなく命からがらその日の飯も困るような生活をしているわけでもない。フランキーは首を傾げた。
「それは目の隈が酷いのと関係があるのか?」
ベケットは驚いたように目を見開いた後、バツが悪そうな苦笑いを浮かべた。
「気付いてたのか」
「何年兄弟やってると思ってるんだ」
…そうだな、と返ししばらく黙り込む。少しして、意を決したようにフランキーを見つめた。
「ブラッドイーグルスにいた時のこと覚えてるか?」
「正直、あまり」
「お前は薬に耐性が無かったし俺より強いものを飲まされてた。仕方ないさ」
ぐ、と持っていた酒瓶を強く握り指先が白くなる。
「オレは覚えてる。勿論正気だった訳じゃないが、でも幾らか自分を客観視出来てる部分もあった。沢山ブラッドイーグルスの為に殺した。リストを作れるくらいだ………。それが最近、記憶が朧げになってきたんだ」
「……」
「前までは殺した人の顔も声もしっかり覚えてたんだ。それが責任だと、思って。でもここでボスと過ごして、何もかも与えられる生活は、幸せ過ぎて彼女たちを忘れてしまう。それが怖いんだ」
「ベケット………」
かわいそうなくらい小さくなって震える背中を支えようと掲げた手を寸でで止める。慰めるのは違う気がした。彼は慰めを欲している訳ではない。記憶がない自分には兄の気持ちは分からない。恐らく"アイツ"もこの事に気が付いていた。気が付いていて、ベケットが自分の思うまま自責の念に苛まれるのを黙って見守っていた。それが、ベケットの望んだ事だから。
「バカみたいだ、あんたら」
誰にも聞こえないよう小さく呟いた声は息と共に消えた。ぐっと唇を噛み締める。
「ベケット、ベケット」
至極穏やかな声で兄を呼ぶ。ベケットはゆるゆるとした動きでフランキーの方へ向いた。涙の膜が張っていることには気付かないふりをする。
「オレたちなんでも共有してきたな。実の血を分けた兄弟だから。初めてタバコを吸ったのも一緒だったし、盗みをしたのも一緒だった。まぁクスリだけはオレが懇願してもやらしてくれなかったが」
意図が掴めないと言ったふうにフランキーをじっと見つめる。
「でももうお前が共有する相手はオレじゃなくなっちゃったんだ、悔しいけど」
「フランキー…」
「全部アイツに話せ。今までのこと。嫌だろうが、話せ。それが2人のためだ」
「ボスに?だって、ボスは関係ないボスに背負わせる気は」
「背負わせるんじゃないよ、ベケット。言っただろ?共有だよ。5対5とかじゃなくて、1対9とかでもいい。そうすりゃお前が忘れてもアイツが覚えてるし、アイツが忘れてもお前が覚えてるだろ。アイツにとってもただ"知る"ってことが大事なんだよ」
ていうか、アイツも背負う気とかさらさら無いと思うぞ、と極めて真面目なトーンで付け足すと、少しの沈黙の後ベケットは「確かに」と小さく笑った。
「話、重くないかな」
「重いに決まってんだろ」
はん、と鼻で笑う。
「でもアイツは話して欲しいと思ってる。絶対」
昼間の微かに浮き出た傷付いたような顔を思い出す。健気な奴だと思った。今の状況が続けばアイツはともかく兄は確実に耐えられなくなっていただろう。これで命を助けてくれた借りを少しでも返せてたら良いんだが。という気持ちと貸し一つくらい作れたかな。という気持ちが競り合う。でもやはりこのひと言は言っておかねばならないと改めて思った。
「やっぱりバカみたいだ、アンタら」
***
「すまん、遅くなった」
「おかえり」
もう夜も更けてきた頃、バックパックをぱんぱんに膨らませたresidentが帰ってきた。
「ラッドスタッグ狙ってたらヤオ・グアイと遭遇しちまって、狩って皮剥いで血抜きして塩漬けまでしてたらめちゃくちゃ時間かかっちまった。フランキーは?」
「今日はもう寝るって」
「そうか…悪いことしたな。じゃあ肉は明日朝に出すか」
ごとり、と重い音をさせてバックパックをテーブルに置く。塩漬けにされた肉の入った瓶を次々に出していった。
「なぁ」
ベケットが口を開く。
「どうした?」
residentは手を止めて振り向いた。
「明日出かけようと思うんだが、着いてきてくれないか?」
─昔話をさせて欲しいんだ。