子守唄の円舞曲 ちくたく、ちくたく、と秒針を刻む音が聞こえる。微睡みながら目をうすらと開けると白い明かりの眩しさに目を細め小さく唸ると、気配に気づいた男の声が頭上から降ってきた。
「やっと起きたか」
目に皺を寄せじとりと睨む男を無視して先ほどの音の出所を探した。
「何時…」
「5時だ、夕方のな。ケリー、お前なんでここにいる」
食堂から帰ってきたらびっくりしたんだが。と付け加える。監督官のような口うるささに今度はケリーが目を顰めた。
「あたしがどこに居ようと勝手でしょ…」
「バカ言うな。ここは俺の部屋だ」
部屋の主であるベネットは一時間程前、自室の扉を開けてびくりと肩が跳ねた。─人がいる。しかもソファに寝そべっている。思わず外に出て部屋の番号を確認する。合ってる。自室に人が来ることはほぼない。業務連絡は内線もしくは放送で呼び出されるし、友人がいる居住者は自室に人を呼ぶこともあるがベネットはそういうものには縁遠かった。当惑しながらソファで寝そべる渦中の人物を覗き込む。
「…ケリー?」
見覚えのある人物だった。Vaultで生まれた子供で、最近親元を離れたが独身既婚を問わず男性を誘っていて苦情が来ていると監督官が頭を抱えていた。かくいうベネットもしばらく前に"お誘い"というものを受けたが、にべもなく突っ返したのは記憶に新しい。それからというもの避けられているのか顔を合わせることもなくなったので嫌われたのだと思っていたし、そうされるに値する態度をとったのだから恐らくその認識は合っている。その人物がなぜ己の部屋にいて己のソファで寝ているのか、皆目見当もつかない。とにかく壮年の男の部屋に年頃の娘がいるのは居心地も、体裁も悪い。体に触れるのも抵抗があるのでソファ近くにあるローテーブルをかつんと軽く蹴って音を出した。
「おいケリー。ケリー・フォスター、起きろ」
ケリーはピクリとも動かない。更に二度ほどテーブルを軽く蹴る。動かない。あまりの動かなさに少し不安になり顔を覗き込んだ。息はしている。よく見れば目の下に隈が出来ていて、少し顔色が悪い。眠れてないのか。とベネットは思い出したように腕を組んだ。ケリーは今やVaultの中では有名人だ。知りたくもない情報が意図せず耳に入ってくる。曰く、毎夜異なる男性と褥を共にしては朝になる前には居なくなるらしい。ベネットはケリーに興味はない。ケリーを取り巻く噂話にもとんと興味はない。ただ目の前にある純然たる事実は、寝不足であろう子供がすやすやと眠っている、ということだ。ベネットは大きく大きくため息をついて立ち上がり仕事の続きをするべく自分の机に向かった。
寝転びながら軽く目を擦るケリーを前にベネットは仁王立ちしながらドアの方へ視線を向けた。
「まぁいい。この際なんでいるかはどうでも。起きたなら帰れ」
「やだ…」
ケリーは寝起きのせいか呂律が上手く回らないようだった。
「おいふざけるな。第一お前俺のこと嫌いだろ」
「大っ嫌い…」
「帰れ」
「でもここは」
「あ?」
「ここは、人がいなくて静かだから」
その言葉を頭で反芻してベネットは片眉を上げた。確かにここに人が来ることは少ない。ベネットの性質云々の話ではなく、立地の問題でもある。ベネットの部屋はVaultの中でも奥まった場所にあり、すぐ隣には核融合ジェネレーター室がある。万が一ジェネレーターに不具合が起きた場合真っ先に被害を受けるところであり薄暗い雰囲気とジェネレーター特有の稼働音がうるさいという声もあり、誰がそこに住むのかとくじが引かれようとしていたのをこれ幸いとベネットは自ら名乗りを上げた。もしジェネレーターが故障しても修理に駆り出されるのはエンジニアの自分であるし、稼働音も社会人の時に嫌というほど聞いて慣れているので苦ではない。人が寄り付かないのも付き合いが苦手な自分にはありがたいと思った。なるほど確かにここは人がいなくて静かではある。
「転室願いでも出せば」
この辺りは不人気なだけあって部屋は余っている。監督官に言えば、普通ならすんなり受け入れてくれるだろう。ケリーは問題児なので聞き届けられるかは疑問の余地があるが。
「嫌よこんな陰気臭いとこ」
不機嫌そうに返された言葉にベネットは自分の額にぴきりと青筋が立つのが分かった。
「お前自分が何言ってるか分かってるのか?」
そもそも様々な男性と関係を持っておいて人がいないとこに行きたいと思うのはなぜなのか。年頃の女の考えることはよく分からない。いや過去から現在生きてきて女のことが分かった試しはない。よくよく考えたら男のこともよく分からない。別の生き物なのだから当たり前だ。考えるだけ無駄だ、と昼光色に照らす電球を見上げて疲労を覚えたこめかみを押さえた。
「好きにしろもう…言っとくが俺はお前に配慮しないし夜はマジで帰れよ」
「うん」
素直に返された返事に少し意表を突かれつつも作業の途中だった部屋に戻る。1体動きが鈍くなったMr.ハンディの腕の製図を仕上げなければならない。椅子に座り、いつの間にかスリープモードになっていたターミナルを再び立ち上げた。
ちくたくと時計の音、ごーごーとジェネレーターの音、かたかたとターミナルの音と、時たま小さく聞こえる衣服の擦れる音とひとりだけの人の気配。子供の頃に演奏会で聞かされたワルツを思い出す。うるさいのに、どこか心地よさを覚える奇妙な感覚に身を預けながら、ケリーは目を閉じた。