今度は2人で ファウンデーションに入った瞬間、空気が変わった気がした。
挨拶をすれば返してくれるが目を合わしてくれない、ような。世間話をしようとすれば話そこそこで切り上げられる、ような。小さな違和感が降り積もり首を傾げた。
「ベケット。君が来るのは珍しいな」
なぁ、と呼びかけられて立ち止まる。ベケットに気が付いた住人の一人が軽く手を上げて招いた。Vaultーtecと書かれたTシャツを纏いラフな格好をしているのはサミュエル。彼は普段と少し違うファウンデーションの空気に臆することなく話しかける。ベケットは少しほっとして体を向き合わせた。
「ああ、酒の在庫が乏しくなってきたんで補充しにな。なぁ、ちょっと聞きたいんだが」
「どうした?」
小さな小さな違和感なのでもしかしたら気のせいなのかもしれないと疑い、口元に手を当てて小さな声でサミュエルに話しかける。
「オレ避けられてないか?」
避けられる風貌と脛に傷を持っている自覚はある。しかしパートナーであるresidentがこつこつとここの住人とコミュニケーションをとった結果、最近は入口前で銃を構えられることも無くなったし、物資を交換したりしてくれるようになった。心当たりがなく困惑するベケットを前にサミュエルは思い出したようにああ〜……、と呟いた。
「なんだ、聞いてないのか?まぁ自分から言うような話でもないか」
「なんだよ」
「君のパートナー、ここで喧嘩したんだ。流血沙汰」
「なんだと?」
思わぬ言葉をかけられて朝から「肉が食いたい」と狩りに出かけた恋人の顔を思い浮かべる。喧嘩のようなものもしたことがないでもないが、彼は口が達者なので大抵ベケットが言い負かされて終わってしまう。お互い手を出したことも出されたこともなかった。
「マジか?」
そもそも感情の起伏が緩やかで何を言ってもひょうひょうと手応えのないやつだと思っているベケットは信じがたいという顔で聞き直す。
「マジだよ。ボコられたのはスコット、あいつは前から酒癖が悪くてさ…」
──────────
「この時間に君がいるのは珍しいな」
夜の食事に賑わうテーブルの一席に見慣れぬ青いジャンプスーツを着た男を見つける。背中にでかでかとVaultーtecのマークを誂えた服装は彼がVault居住者であることを意味していた。男は視線を動かし、声の主を見つけると口角を上げる。
「ようサミュエル、頼まれたサニーのメンテやってたら思ってたより時間くってなぁ、今日はここで泊まらせてもらおうかと」
サミュエルはresidentを気に入っていた。同じVault居住者という共通点もあり、いつもは気怠げな雰囲気なのにレイダーにも強力なアボミネーションにも臆せず立ち向かっていく様に一種の憧れのようなものを抱いていた。
「それはいい。あんたの新しい冒険奇譚を聞きたいと思ってた」
residentは服装に恥じぬメカニストで、時たまサニーや他のメカニックの修理を請け負っていた。サミュエルが個人的な感情を持つジェンとも話が合うようで、2人が自分には分からない話題で盛り上がっているのを物陰から嫉妬していたこともある。なんとなく事態を察したresidentから「誤解しないで欲しいんだが俺彼氏いるぞ」と言われて赤っ恥をかいてから彼には頭が上がらなくなった。サミュエルはサニーにビールを2本頼むと、片方をresidentに渡して隣に座る。residentは礼を言い瓶を小さく掲げて乾杯した。
「最近は作物育てて狩りに出て偶にここに来て一仕事してキャップを稼ぐ至ってつまらん平和な暮らしだよ」
「そうなのか?それは最高だな」
「まぁな」
少し大袈裟に残念がるように肩を竦めるとresidentはふ、と笑ってビールを煽った。
「じゃあ彼は元気か?パートナーの……」
初対面は想像以上に強面で内心ビビり散らかした記憶がある。話を聞いたところによると元レイダーらしく、一見温和そうなresidentと一緒にいるなんて想像つかないな、と心の中で呟いていた。
「ベケットか?まぁ元気にしてるよ。酒の在庫がどうたら言ってたし今度来るんじゃないか?」
「来るんじゃねぇよ」
背後から呂律の周り切っていない声が聞こえた。サミュエルは後ろを振り向き眉を顰める。
「スコット、なんだよ」
スコットと呼ばれる男は顔を真紅のように染め、時折しゃっくりを繰り返していた。どう見ても酔っ払っている。
「俺はなぁ、レイダーが大っ嫌いなんだよ。知ってるだろ?あいつがここに来るなんて想像するだけで不愉快だ」
「元、レイダーだ」
一度も振り向かなかったresidentが体を動かさず淡々と告げる。サミュエルは凍てつくような声にぞわりと背中を震わせた。
打てば返ってくると理解したスコットはどしどしと音を立ててresidentに近づく。テーブルに大きく拳を叩きつけてぎろりと睨んだ。
「元だろうがなんだろうがレイダーだろ。何食わぬ顔でファウンデーションに近づくなんて図々しいんだよ」
「随分酔っ払ってるみたいだなぁ、スコット」
residentはにこりと微笑んでスコットを見上げる。水を飲んだ方がいいぞと付け足すと馬鹿にされたと感じたのかスコットの顔が更に赤く染まった。
「友人について悪く言われるのはあまり愉快じゃないな、スコット。その辺で勘弁しておいてもらえないか?」
頼むよ、というresidentを睨みつつスコットははん、と鼻で笑った。
「友人だぁ?かまととぶってんじゃねぇぞ。テメェらデキてんだろ?どっちが女なんだ?お前だろ?レイダーを殺す癖にレイダーに毎晩よがってんのか?」
「スコット、いい加減に」
がたりとサミュエルが立ち上がる。テーブルから追い出そうとするのをresidentは手を上げて静止させた。
「スコット勘弁してくれよ。そんなプライベートな話、興味ないくせに首突っ込むもんじゃないぜ」
「否定しないのか、気持ち悪ぃ。やっぱりレイダーは節操がないな、男同士なんて救いがなさすぎる」
「スコット」
「次にお前のとこのレイダーがファウンデーションに来たら頭に鉛玉ぶち込むって伝えといてくれよ」
なぁおい、とスコットはresidentの肩をポンと叩く。
がしゃん、とガラスのようなものが割れる音が響いた。
サミュエルは一瞬何が起こったか分からず瞬きを繰り返す。床にはスコットが頭から血を吹き出しながら何事かと言葉にならない唸り声をあげて倒れていた。
「3回だ」
residentは割れたビール瓶を片手にゆらりと椅子から立ち上がってスコットを見下ろした。零れた液体を踏んでぱしゃりと振動が起きる。
「3回、俺は警告したぞ」
奥からバタバタと数人の足音が聞こえてくるのをサミュエルは感じとった。焦燥感が募るサミュエルとは対比するように、residentは至極穏やかにしかし重苦しい声を腹の奥底から湧きあがらせる。
「キリストは77回許せとのたもうたが俺はレイダーほど寛容じゃない」
古い言葉だ、とサミュエルは昔、まだ両親が健在だった頃と彼が戦前の人間であることを思い出す。古い薄汚れた眼鏡の奥に光る双眸は明確に殺意を帯びていることを、この場にいる人間全員が感じ取っていた。
「揉め事か?!」
数人の守衛がresidentに銃を構える。サミュエルは慌てて前に立って手を広げた。
「違う違う!彼は悪くない。スコットが絡んだんだ」
「凶器を持っている以上銃を下ろすことはできん!」
声を荒げて叫ぶ守衛の言葉にresidentは「ああ」と呟いて手に持っていた血が滴る割れたビール瓶をテーブルに置いて反抗の意思はないというように手を掲げた。
「いいよ、サミュエル。庇わなくていい。俺が手を出したのは事実だ」
そういうとresidentはちらりと床に転がるスコットを見つめる。先ほどまであーとかうーなどと言っていたがすっかり静かになっていて頭付近には血溜まりが出来ていた。
「死なれて出禁になったら困る。医者を呼んでやってくれないか?」
な?と子供に言い聞かせるような優しい声色で微笑むresidentの顔は、先ほどの冷酷な面影は微塵も感じられなかった。
「…わかった」というとサミュエルは医務室へ走る。ちらりと後ろを振り返ると守衛に詰め寄られていた。
ファウンデーション唯一の医者の首根っこを捕まえて戻ってきた時にはresidentはもういなかった。ウォードを訪ねて彼のことを聞くと、他の客の証言もあり、事情を顧みてファウンデーションを出禁にはしなかったが、しばらくは来ないよう今日のところは追い出したようだった。こんな夜更けに外は危険すぎると詰め寄るが、それも罰の一つなのだと、一番重要なのはファウンデーションの住民の安寧だと、ウォードは言った。
────────
「あれから一度も来てないし無事なのか心配してたんだが、大丈夫そうだな」
「全っ然、知らなかった………」
マジかよ、と頭をかく。なるほどファウンデーション内に蔓延る避けるような雰囲気はそのせいだったのかと、得心がいく。
「その時も思ったけど彼の切り替えすごいね。Vaultでそういう訓練でも積んだのかな」
「その、スコットとやらは」
「生きてる生きてる。彼もこっぴどく絞られて暫くは酒禁止と塀外の見回りを言い渡されたよ」
ベケットはほっと胸を撫で下ろした。ここ数週間の彼の言動を思い巡らす。違和感を覚えた日なんて一度もなかった。彼が隠し上手なのか、自分が鈍感なのか、はたまた両方なのか。いずれにしても面白くない話だ。
「オレのせいで……」
「やめなよ。そう思って欲しくないから彼は黙ってたんだろ」
君は堂々とここで買い物して待ち人がいる家に帰って、今度は二人で来なよ。と続ける。
「自分のことで怒ってくれる人がいるのは素敵なことだね。羨ましいよ」
サミュエルはそう言ってベケットに微笑みかける。そうだ、自分は恵まれている。そのような資格はなかった、なかったはずなんだ。それがどういう流れで彼とこうなったのか、いつから彼とこうなったのか明確なタイミングはよく思い出せない。サミュエルに羨ましいと言われた言葉を反芻して、えも言われぬ心地よいくすぐったさに我慢できず「ありがとう」と答える。今日は少し高い彼が好きなお酒を買って帰ろうとキャップが入ったポケットに手を突っ込んだ。